文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

全て表示する >

彼の声 2018.5.29 「話題の共有」

2018/05/30

 現状で起こっていることの中で、メディア
がニュースなどで大きく取り上げることを、
何か大げさに捉えて考えることが、メディア
的な宣伝や煽動に慣らされていると当然のこ
とのように思われるわけだが、そこでそれが
当然のことのように思われる成り行きが生じ
ていて、多くの人がそうした成り行きに逆ら
って物事を考えることができなくなっている
だろうし、それはそれで仕方のないことで構
わないわけだが、ただそれ以外にどう状況を
捉えればいいのかわからないし、別にわかる
必要もないのかもしれないが、そうした状況
の中で何をどう捉えて考えなければならない
のかというと、たぶん考えなければならない
ことは人それぞれで違うだろうし、違っても
構わないのだろうし、そうであるならそれに
関して、特に同じ方向や傾向の中で同じこと
を考える必要もないのかもしれず、要するに
人それぞれで違った立場や境遇の中で別々に
考えればいいだろうし、そう考えたところで
それがどんな行為や行動につながるわけでも
ないのかもしれないが、たぶん意識の水準で
は取り立ててニュースからどんな影響を受け
ているかなんてわからないだろうし、わかり
ようがないわけだが、少なくともそこから言
えることは、考えられる範囲内では、どんな
出来事が起こったところで、それほど思いが
けないことだとは思わないようにしているの
かもしれず、身の回りで起こっている出来事
の全てが日常生活の水準でつながっていて、
そこからかけ離れたことが起きているわけで
はなく、そうであるからこそ身の回りでは共
通の話題に関して共通の価値観に基づいた判
断がまかり通っていて、特にそこから外れた
ことを述べる必要も感じていないわけで、何
とか世間の話題に関して同じような認識を共
有しようとしていて、特に事の善悪について
は周りの人々と同じ判断をしたいだろうし、
それも無理に合わせようとしているわけでは
なく、割と簡単に同じ意見や主張を共有でき
るような感触を得ているのではないか。そう
した周りに合わせようとしなくても自然に合
わさってしまうような状況だと安心できるわ
けで、そういうところが日頃から同じ傾向の
メディアに接している効果なのだろうし、同
じ意見や主張を共有している自覚がなくても、
自然と同じ意見や主張が共有されていること
に驚くわけでもなく、意識しなくてもそうな
っていること自体も、別にそれがおかしいと
は思わないだろうし、要するに当たり前のこ
ととして、同じ意見や主張を共有しているわ
けで、それが取り立てて問題視するようなこ
とではないだろうし、むしろそれとは違う意
見や主張を述べる人が出てきたら驚いてしま
うのかもしれないが、実際にそういう人が現
れたためしもないのかもしれず、そうした同
質化された社会の中で生きていれば、それが
おかしいとも当然だとも思わないし、要する
に何でもないことであり、その何でもないこ
とでさえ意識しないのだから、どうしたわけ
でもないのだが、実際にそうなっているとす
れば、特に人それぞれで違った立場や境遇の
中で別々に異なったことを考えているとは思
わないし、普通に誰もが同じようなことを同
じように思い考えていると思っているのでは
ないか。少なくともそういう前提で物事を考
えているだろうし、民衆を一つの集団意識の
ようなものに囚われた単一の集合体のように
考えてしまっているのではないか。

 そう考えているとしても別にそれが何を意
味するわけでもないし、実際に世の中が同質
の集団意識に覆われていても構わないのだが、
果たして立場や境遇が異なれば違った主張や
意見になるのかといえば、確かにそこに立場
や境遇に応じて利害関係が生じていれば違っ
た主張や意見になるかもしれないが、特にメ
ディアが報じるニュースから利害関係が生じ
るとは思えないし、誰もが同じように報道に
接していればそれに対する意見や主張も同じ
ような内容になると想像してしまうのかもし
れず、もっともそんなことまで考えるわけで
もないし、多くの人はただ漠然とニュースを
見ているだけだろうし、別にそこから意識し
て意見や主張を抽出しようなんて思わないだ
ろうし、意識してそれらの報道ついて考える
わけでもないし、それが政府側寄りの報道だ
とか政府に批判的な報道だとか、そんなこと
までいちいち考えている人もそれほどいない
とは思うが、中には特定のメディアを組織的
に攻撃したい人や集団もいるにはいるだろう
が、そうした特殊な事情を抱えている人や集
団でない限りは、イデオロギーや党派性から
偏見やこじつけなどに至ろうとはしないだろ
うが、そういう無理矢理のわざとらしい違い
の強調ではなく、例えば働いている仕事や職
種から異なる意見や主張が生じることがある
かというと、あるようにも思われるが、特に
仕事や職種が同じだからといって意見や主張
まで同じにはならないのかもしれないし、実
際にはそうではない場合も容易に予想されて
しまうわけだが、仕事や職種に関係して利害
が異なる部分では、当然意見も主張も異なっ
て当然だろうが、全ての面で異なるわけでも
ないし、そこに利害関係が生じていなければ
そうはならないことも容易に想像がつくだろ
うが、その一方で普通の一般市民としては何
やら同じような意見と主張を持ち合わせてい
るようにも思われるのだが、そうした普通の
一般市民というカテゴリー分けができてしま
う水準というのが、何かあまり説得力の定か
でないフィクションが含まれてしまう部分な
のかもしれず、そうしたカテゴリー分けとし
て他にも例えば一般の労働者という水準で、
何か政策や法案を議会で審議しようとする場
合にも、何か実質的に空疎な対象としておか
しな区分や立場や境遇を成り立たせようとし
て、そこから無理な役割を想定してしまうの
かもしれないし、そうした実際に仕事をして
いる現状からはかけ離れたことを政治の場で
審議しようとすると、何かそこにおかしな立
場や境遇が想定されてしまうのだろうが、そ
こに同じ立場や境遇を持ち合わせた同質の集
団が存在するかのような仮定を設けないと、
そうした議論が成り立たないだろうし、議論
を成り立たせるためにあえてフィクションを
構成する必要が生じてしまうわけだろうが、
そういう面で実際に仕事としてそこで何らか
の作業を行なっている実態と、そうした作業
内容について政治の場で論じている水準が別
であることが明らかであるのに、そこに差異
がないかのように語らないとうまく説明でき
ないのだろうし、うまく説明できたところで
両者が別々の水準で行われている別々の作業
から成り立っている別々の活動であることは
わかりきったことなのだろうが、それでも両
者の間に何か共通認識があるかのように装わ
れるわけで、それが同じような人々が同じよ
うな話題を共有しているというフィクション
が成り立っているように見せかけるメディア
効果なのかもしれないが、たぶんそういう効
果がないと人々が話題を共有できないだろう
し、メディアそのものが成り立たなくなって
しまうのではないか。 

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。