文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.5.21 「個人の力量」

2018/05/21

 個人の振る舞いは連携している集団に支え
られている面があるにしても、何か主体的な
活動として好意的に受け取られることがある
し、その活動の成果として社会的な成功をた
たえられることもあるだろうし、他の人たち
より優れた面を認められれば、秀でた人材と
して広く世の中で尊敬されることにもなるわ
けだが、そうした個人が社会の中に存在して
いること自体が、他の人たちに何らかの影響
を与えていることも確かで、それが有能だと
思われている個人の力によって、何か社会的
にも重要なことを成し遂げられるような幻想
を抱かせるのかもしれないが、それが幻想で
はなく実質的な成果を伴った偉業だと確信す
るには、そこからさらにメディア的な宣伝活
動を介さないとそうは思われないのかもしれ
ず、良い意味でも悪い意味でも歴史上に登場
する個人という存在は、そうしたことを語る
上で欠かせない存在となるわけだが、そうや
って語られる歴史自体も、世界共通の価値観
に支えられた物語というわけでもなく、それ
が語られる地域や国によっても、偉人として
の個人の評価には若干のずれが生じてくるし、
中には過大評価されたり過小評価されたりす
る個人も出てくるだろうし、それは語るジャ
ンルによっても違ってくるわけで、例えば野
球の歴史を語る場合は、野球が盛んな地域と
そうではない地域では、その中に出てくる個
人の存在や評価は全く違ってくるだろうし、
野球が全く行われない地域では、野球の歴史
上偉大な記録を残した個人などは全く顧みら
れないだろうし、それは他のプロスポーツで
も言えることだろうが、それが政治となると
少しは世界共通の価値観によって、歴史上の
偉人に対する評価が定まっているように思わ
れるかもしれないが、それも歴史が語られる
地域や時代によってはかなり大きなずれが生
じてくるかもしれないし、特にここ二百年余
りの西洋中心の歴史観の中で語られているこ
との中では、だいぶ偏向した内容が標準的な
歴史を構成している可能性があるのかもしれ
ず、別にそれが公平さを欠いているとか間違
っているわけでもなく、世界的な覇権を確立
した地域で語られることが世界中に広まるの
は当然の成り行きで、そうやって語られる歴
史自体にも地域的に偏向した内容が含まれて
いるわけだろうが、個人が歴史の中で語られ
る分には、何らかの分野でメディア的に目立
ったことをやった人たちが語られることがあ
るとしても、一般人に関しては標準的な歴史
の中では何も語られないだろうし、特に語る
必要もなく、そういう意味で個人とは何らか
の歴史的な出来事との関連で語れること以外
では、普通に無視される存在だろうし、注目
する必要のない存在となるのかもしれないが、
そうした人々が日々の日常の中で活動する分
には、その活動に関係してくる個人の存在を
認識しているだろうし、それはメディア上で
語られる個人とは違った存在として認識され
るのかもしれないが、そうした個人が重要で
あるとかないとか、そうした意味で存在して
いるのではなく、ただ普通に関係してくるか
ら特定の個人として認識しているわけで、そ
れが社会の中で暮らしている限りで当たり前
の関係として、個人と個人との間に関係を生
じさせるわけだが、そうした関係が個人の主
体的な活動を支えている面があることも確か
なのではないか。

 日常生活の中で個人ができることが、歴史
的な出来事に関連して特定の個人が成し遂げ
たとされる偉業とは全くの無関係であること
は、誰もが承知していることだろうが、与え
られた環境の中で個人が関わってくることは、
そこで個人が個人としてやらなければならな
いことであるなら、そこで個人が最善を尽く
すしかないわけで、もちろんそうした活動に
は様々な方面から様々な作用や影響が及ぼさ
れているわけで、そうした中でできることと
できないことがわかってくるわけだが、その
中には個人としてではなく集団としての活動
もあるわけで、個人としても集団としてもで
きる範囲内で活動を行うことになるわけで、
そこで何をどう行うべきかが問われているこ
ともあるだろうが、別に何も問われていない
こともあるわけで、それもそこで生じている
他との関係から導かれることなのかもしれな
いが、たぶん現状でもそうした面があるだろ
うし、実際に今やっていることができること
の全てだとは思わないだろうが、実際に行な
っていることが今やっていることのすべてで
あることは誰もが承知しているのではないか。
それは一般人のやっていることにおいても、
例えば公の政治の領域で行われていることに
も言えるのかもしれないが、少なくともでき
ることをすべてやれるわけではないし、実際
に行なっていることをやるについては、何ら
かの選択が働いていて、できると思われる中
でやろうと思われることを選んで行なってい
ることは確かだろうし、なぜそれを行おうと
するのかといえば、たまたまできることがそ
れであったということもあるのかもしれない
が、少なくともそれをやるにあたって最善を
尽くそうとはしているだろうし、最善を尽く
して行なっている結果が現状を構成している
のかもしれないし、今できることを最善を尽
くして行なった結果が現状をもたらしている
とすれば、そうした現状に関して批判的な意
見を持っている人は、もっと何かうまい具合
にできたはずだと思いたいのだろうし、自分
にやらせればもっとちゃんとしたことができ
たはずだと思っているのかもしれないが、そ
れがたらればの仮定の論理であって、実際に
はその人が行う機会が生じなかったわけで、
そういう意味で妄想でしかないのかもしず、
現状に対して批判的な意見を持っている人の
中には、やれもしないことをできると妄想し
ている人が多いのかもしれないし、もしその
人にそれをやる機会が巡ってきたとしても、
大したことは何もできない可能性も高いのか
もしれないが、そういう面で批判の中身が本
当に妥当なのかがわかりにくいだろうし、一
見論理的に筋の通った批判が行われていると
しても、現状で論理的に筋の通ったことがで
きるかというと、実際に行われていることが
場当たり的であったり、また様々な方面から
及ぼされる作用や影響が多面的に錯綜してい
て、そうした作用や影響を避けられなければ、
論理的な筋を通すことが困難になってしまう
のかもしれないし、そうした面を考慮すれば、
案外現状で行われていることが、やっている
人や集団の力量では精一杯の対応なのかもし
れず、それを批判している人や集団にしても、
現実に主導権を握れていない点を考慮すれば、
力量的にはそれ以下だと容易に想像できるだ
ろうし、そういう意味で現状で存在している
人にしても集団にしても、力量的にも度量的
にも大して違わないような人や集団が現状の
中で存在している実態があって、メディア上
で行われる宣伝活動によって両者の間に差異
があるような気にさせられてはいるが、それ
もほとんどは幻想に過ぎないと思っておいた
方が無難なのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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