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彼の声

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彼の声 2018.6.8 「状況に選ばれた愚鈍さ」

2018/06/09

 個人の認識と集団的な作業から導き出され
る認識とは質が違うのが当然だろうが、個人
が語っているように思われる認識でも、デー
タ分析などは集団的な作業を伴っているかも
しれないし、そうしたところから個人の意識
が影響を受けている面があるわけで、それら
を明確に区別することはできないのかもしれ
ないが、個人的にどんな主義主張を持ってい
ても、その人の行動が主義主張と一致すると
は限らず、また行動を意識でコントロールで
きている割合もそれほど高くないのかもしれ
ず、その場の状況に影響を受けながら行動し
ている面が多分にあるわけだろうが、だから
といってその人の主義主張が実質的な効果を
伴っていないわけではなく、心の支えとして
の役割を果たしている面が大きいわけで、自
身の行動や言動を心の支えとして保持してい
る主義主張から説明しようとしていて、それ
によって思考と活動とが一致しているように
装いたいわけだが、たぶん本人が思っている
ほど一致しているわけではないだろうし、そ
れよりはその場の状況に対応した活動を行な
っている面の方が大きいわけで、自然にそう
いう対応ができる人ほど、活動に柔軟性が生
じるのかもしれず、その逆に自身が保持して
いる硬直化したイデオロギーの類いに、無理
矢理行動を合わせようとするほど、何かぎく
しゃくした活動になってしまうのだろうし、
そうなると結果的にもうまくいかなくなって
しまうだろうが、さらに中にはそうしたこだ
わりのない空っぽな人物もいて、そういう人
はただ功利的に活動するのみで、全てが相対
的な価値しか持ち合わせておらず、そうなる
とただその場で主導権を握っている人や集団
に従うことしかできない場合もあるだろうし、
そうした人が官僚的な集団の中では便利な手
駒として重宝される傾向にあるのかもしれな
いが、そうした個人の間で個々に差異が生じ
ているとしても、集団で行う組織的な活動に
組み込まれてしまえば、個々の違いは均され
てしまうだろうし、そうした面では個人では
なく集団の活動と捉えればいいわけだが、そ
んな中でも集団を束ねるカリスマ的な指導者
の立場が生じる時があって、そうした指導者
が集団をコントロールしながら、その人の意
志によって活動を行わせているように見える
こともあるだろうが、現代的な政治情勢の中
ではそういうことが起こっているわけではな
く、メディアが伝説の人物として作り上げる
ようなカリスマ的な指導者など誰もいないの
かもしれず、ただどこにでもいるありふれた
人たちが議会の議員になっていたり、行政の
トップに立っているわけで、しかもそれで構
わないわけで、個人が有能であるとか見識が
ある人が組織のトップに立つ必要がないよう
な制度になってきているのかもしれないし、
それが民主的な政治体制であるほどそうなる
傾向になっていくのかもしれず、誰がなって
も構わないのにたまたま特定の人物が様々な
経緯や成り行きから、そういう役回りを引き
受けることになり、実際に誰がなっても構わ
ないように教育制度が充実していて、それな
りに有能で見識を備えた成人がほとんどなら、
大して問題は起こらないわけだろうが、たぶ
んそうでなくても構わないのかもしれず、実
際にとんでもない人物が大衆の間でポピュリ
ズム的な人気を博して、政府を代表する役職
に就いても構わないのが、民主的な政治制度
であり、そうなったとしてもその人ができる
ことが一定の範囲内で限られていて、誰が代
表になっても同じようなことしかできない制
度になっている可能性があるのではないか。

 そして制度的にはそうなっているとしても、
その場の状況からその人にしかできない活動
がもたらされてしまうわけで、それがその場
の状況に合わせた活動となって、そうなった
結果から説明しようとしてしまうと、何かそ
の人が有能であったり立派な見識を備えてい
たり大胆な行動ができる人に見えてしまうわ
けだが、逆に自分を立派に見せようとしてか
っこいい演説の類いによって大衆を魅了する
ような人ほど、そうした柔軟性に欠けている
可能性があるわけで、結局メディア的な有能
さの定義と実際の状況に合わせた対応力は異
なっていて、その辺のずれを認識しづらいの
だろうし、そういうところでしばしば評価の
判断を誤ってしまうのかもしれないが、硬直
した価値基準で凝り固まっている人ほど、政
治的には無能に思われてしまうだろうし、い
つも決まり切った主張を繰り返している人ほ
ど、そうなってしまう可能性が高いのかもし
れないが、中には恣意的に認識を自己の主張
に合わせて捻じ曲げて解釈してしまう人まで
いて、本当は逆のことをやらなければならな
いわけで、自己の主張を状況に合わせないと
ならないわけだが、それがやろうとしてもな
かなかできないことであり、普通はそんなと
ころまで気が回らないわけだが、別に意識し
なくても自然にできる人も中にはいるだろう
し、それは価値基準が空っぽの相対的な功利
主義者というわけではなく、それよりはある
種の頑固さや愚鈍さを備えた人であり、しか
も状況がそういう人を利用して何かを行わせ
ようとするわけで、別に状況に人格などある
わけではないだろうが、ちょうどそうした情
勢になると、その情勢に適した人に何かを行
う番が回ってくるといった喩えがしっくりく
るのかもしれないが、そうした情勢に選ばれ
た人が出現してしまうと、自然にその人が何
かを行う成り行きになってしまうのだろうし、
そうなったところで固定したイデオロギーに
縛られた人には役が回ってこないのだが、だ
からそんな情勢に選ばれた人がごくありふれ
た人材であろうと愚かな言動が世間の注目を
浴びていようと、それが勘違いであろうと述
べていることとやっていることが一致してな
いような人物であろうと、何か黒幕的な人物
の思惑に操られているのではなく、その場の
情勢に操られていることに無自覚であるほど、
そうした鈍感さによって普通では成し遂げら
れないことが成し遂げられてしまう可能性が
出てくるわけで、そういう部分ではどんなに
有能で頭のキレる人であってもできないこと
が、ただ愚鈍であるからできてしまう場合も
あるわけで、そういう人はそれまでの常識に
とらわれずに、そこに至るまでの経緯の延長
上ではやろうとしないから、それができるわ
けだろうし、だからそういう人の行うことは
ある面では非常識で非難轟々となるようなこ
とを平気でやろうとするだろうし、そんな中
には実際にひどい結果をもたらすものもある
し、実際にやっていることのほとんどがそう
なってしまう可能性さえあるわけだが、万が
一その場の情勢に操られていることに無自覚
なら、うまく状況とやっていることが噛み合
って、今までの経緯では想像すらできなかっ
たことができることもあるわけで、そういう
意味で功罪半ばするようなことを平気で無自
覚にやってしまうのが、その手の愚鈍な人で
あり、一般的な基準で優秀な人たちは、そう
いうことをやってしまう人を非難してやまな
いわけだが、その場の情勢が主役として選ぶ
のはもっぱらその手の愚鈍な人なのではない
か。もちろん当人は自分が愚鈍だなんてこれ
っぽっちも思っていないだろうし、またそう
いう人は誇大妄想狂の兆候もあるかも知れな
いし、状況がその人を選ばなければ周囲から
相手にされない場合さえあるのではないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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