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彼の声

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彼の声 2018.7.12 「主導権の確立」

2018/07/13

 社会の中で人や集団に何らかの役割が生じ
ている状況は、そこだけに注目すれば何か当
たり前のように思われるかもしれないが、結
果的に役割があるということは、様々な紆余
曲折を経てそうなった経緯があるわけで、最
初から特定の役割が特定の人に割り当てられ
ているわけではないだろうし、実際に何の役
割も生じていないように思われる人でも、そ
こからその人が社会の中で活動してゆけば、
他の人や集団との間で何らかの関係が生じた
時点で、何らかの役割を付与されることにな
るだろうし、結局役割というのは人や集団の
間で何らかの関係が結ばれた時に、その関係
の傾向や内容から生じるものだろうし、関係
がなければ役割も生じないし、全くの無関係
のままだと、たぶん人は生きてゆけないだろ
うし、何かそこに社会的な関係が生じている
から、その関係を通じて糧を得ることができ
て、それが何らかの役割分担を伴うような関
係で、その関係の範囲内で行なっていること
が、それなりにうまくいっているようなら、
そのうまくいっている程度に応じて信頼や信
用が生まれることになり、実際に関係を結ん
でいる双方が信頼し合っていれば、それなり
に良好な関係が築かれていることにもなるわ
けで、人と人とが関係して何か活動するよう
なことになって、その活動がうまくいってい
る限りで信頼関係が成り立っていて、その関
係から生じている役割分担もそれなりに機能
していることになるのだろうが、実際には活
動がうまくいかないこともあるだろうし、活
動がうまくいかなくなってくると関係もこじ
れてくるし、役割分担もうまく機能せずに、
場合によってはそこから信頼関係が壊れて、
関係を結んでいる人々の間で相互に疑心暗鬼
になって、それが高じると険悪な仲になるこ
ともあるだろうし、そうなると活動が破綻し
て関係も終わりを迎えてしまうような成り行
きにもなるだろうし、そうなってしまうと関
係を解消して別れることになるのだろうが、
そこまで関係が悪化してしまうと、そうなる
過程で争いや諍いなども起こるだろうし、訴
訟沙汰などに発展してしまうケースも出てく
るのかもしれず、結局人と人との間に関係が
生じるということは、そこから良くも悪くも
様々な出来事を誘発することにもなるわけで、
それがうまくいったりいかなかったりするこ
とから、互いに様々な感情も抱かれて様々な
事態も生じさせて、様々な結果を引き起こす
わけだが、だからと言って結果を恐れてなる
べく関係が生じないように配慮したところで、
何かしら社会との関係を維持していないと何
も得られなくなってしまい、その先に待ち受
けているのは自らの死でしかないだろうし、
そこに何らかの関係が生じていることがその
人が社会の中で生きている証しとなるわけで、
それ自体が人間の社会性を物語っていること
になるのだろうが、集団を作って活動するこ
との利点や欠点をあれこれ述べてみても、そ
の場の状況に応じてそうなってしまうわけだ
から、そうしたことを主体的に選べるわけで
もなく、否応なくそんな事態を招いてしまう
としたら、受動的に対応することしかできな
いのかもしれないし、それ以上に何ができる
わけでもなく、そうした状況を受け入れた上
で、そこから工夫を凝らして、生じている関
係の内容や傾向を改善していくしかないわけ
で、そういうことに関してうまく対処できれ
ば、快適な生活を実現できるかもしれないが、
誰もがどんな状況下でもそうした対処ができ
るわけでもなく、ある程度は否応なく様々な
事態に巻き込まれてしまうわけだ。

 そして社会の中で集団による作業が行われ
る限りで、必ずしも最善のことが行われるわ
けではなく、その場での組織的な構成に応じ
て作業が行われることになるから、そこで行
われる作業の内容や傾向にはその組織的な構
成が反映されるわけで、集団が構成されて作
業が行われる経緯や過程において、その集団
ができることや内容が決まってくるのだろう
し、集団が維持されているからといって、そ
の集団によって何でもできるわけではないだ
ろうし、またその集団のやっていることをい
くら批判したからといって、その批判内容に
いくら説得力があるからといって、その集団
のやっていることを変えるまでには至らない
だろうし、そこで行われている作業の実際に
行われている実態を変えるには、その集団内
で主導権を握らなければならないだろうし、
それには集団を批判することとは別の作用が
必要となり、必ずしも批判内容が説得力を持
つからといって、批判者が集団に受け入れら
れるわけではないだろうし、大抵の場合は批
判者はその集団と敵対関係にあるわけだから、
受け入れられるどころか拒否反応を引き起こ
すことの方が多いだろうし、集団内の拒否反
応を取り除いた上で、さらに集団内で主導権
を握るのは並大抵のことではなく、そうした
試みの大半は失敗に終わる可能性の方が高い
わけだろうが、だからと言って批判者が引き
下がるわけではなく、集団のやっていること
を批判するからには、集団との関係を構築し
ようとしているわけで、自分の批判が集団に
受け入れられるように努力もしているだろう
が、そうした努力の過程でミイラ取りがミイ
ラになってしまうように、逆に集団に同化さ
せられて、かつて自らが批判していたこと率
先して行うような事態にもなりかねないわけ
で、そうやって集団に取り込まれてしまう人
が後をたたないから、集団のやっていること
が周囲から批判を浴びながらも執拗に続いて
しまう成り行きが生じてしまうのだろうし、
またそういう成り行きによって集団に取り込
まれない人たちは、いつまで経っても集団か
らは受け入れてもらえず、集団の周りで批判
を繰り返すしかなくなってしまい、そうした
人たちが十把一絡げにまとめられて批判勢力
を形成している場合もあるわけで、もちろん
それは集団の側がまとめて対応しているだけ
で、それらの人たちに集団としての団結力な
ど備わっていないから、一匹狼のように単独
で吠えている場合も多く、だから大して社会
に対して影響力を持たないし、大抵の場合は
相手にされていないのだろうが、結局集団の
やっていることが批判を浴びながらも執拗に
続けられる背景にも、集団の側での選別が機
能している面もあるわけで、集団に取り込ま
れてしまうような人たちは、集団にとっては
受け入れ可能な人たちであり、周囲から批判
を浴びるような行為を受け入れてまで、集団
のために尽くすことができる従順な人である
とみなされるわけで、そういう意味でそうし
た集団に入るには、ある程度は批判を浴びる
ような行為を率先して行える度胸が試されて
いるのだろうし、そこで集団への忠誠心が試
されていることにもなるのではないか。だか
ら集団の側でも安易に受け入れ可能なことは
やらないだろうし、何かやることに抵抗を感
じるようなことをあえてやることのできる人
を集団の構成員に加えたいわけで、そういう
意味で社会の中で主導権を握っている集団と
いうのは、他の人たちから支持を得ている以
外に、他の人たちを抑圧するようなことも行
なっているわけで、そうしないと他の人や集
団から舐められてしまうのだろうし、だから
意図して行なっていることの他にも、それと
自覚することなく他の人や集団を抑え込んで
いるから、社会の中で主導権を握ることがで
きるわけで、そうした行為も集団の社会的な
役割として機能しているのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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