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彼の声

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彼の声 2018.6.19 「妥協と調整」

2018/06/20

 今どきの政治に対して肯定的な幻想を抱い
ている人はそれほど多くいるとは思えないが、
実際に絶えず国家的な行政形態が行き詰まり
つつも、打算や妥協の産物としてとりあえず
の統治形態を維持しようとしていて、それに
対していつも強引なやり方が民衆の反発を招
きつつも、何とか権力の行使を伴う各方面の
均衡を図ったり、対立や軋轢を交渉や調整に
よってはぐらかしながら、かろうじて現状を
保っていると言えるのかもしれないが、その
かろうじてという感覚が実情とはかけ離れて
いるのかもしれず、現に主要各国の行政機構
の力は盤石で、建前としては法と制度に基づ
いて統治が行われているわけだが、実質的に
は軍隊や警察権力などの力で民衆を押さえつ
けている面もあるだろうし、それが意味する
ところは暴力による支配を可能としつつも、
実際にはなるべく暴力を行使せずに、威嚇の
ための暴力装置であるように装われているわ
けで、それが現実に暴力を行使せざるを得な
い事態になるのを極力避けながらも、いざと
なったら行使せざるを得ないケースが必ず出
てくるわけで、そうした時に体制側の抑圧に
抵抗する民衆の美学というフィクションが、
尊い犠牲の上に繰り広げられる闘争の歴史と
して、伝説のようにして語り継がれるような
成り行きも生じて、実際にそうしたファンタ
ジーが民衆の脳裏に焼き付けられるわけだが、
たぶんフィクションと現実は大幅に違ってい
て、実際には民衆の多数派が警察や軍隊を支
援しながら少数派の弾圧に加担していて、民
衆の支持を背景としてそうした暴力装置が成
り立っている面があるわけだろうし、平和な
地域では滅多に起こらないように感じられる
そうした暴力の行使が、現実には至るところ
で日常茶飯事のように行われている実態があ
るだろうし、しかもそれは警察や軍隊だけが
行なっているわけではなく、民衆が民衆に対
して暴力を行使している場合の方がはるかに
多いのかもしれず、世の中の至るところでそ
うした暴力沙汰が起こっているわけだが、も
ちろん暴力が度を超すと警察による取り締ま
りの対象となって、傷害事件や殺傷事件とし
て世間の話題にもなるわけで、たぶん体制に
よる弾圧に抵抗する民衆の活動という形態も、
ある程度はそうした暴力を伴っていて、警察
などの治安機関や軍隊などの方が圧倒的に暴
力装置としては強いわけだが、それに対して
武装闘争を仕掛けるゲリラやテロ組織でなけ
れば、一般の民衆による抵抗などささやかな
暴力しか伴わないだろうし、それと体制側の
暴力を同等のものとして捉えるわけにはいか
ないわけで、だから常に民衆の側が被害者の
立場でいられるのかもしれないが、それも実
際に目に見えるような弾圧が行われている範
囲内に限られ、普通に民主的な政治体制が成
り立っている国では、表向きはそうした抵抗
勢力は軒並み懐柔されているだろうし、滅多
なことでは民衆が主導する暴動の類いは起こ
らないのかもしれないが、社会の中で調整不
可能な内部対立がある国では、度々政治的な
暴動などが発生して大勢の死傷者が出るよう
な事件も起こるし、そうした国や地域では体
制側の抑圧に抵抗する民衆の美学も今なお健
在かもしれないが、それも程度の問題なのか
もしれず、暴力がいけない行為だとか、暴力
に頼らない政治運動を行う条件とかが、まこ
としやかに議論されるような成り行きには、
どこの国でもならないだろうし、そうではな
くそれとは違う水準で、政治的な行為の中身
が問われているわけで、それが行政による功
利的で効率的な統治術の追求とか、民衆から
生じる民意とか世論とかを味方につけるため
の条件やそのやり方とかが探求されているの
だろうし、結局そうしたことの行き着く先に
あるのはメディアを通して行われる世論操作
となるわけだろうが、そうやってなるべく暴
力装置から目を背けようとしているわけで、
それとは違う平和的な統治が行われているよ
うに装われているわけだ。

 最終的には暴力で方を付ける傾向があるも
のの、現実に正当防衛以外の暴力の行使は違
法行為であるだろうし、そこへ至るまでの間
で妥協や調整を図りたいわけで、そうするこ
とが政治活動の主要な部分を占めるわけだろ
うが、それ以前に何とか物事の流れや成り行
きをコントロールしたいだろうし、そのため
に決まりを作って決まり通りに事が運ぶよう
に算段するわけで、実際にはいくら決まりを
作っても思い通りに事が運ばない場合もある
わけだが、そこでも様々な活動や行為が様々
な人や集団の間で競合関係にあるわけだから、
平和的な競争と暴力的な抗争との間に差異を
見出さなければならないだろうし、競争がル
ールに則った平和的なゲームとするならば、
暴力的な抗争は勝つためには手段を選ばない
真剣勝負だと言えなくもないが、もちろんル
ールに則った平和的なゲームの方を真剣勝負
だとみなしたいわけで、それがルールを定め
る側やゲームを管理する側の論理であり、実
際にゲームに参加する側や娯楽としてそんな
ゲームを観る観客たちが抱く幻想でもあるわ
けで、何か正当な手段を用いて勝負を決めた
い都合がそこに反映していて、暴力的な殺し
合いにならないように様々な制限や安全面で
の配慮を施しながら、そうした法に基づいた
制度を築き上げて、制度の中で勝負がついて
優劣がはっきりするような結果を導き出して、
そうした決着の付け方を競っている双方やそ
れを応援している観客などにも納得してもら
うことが、制度を管理している機構にとって
も利益となるようなシステムになっていて、
そういうところで人為的な配慮が行われて同
意や賛同の輪が世の中に広がってゆけば、平
和な状況下での競争に肯定的な価値が伴うよ
うになるわけで、そうした競争を収益源にし
たプロスポーツなどの興行の形態が一般の民
衆の支持や支援とともに確立されて、何やら
大衆娯楽として人々の意識に多大な影響を及
ぼすようにもなるわけだが、そうした成り行
きと政治との間に何らかの並行関係があると
すれば、それはそれに関わっている人たちの
都合を反映した決まりを作って、それを他の
人たちにも周知徹底させることにあるのかも
しれず、そうした決まりに基づいて肯定すべ
き価値が定まれば、決まりを守っている限り
で肯定されることにもなり、決まりを守らず
に違法行為を行えば罰せられることにもなる
わけだが、決まりを作ってその決まりの枠内
での活動を許すことによって、活動の方向や
傾向が一定になり、そこから外れる要素を排
除することによって、決められたことを行え
ば決められた結果に至るというシステムが成
り立つわけで、そうしたシステムを定めるの
が政治の役目なのかもしれないが、それと同
時に絶えず競合関係にある人々と議論を交わ
しながら、そこから一定の妥協や調整を図ろ
うともするわけで、それはスポーツの中では
結果として出力されたゲームの結果を、その
参加者の全てが受け入れて納得しなければな
らなくなるわけで、個々の判定などには不満
が残るものの結果が覆らなければ勝敗を受け
入れざるをえないわけで、それがある意味で
は妥協や調整が一段落した状態を示している
だろうし、政治の場ではそこから事態がこじ
れていくこともあるだろうし、スポーツなど
でも勝敗の判定や結果に異議を唱える場合も
あるわけで、決まりを作ってそれに従うこと
で成り立っているゲームであるにしても、決
まりを破ったり結果に納得せずに従わない態
度をとったり、そうした様々な状況が想定さ
れるわけで、それは政治の面でも同様なこと
が起こりうるだろうし、何かそこで決まりを
作って全ての人をその決まりに従わせようと
する動作が、決まりを作る側の都合を反映し
ていて、それに従わせられる民衆の都合がな
おざりにされているようだと、不満が募って
反発を招くわけで、そうしたところでそこに
関わってくる人や団体との間で妥協や調整が
図られる成り行きが、政治的な行為の本質を
表しているところだろうし、多くの人々から
同意を得られるような決まりを作ることも、
常に政治的な課題となっているわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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