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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.6.12 「集団の制御」

2018/06/13

 普通の人が普通に暮らしていることが当た
り前のように思われる状態というのが、世の
中に対する平均的な認識として人々の意識の
中に定着していると、何かそこから逸脱する
ことが危機的な状況だとは思わないものの、
実際に普通の状態から逸脱しているのが良く
ないことだとは思われるだろうし、そこから
何とか人並みの普通の生活を送りたいと思う
かどうかは、人によっても生活している状態
によっても異なるだろうが、人の暮らし向き
はその人のおかれた境遇によって様々な傾向
を示していて、同じような状態ならいくらで
もありそうだが、決して厳密には同じになら
なければ、普通の人が普通に暮らしている状
態というのが、個々の事情を無視した虚構に
思えてくるかもしれないが、収入とか財産と
か家族構成とか住んでいる家屋とかの条件な
どを考慮して統一的な基準を定めれば、統計
的な平均値としての普通の状態が求まるだろ
うし、それと個々の事例との比較によって、
それぞれの世帯の偏差値が出てくるかもしれ
ず、そういう比較を行えば確かに数値的に自
分の暮らしが、平均値からどれほど離れてい
るかがわかってくるだろうが、実際にそうい
うことを知る機会はほとんどなく、多くの人
たちはただ漠然とメディア経由や周囲から入
ってくる様々な情報を基にして、自分の状態
が裕福であるか貧困であるか中流であるかと
いった大雑把な認識に至るだけだろうし、実
際にそんなことを気にする機会なども滅多に
ないのかもしれないが、そうした比較をする
以前に自身が生きている現状があるわけだか
ら、その時点でそれなりに生活が成り立って
いるわけで、自分の状態をどう評価してみて
も、そこから良くなる可能性というのも、現
状で抱え込んでいる事情からおぼろげながら
推察できるだろうし、良くなる可能性が見え
てこなければ現状に対して不満を抱いている
ことが多いだろうが、その一方である程度は
あきらめている面もあって、それは経済状態
とか職業とか年齢などから想像してしまうと
ころだろうし、中には自らの可能性のなさに
絶望して自暴自棄になってしまう人もいるだ
ろうが、それも特殊な状況で、日常生活に支
障をきたさない程度の普通の精神状態を保っ
ていれば、ある程度はあきらめつつも、それ
なりに人生を楽しめる範囲内で楽しもうとす
るのかもしれず、それも人によって事情が異
なるだろうから一概には言えないことかもし
れないが、そうした個人的な境遇や心境から
の地続きで、何を思い何を考えているとして
も、それらは個々の事例の一つに過ぎないこ
とかもしれないが、そうしたところから政治
的な認識を持つに至ることがあるかというと、
それは自分だけでなく自身を取り巻く周りの
状況や、広く世間一般の情勢に想いを馳せる
ところから、何やら政治意識が育まれてくる
のかもしれず、世の中との一体感や他の人々
との連帯感が、それらの人々と力を合わせて
やらなければならない使命感のような啓示を
もたらすのかもしれないが、なぜそうした啓
示がもたらされるのかと言えば、それは世の
中の状況に関して不条理を感じているからで、
それらの大半は不快な政治家や政党などが不
快なことをやっているように思われるからだ
ろうし、そしてそれをやめさせるために、そ
うしたことを行なっている政治家や政党や政
府などを批判して、そうした人々が批判勢力
として結集する場合があるわけだ。

 そうした世の中の状況に対して抗議する人
人というのが、一般の民衆を巻き込んだ政治
活動の担い手として社会の中に定着している
と、デモ活動や抗議集会といったパフォーマ
ンスが行われることになるわけだが、当然の
ことながらそうした抗議運動だけで政治活動
が完結しているわけではないだろうし、実際
に議会や政府などの場で政策や法案などに関
して審議したり、そこで議決したことを行政
の場で実行させなければならないだろうし、
また政府の一員になれば対外的には外交交渉
などを行なったり、内政の面では業界関係者
などとの懇談や、一般の民衆と直接対話して
要望を聞かなければならない場合もあるだろ
うし、そうした職業としての政治活動と、一
般の民衆が無償で行なっている抗議活動とは
別の行為であることは確かなのだが、公的な
制度として確立しているのは議会や政府など
の職業としての政治活動であり、デモや抗議
集会などのパフォーマンスは、とりあえず制
度として確立しているわけではないものの、
法律的な枠がはめられていることは確かで、
そこから逸脱する行為は警察などの治安機関
による取り締まりの対象となってしまうわけ
で、そういう面では政府による管理の対象と
もなっているわけで、そうした行為を管理す
る制度が確立されているとも言えるし、過激
派などへの取り締まりの延長上で市民運動な
どもそれなりに監視対象となっているはずだ
が、また職業として政治活動を行なっている
政党などでも、デモや集会などの活動を行う
時にそれらを管理しようとしている面がある
だろうし、それに絡んで労働組合や生活協同
組合や宗教団体や環境保護団体や政治結社や
学生団体などの団体もそれらを管理しようと
していて、実際にそれらの団体からの動員に
よってデモや集会が成り立っている面がある
なら、そうした活動も制度的に管理された活
動と言えるわけで、結局一般の民衆を巻き込
んだ抗議活動の類いも様々な思惑や戦略など
を持った組織的な集団に管理されていると、
個人が使命感に駆られたり、世の中の不条理
な状況から啓示を受けたりして、自主的に集
まるようなことではなく、組織的に演出され
たパフォーマンスとなりがちになって、その
場を仕切っている集団にコントロールされて
いることにもなるわけで、それの善悪は活動
の内容にもよるだろうが、そうやって社会の
中で行われている様々な活動が集団的な組織
化の影響を被っていると、そうした中で個人
の存在が疎外されることにもなるわけで、果
たしてそうやって行なっていることが、個人
の切実な願いを反映しているかというと、そ
れよりは集団の利害の方が優先される傾向と
なっているだろうし、それで良いか悪いかは
さておき、日頃から思ったり考えたりするの
は個人が行なっていることであり、それを集
団の側で尊重する意思があればいいのかもし
れないが、それも集団の中で主導権を握って
いる人の意思は尊重されるというか、その人
が集団の中で指導的な立場であれば、自分の
意志を集団の方針として定着させようとする
だろうし、そうなると他の人の意思は集団の
方針としては尊重されないこととなるだろう
が、その人が集団内の他の人の意見を聞いて、
説得力のあるものなら集団の方針に取り入れ
るような協調タイプの指導者なら、そうはな
らないかもしれないが、また集団内が合議制
のような形態になっていれば、少なくとも方
針をめぐって話し合いが行われる成り行きに
なるかもしれないが、たぶんそうしたところ
で個人の主張と集団内から生じる主張との間
で、何らかの違いやそれぞれに特有の傾向が
生じるのではないか。そしてそこに何らかの
差異があると、それが個人としては政治的な
無関心の傾向を示している要因であるかもし
れないし、そうした政治活動の集団的なコン
トロールの傾向が、個人の政治離れを促進し
ている可能性さえあるのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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