文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.6.30 「事態への評価」

2018/07/01

 取り返しがつかない事態とは、後戻りがで
きない事態でもあるだろうが、何がそうなの
かといえば、すでに起こってしまった惨劇の
大半はそんなものかもしれないし、何かの状
況が悪化してくると、取り返しがつかなくな
る前に何とかしなければならないとか、よく
そんなことが言われるのかもしれないが、で
はその逆の取り返しがつく事態とか、後戻り
ができる事態とは、人の力でどうにかできる
事態だろうし、あえてそんなふうには言わな
いだろうが、まだ見込みがあるということは、
良くなる可能性があるということであり、ま
だ希望が持てるように思われるなら、もはや
手遅れとは認識されないだろうが、それが気
休めなどではない限り、安心材料ともなるだ
ろうし、普通は前向きに何かをやろうとする
場合は、希望を持たせて期待を膨らませるよ
うなことが言われるのだろうが、そうである
限りは何事も悲観することはなく、成功する
ことを願いながら努力するような成り行きに
なるだろうし、別にそうなっているのなら、
そのままやってもらうしかないだろうし、あ
えて悲観論の類いを吹聴することもないわけ
だが、このままでは危ないという決まり文句
を用いて、他人のやっていることを批判する
ような場合には、大げさに危機感を煽るよう
なことが言われるわけだが、その手の文言は
聞き飽きたと思うようなら、そんなことばか
りが言われているにしても、一向に危機的な
状況が訪れないことに飽きてしまって、世の
中で危機感を煽るような言説が信用を失いつ
つあることを示しているのかもしれず、また
そういう狼少年的な態度の人たちが世間から
相手にされなくなっている兆候も示している
のかもしれないし、そうした兆候の良し悪し
はさておき、それに関して何か状況を見誤っ
ている傾向があるとしたら、それは現状が取
り返しがつかない事態とは言えないことであ
り、またそうかと言ってうまくいっていると
も言えないだろうし、では何かといえば、そ
うした現状に対する評価や判断自体が的外れ
なのかもしれず、まだ評価や判断を下すのは
時期尚早だと言えるのかもしれないが、では
いつ判断すればいいのかとなるかもしれない
が、いつでも時期尚早だとすれば、いったい
現状は何なのかということになるだろうが、
そうでなくても現状に対する判断とか評価が
無効になっている場合があるわけで、否定的
な判断や評価がされ過ぎていると、そうした
判断や評価を行う言説自体が無効になってし
まい、要するに飽きられてしまっていること
になるのだろうが、そうしたことを言う立場
の人たちが口を開けばそんなことばかり言っ
ているから、もはやそれを真に受けられなく
なっているのかもしれないし、実際にその手
の人たちが相手にされなくなっている実態が
あるとしたら、たとえ取り返しがつかなくな
っているとしても、それ自体がどうでもいい
ことになっていて、そんなことを言うだけで
はどうにもならない状況となっていて、その
どうにもならない状況というのが、特に危機
的な状況だとは感じられなくなっているのか
もしれず、そうなっていると危機感を煽って
いる人たちと一般の民衆の認識との間に、ず
れや落差があることになり、場合と程度によ
っては、それらの人たちがもはや一般の民衆
からは信用されなくなっているのではないか。

 もちろん現状はそんな単純な状況ではない
のかもしれず、実際に危機感を煽っている人
たちを信用している民衆も根強くいるのかも
しれないし、また宣伝や煽動を用いて敵対し
ている勢力が民衆から信用されていないこと
を吹聴して回っている人たちも、それなりに
信用されているのかもしれないし、民衆の中
でも意見や見解が分かれていて、多数派を構
成する世論や民意が世論調査などからそれら
しく形成されているとしても、そんな世論や
民意を信用していない人たちもそれなりにい
るのかもしれず、また人々がどんな意見や主
張を信用しているとしても、それがメディア
を経由して伝えられる内容としては、かなり
恣意的に歪められて伝わっている可能性さえ
あるのかもしれず、それに関して実態がどう
なっているかは、誰も正確には把握していな
い状況があるのかもしれないし、要するにメ
ディア上で何か主張している人がいるとして、
一般の民衆がそれを信用したりしなかったり
するとしても、たとえそれが世論調査などに
よって統計的な結果として示されているとし
ても、そうしたことが何を意味してどんな影
響を世の中に及ぼしているかは、それを分析
してみればそれなりに傾向がわかるにしても、
そこから決定的な何かを導き出すのは、少し
違うように思われるだろうし、そんなことに
は興味を持てなければ、それっきりとなって
しまうような物事でしかないのかもしれず、
実際に重要なのはそんな現状への評価や判断
などではなく、そこでどんな活動が行われて
いるかであり、そんな活動から具体的に何が
もたらされているかが重要なことであり、そ
の活動に関わっている人たちや、活動からも
たらされている物事に関わっている人たちに
とっては、そういった物事に関わっているこ
とが自らの活動そのものなのだろうし、そこ
からどんな評価や判断が下されようと、それ
を否定的に見たり肯定的に見たりする中で、
自らの活動の状況がどうなっているかを知ろ
うとするだろうし、それがそこにもたらされ
ている結果であり、結果を肯定的に受け止め
たり否定的に受け止めたりする上で、何がそ
の判断基準となっているかは、自分の置かれ
た状況がどうなっているかであり、そこで自
らが主体的に活動している実態を感じ取れる
ようなら、とりあえず現状を肯定できるだろ
うし、また思い通りに活動できていなければ、
そんな現状を否定的に見るしかないだろうし、
それ以上のことを知りたいわけでも知ってい
るわけでもなく、知っていることや知ってい
るつもりになっている物事まで含めて、それ
らの物事への自らの関わり方や関わり具合ま
でが、自らの評価や判断に関わってくるのだ
ろうが、そこでそれなりに筋の通った理屈や
論理によって自らの活動を説明できるような
ら、何か正しいことをやっているように思わ
れるだろうし、またそれなりに利益にありつ
けている限りで自らの活動を正当化しようと
するだろうし、やっていることが実質的な実
態を伴っていることが、その活動を信じられ
たり信用できたりするわけで、何ももたらさ
れなければ無意味で無駄なことのようにも思
われるだろうし、そんな結果から自らの活動
を評価することになるわけだが、それは他人
の活動にも言えることだろうし、絶えず自ら
との関わりにおいて、自分と敵対関係にある
活動は否定的に見るしかないだろうし、また
自分に利益をもたらす活動は、その内容はと
もかく満足感を得られる限りで、その度合い
に応じて肯定されるだろうし、さらに公共的
な面での活動に関しては私情を抜きにして、
なるべく客観的な評価や判断を下そうとする
のではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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