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彼の声

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彼の声 2018.5.16 「批判の機能」

2018/05/17

 それが肯定的に捉えられるにしろ否定的に
捉えられるにしろ、人は政治に幻想を抱いて
いるし、国家にも同様に幻想を抱いているの
だろうが、政治家は人々に幻想を振りまいて
いるし、それは宗教指導者にも企業経営者に
も言えることかもしれないが、それらの幻想
の中身が意味しているものが、ありえない夢
ではないにしても、都合のいいことを強調し
て都合の悪いことを隠蔽する傾向にあること
は、誰もが承知していることかもしれないが、
そうした都合のいい幻想を真に受けることに
は誰もが慣れているだろうし、また幻想では
ない都合の悪い現実が露呈すれば、マスコミ
をはじめとしてそのことに関しては誰もが批
判的な論調になるだろうし、それも誰もが承
知していることかもしれず、都合のいい幻想
をふりまいて政権をとった政治勢力がやって
いることに関して、都合の悪い現実が露呈し
てしまうのは、ある意味では必然的な成り行
きかもしれず、それは取り立てて驚くべきこ
ともでもないわけだが、そうした都合の悪い
現実を指摘して批判的な論調を展開する人た
ちにも、都合のいい幻想を振りまいている面
もあるわけで、国家に絡んだ政治的あるいは
行政的なあり方が、都合のいい幻想とともに
あることは事実であり、その一方で都合の悪
い現実も国家的な行政形態からもたらされて
いて、少なくともそれらの形態が、都合のい
い幻想だけから成り立っているわけではなく、
都合の悪い現実をもたらす活動も行われなけ
れば、そうした形態が成り立たないことは明
らかなのかもしれず、ならば都合の悪い現実
をもたらすような活動も、必要悪として認め
なければならないかというと、それに関して
批判を展開している勢力からすれば、そうし
た都合の悪い面をなくしていかなければなら
ないと主張しているのだろうが、そうした面
がなくなってしまうと国家的な行政形態が立
ち行かなくなってしまうとすれば、そうした
都合の悪い面をなくそうとする主張自体が、
都合のいい幻想に過ぎなくなってしまうのだ
ろうが、果たしてそうした幻想を伴うような
主張に実現性があるのだろうか。それに関し
ては実現を目指した活動ができるのかもしれ
ないし、実際にそうした活動を行なっている
勢力が存在しているから、そうした主張が行
われている実態があるわけだが、たぶんそれ
に関しても、そうした活動を成り立たせてい
る現実があり、そうした活動を行なっている
勢力にとって、都合のいい状況がそこで生じ
ていることになるわけだろうし、要するに幻
想を振りまく活動が成り立っている状況がそ
こに出現していることになるわけだが、その
一方で同時に都合の悪い現実には触れなくて
も構わない状況も出現しているわけで、そう
した都合の悪い現実に関しては、そうした現
実への批判を行う活動の中で指摘されて、都
合のいい幻想を振りまく活動の中では触れな
くても構わないことになり、それとこれとは
別々の活動として成り立つような状況が出現
していることになるのではないか。そういう
面ではそれこそがご都合主義的な状況となっ
ているわけで、都合のいい幻想を振りまく時
にはそれだけ主張していればよく、また都合
の悪い現実を批判する時にも批判だけやって
いればいいようなことになり、両方をいっぺ
んにやってしまうと自己矛盾に陥ってしまう
から、その辺で幻想を振りまく時と現実を批
判する時で巧妙な使い分けが成り立っている
のではないか。

 そうした幻想と現実の間でフィクションが
成り立つ要素があって、そうしたフィクショ
ンによって現実が幻想によって支えられてい
る面を明らかにできるかもしれないが、フィ
クションに都合のいい幻想を混ぜ込むのも普
通の成り行きである反面、都合の悪い現実が
フィクションによって強調されることもある
わけで、批判勢力がそうした面を強調したが
る時もあるだろうし、それ自体が虚構なのだ
から現実の世界に影響を及ぼすにしても、直
接の効果は期待できないだろうが、それが何
らかの訴えかけを伴っている部分はあるわけ
だから、そうした面を肯定的に捉える向きも
ないわけではなく、集団的な活動形態が全般
的にそこに参加している人々が抱く都合のい
い幻想によって成り立っている面があるわけ
で、それが政府にしろ企業にしろ、あるいは
何らかの宗教的な団体であるにしても、幻想
の共有によって集団の団結力を保っている面
があるわけで、そうした集団に対して実際に
その集団の活動によってもたらされている都
合の悪い現実を指摘して、批判することが可
能であるのはわかりきったことだが、都合の
いい幻想と都合の悪い現実が表裏一体な面も
なきにしもあらずで、それら全てが作用し合
ってそうした集団の活動を支えているのだと
すると、そうした集団やその活動に対して批
判することは可能なのだろうが、批判によっ
て状況を変えることができるかというと、で
きないわけではないにしても、たぶんそれに
は批判する側にとっても都合の悪い現実を変
えようとしなければいけないのかもしれず、
批判している対象だけではなく、自分たちに
とっての都合のいい幻想だけではなく、都合
の悪い現実があるわけで、その自分たちにと
っての都合の悪い現実に向き合わないと、相
手の悪い部分だけを指摘しても説得力が伴わ
ないのかもしれず、まずはそうした面から状
況を改善しようとしないと、ただ現状の中で
批判勢力としての役割分担の範囲内で活動し
ているだけとなってしまい、そうした役割分
担を超えて現状そのものを変えるきっかけに
は結びつかないだろうし、その辺がそうした
役割分担の中で活動している人たちを限界づ
けている部分であり、そこから脱却できない
部分でもあるのだろうが、しかも脱却しない
方が現状の安定に寄与している面もあるわけ
で、実際にそこから利益を得ている現状があ
れば、下手に現状を壊そうとしてやぶ蛇にな
らないとも限らないし、そういう意味で現状
維持に貢献するなら、批判勢力としての役割
分担の範囲内で活動している方が無難な面も
あるわけだから、別にそれを批判する筋合い
もないのかもしれないし、それも批判勢力に
とっては触れてほしくない都合の悪い現実な
のかもしれず、そういう意味で現状を打破す
るにはそれ相応のリスクを伴い、そんな現状
を批判しつつ現状から利益を得ている側にと
っては、自己言及を伴った批判を行うか否か
で、微妙な立場になってしまうだろうし、そ
れが現状の維持のための批判か現状を変える
ための批判かは、批判している側の恣意的な
判断にまかされている面もあって、それが正
しい判断に結びつく可能性も定かではなく、
何が正しく何が間違っているかも、その基準
が曖昧だろうから、はっきりしたことは言え
ない面もあるのかもしれないが、批判の妥当
性に関しては、結果的に批判している側にも
批判されている側に変化がもたらされず、双
方ともに現状維持の姿勢に変わりがなければ、
批判の機能が現状維持に結びついていると判
断されるのではないか。そしてそうはならな
い展開や成り行きがもたらされるなら、批判
によって現状が変わったといえる面も出てく
るだろうが、それもその場の成り行きの程度
によって、その有効性が測られるようなこと
でしかないのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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