文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

全て表示する >

彼の声 2018.7.11 「改革の機運」

2018/07/12

 世の中で起こっている様々な出来事に関し
て、たぶんそれがメディアを通じて世間の話
題となっていると、何かそこに一定の傾向が
あるように思われるとしても、それらが他の
出来事とどのように結びついているかという
と、メディア上で何らかの関連づけがなされ
ると、何かそこに地続きな部分があるかのよ
うに思われるかもしれないが、そうした傾向
があること自体が何らかの批判に結びつくか
というと、それが否定的な面であれば批判に
結びつくだろうし、実際にそうした面が批判
されるわけだが、たぶんそれだけではやりよ
うがないのであり、何をやりようがないかと
いうと、それが何らかの改革の試みだとする
と、たぶん改革はそのような批判から生まれ
るわけではなく、逆説的に思われてわかりに
くいかもしれないが、なぜか現状を肯定する
ことからしか改革の機運は高まらないだろう
し、それが現状を肯定するための改革だとす
ると、何やらごまかしのように思われてくる
わけで、改革によって現状は肯定されるべき
ではなく、ただそんな現状は批判にさらされ
るべきかもしれないが、なぜか批判が改革に
結びつくわけではなく、批判は批判以外には
結びつかず、それが他の何に結びつくわけで
もないのかもしれず、特に何に結びつかなく
ても批判者は現状を批判するしかないのかも
しれない。そうであるならいくら現状を批判
したところで無駄なのかというと、無駄なの
ではなく、ただ現状は批判されるべきもので
しかなく、現状には常に批判される要素があ
り、それについては批判されるしかないので
はないか。もちろん他にも現状には肯定され
る要素もあるのかもしれないが、そういう面
で肯定されるとしても、別の面では現状を批
判してはならないわけではなく、現状の中で
批判される面があれば批判されるべきで、そ
れとは別に肯定される面では肯定されればい
いわけで、どちらがどうだというわけではな
く、現状にも様々な現状があり、批判される
部分と肯定される部分とがあり、他にも様々
な部分があるだろうが、それらのすべてにわ
たって言及される必要もないのであり、現状
の中で批判される面に関しては批判されるべ
きで、肯定される面では別に肯定されても構
わないのではないか。そして批判される面と
肯定される面とが重なる部分もあるだろうし、
そこでそれを批判する側と肯定する側とで見
解が分かれるかもしれないが、それも双方の
立場の違いとして片付けてしまえば、何とな
くそれで構わないように思われてくるだろう
し、そこで対立や軋轢が生じているとしても、
そうなってしまう必然性があればそれが理由
で対立していることになってしまうだろうし、
それで納得してしまえばそれで構わないこと
になってしまうわけで、どうあがいてもそこ
から先へと事態が進まない現状があるわけで、
それが批判勢力をジレンマに陥らせる原因と
なっているのかもしれず、事態の進展を促し
ようがないなら、そうした批判自体が無効な
のではないかと疑念を抱いてしまうかもしれ
ないが、それでもたぶん批判が無効なのでは
なく、必要に促されて批判が行われているの
であり、その必要というのが現状を現状たら
しめるために批判されなければならない部分
があるわけで、それが現状の効果であり、現
状が批判的な言葉を生産しているのであり、
その生産された言葉のある部分が批判的な言
説を構成していて、また別の部分では現状を
肯定する言説も構成していて、それらの要素
が様々に結びつきながら現状を言葉によって
構成しているのであり、それ以外ではないわ
けだ。

 具体的に批判される部分というのが、人為
的な行為や体制の中にあるのは当然ことかも
しれないが、それが現状の中で安定して機能
している部分であれば、改革のしようがない
部分でもあり、またそこに何らかの権力が生
じているとすれば、それも反権力的な立場か
ら批判にさらされる部分でもあり、そこに力
の不均衡が生じているから、民主主義の理念
とは合わない部分にもなるわけで、何か特定
の権力者が独裁的なことを行なっていて、そ
れが諸悪の根源であるかのように思われてし
まうのだが、システムとしてそうした立場の
人を必要としている部分があるとすれば、そ
うした体制が必要悪として成り立っているこ
とにもなるわけで、権力構造としてそうした
役割を担う担当者が存在することになるわけ
だが、それが社会全般にわたって似たような
権力者が出現するようなシステムが方々でま
かり通っている現状があれば、やはりそれを
批判する人たちが出てくるわけで、そうした
人たちからすればもっと民主的なシステムを
構築すべきとなるのかもしれないが、実際に
それがどのようにして改革されるかとなると、
事の経緯や成り行きとしては、現状で主導権
を握っている人たちによって改革が行われる
わけで、反権力的な立場からではなく、独裁
的な権力を握っている人たちが改革勢力を構
成することになって、それらの人たちの都合
が反映された改革が行われることになるわけ
だが、それも必要に応じて改革が行われるわ
けで、具体的にはそうした権力体制が衰退し
始めると、当の体制の上であぐらをかいてい
る人たちが危機感を募らせることになるから、
何とか体制を維持するために改革を行うこと
になるわけで、その体制を維持するための改
革というのが、反権力的な立場の人たちが主
張するような理想や理念とは全く異なるもの
になる可能性はあるわけで、少なくとも権力
者たちの必要に応じた改革になるわけだから、
それらの人たちにとっては自分たちの権力が
維持される形の改革が望ましいわけだが、そ
れが必ずしも思惑通りにはいかない場合があ
るだろうし、場合によってはそれらの人たち
を陥れて衰退させるような狡知が働いて、そ
うした役割が消失する可能性も出てくるわけ
で、それは人が有限の存在だから、いつまで
も特定の人に権力が集中するわけでもなく、
必ず衰えてくることがあって、その人に代わ
って別の人がそうした役割を担うようなこと
になると、必ずそれ以前の人と同じような権
力が生じるかというと、そうでもないことの
方が多いだろうし、それはその人の個性に依
存する傾向にもなるかもしれないが、またそ
れとは別の面では同じような体制からは同じ
ような人が権力者として登場する場合もある
わけだが、そうであるとしてもそうした体制
が衰退傾向にあるなら、その衰退傾向に対応
した人物が権力者として登場することにもな
るわけで、そうなる限りでその衰退に乗じて
他の勢力にもつけ入る隙が生じて、結果的に
それまでとは異なる体制に変わる可能性も生
じてくるのであり、そうやって権力体制の変
遷が生じることにもなるのだろうが、そうだ
としても何をきっかけとしてそうなるかは、
誰にも予想がつかないところかもしれないし、
やはりそれはその社会が抱えている構造的な
問題が影響を及ぼしてくるだろうし、それが
批判の対象にもなってくるわけだが、世界的
に見ればそれはその地域特有の事情ともなっ
ているし、世界全体から見れば相対的な特徴
を形成しているに過ぎないのかもしれないが、
実際にその地域で暮らしている人にとっては、
その中で主流派を構成している人にとっては
肯定的に誇るべきことのようにも思われてく
るし、反主流派を構成している人にとっては
否定的に恥ずべきことのようにも思われてく
るのではないか。 

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。