文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.6.2 「価値基準からの逸脱」

2018/06/03

 大勢で連携や協力しながら行う事業の類い
は、計画的に事を進めるのが当たり前な面が
あるかもしれないが、それが機械的な作業に
なってしまうと何か味気ないようにも思われ、
個人でやるようなことについては、ついつい
冒険的なやり方を夢想してしまうのかもしれ
ないが、やっている内容によっては、つまら
ない基礎的な修練や鍛錬を怠ってしまうと、
いつまで経っても技術的な上達は望めず、低
水準の段階で止まってしまうのかもしれない
し、そこに何か克服すべき技術的な壁がある
とすると、それを乗り越えるためには絶え間
ない修練が欠かせず、しかもそうした努力を
行ったところで、人によっては身につかない
技術というのもあるのかもしれず、それを身
につけられる人と身につけられない人との間
で、乗り越え難い差が生じてしまうのかもし
れないが、そういうところからその人にしか
できないことと誰にもできることとの間で、
価値の高低も生じてくるのだろうし、価値の
高いことができる人は希少だから、それだけ
多くの富や名誉がもたらされて、価値の低い
ことしかできない人はありふれているから、
大した富も名誉ももたらされないという違い
が生じるわけで、一般的に格差が生じるとい
うのはそういうことを言うのかもしれないが、
それが修練や鍛錬などの努力によって身につ
くかつかないかということ以外でも、運や偶
然の巡り合わせによっても、富や名誉を得ら
れるか得られないかが左右されてしまう場合
もあるだろうし、そうしたところで世の中が
公正でも公平でもないことが明らかになるか
もしれないが、それも大雑把にいうなら程度
の問題なのかもしれず、ある人が何らかの事
情や経緯から多くの富や名誉を獲得したとし
ても、そうしたことを判断基準として人を比
較するのも、そういう物事に縁のない人たち
にとっては何でもないこととなってしまうし、
人が行なっていることに関して、多くの人の
間で競い合いがあるところでは、そうした競
い合いに関わっている人たちや、競い合いに
興味を抱いている人たちの間だけで通用する
価値があるだろうし、またそうであっても一
般のメディアがそれらの競い合いを大々的に
取り上げるなら、それが広く世間で共有され
る価値となるのだろうが、一般のにわかファ
ンとなった人は、そこで行われている競い合
いについては大して詳しくないだろうから、
その方面で権威と言われている人の意見を鵜
呑みにしてしまうだろうし、そうなるとそこ
で通用している価値の意味や内容がよくわか
らなくても、権威の取り巻きのようにしてそ
れらの競い合いに興味を抱くような成り行き
になっていくわけで、そこで権威となった人
に競い合いをやっている特定の人物に関して
偏見やえこひいきのような傾向があると、価
値の中身がゆがんだ形で一般の人々に受け取
られてしまうだろうが、そうした価値自体も
それに関わっている人や団体の間の力関係や
相互作用などから決まるわけだから、競い合
いの経過や結果に影響されて絶えず揺れ動い
ているので、一概には基準や尺度が定まらな
い面もあるわけだが、そうした面を考慮しな
くても、単純に考えればそこで行われている
競い合いに勝った人や団体の価値が上がって、
負けた人や団体の価値が下がってくるわけで、
たとえ権威となっている人がいくら特定の人
物をえこひいきしても、競い合いに負ければ
価値が下がってくるのが当然の成り行きであ
って、そういうところからそれが勝ち負けの
ある競い合いなら、単純に結果から価値が決
まってくるわけだ。

 しかし世の中では単純には競い合いの勝ち
負けが決まらない場合もあるわけで、しかも
勝ったり負けたりの結果が伴わない競い合い
もあるだろうし、さらに競い合っているのか
いないのかはっきりしない場合まであるわけ
で、多くの人や団体が同じようなことをやっ
ていればそこに競い合いが発生していること
は確かなわけだが、中には競い合わなくても
済んでいる場合もあるわけで、そういうとこ
ろであまり共通の価値を想定しなくても構わ
ない場合もあるだろうし、どういう経緯でそ
れを行なっているにしても、そうした行為が
行える環境が整っていればそれで構わないわ
けで、そして特に他の人や団体などとの競い
合いを意識しなくてもそれができている状況
があれば、現状で行なっていることに関して、
その価値を他の人や団体に認めてもらわなく
ても構わないだろうし、そうした面でやって
いることの種類や傾向によっては、たとえ価
値や意味を意識しなくても、実際にそれを行
なっている現状があるだけでも、それで満足
しても構わないような状況も成り立つのでは
ないか。そしてそこで人が生きている現状が
あれば、そこで何かをやっている実態も生じ
ているだろうし、そのやっていることが特に
他の人や団体に認めてもらえなくても、実際
にそれを行なっている実態があるだけでも構
わないのなら、そうした他との競い合いが生
じないようなことをやりながら生活している
人にとっては、世間で通用するような物事の
価値にはそれほどこだわらなくても構わない
ことにもなるわけで、そういうところで他と
の比較がなければ、それに関しては人と人と
の間に格差が生じないわけだが、その一方で
一般的には世間的な評価基準や判断基準もあ
るだろうし、それがメディアを通じてもたら
される場合には、広く一般の人々の間でも価
値の基準が共有されている部分では、確かに
人と人との間に格差が生じているように感じ
られるわけだが、少なくともそれと関係なく
生活が成り立っている限りでは、現状の生活
に満足していればそれほど格差を気にする必
要もないだろうし、またはっきりした競い合
いに巻き込まれているわけでもなければ、そ
んなに他の人との差異を気にする事情も生じ
てこないわけで、そういう意味で一般に言わ
れるような格差社会の解消を目指すには、格
差そのものの解消を目指すというよりは、格
差を意識させない面を社会全体に広げて行く
ことを目指すべきなのかもしれないが、それ
に関して格差を強調して競い合いを激化させ
るような現状がある中で、競い合いのない部
分で生活を成り立たせる努力をすべきとなる
と、そうした努力が具体的に何を意味するの
かよくわからなくなってくるかもしれないが、
そうした可能性を探る上で、社会の中で競い
合わなくても済む部分と言うのがどこなのか
はっきりさせるべきなのかもしれず、そうし
たことがわかってくればそれなりに公的にも
法制化や制度化によって可能な対応も出てく
るのかもしれないが、たぶんそうした政治や
行政などに関係する面では、現状では相変わ
らず競い合いが重視される傾向になっている
のかもしれず、実際に制度的に競い合いの勝
者に富や名誉がもたらされるシステムになっ
ているだろうし、そうした面を強調しないと
政治や行政の面では活動が成り立っていかな
いのであれば、それとは逆ことをことを行う
のは期待薄な面もあるわけだが、そうである
なら現行の政治や行政とは関係のないところ
で、競い合いとは無関係な行為を広げてゆく
べきかもしれないが、それも程度やバランス
の問題に過ぎないだろうか。それらの両面が
両立しないのなら政治や行政とは無関係なの
かもしれない。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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