文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.5.14 「魅力ある演技」

2018/05/15

 何かの惰性で動いている物事には自動で動
作している面があって、状況によってはそれ
を誰も止めようがなくなっていて、実際にそ
うなっていると、あえて止める必要もなくな
っているのかもしれず、それなりに被害や損
害を出しつつも続いている人為的な物事には、
頑なにそれを続けようとする人の意志も働い
ているだろうし、そうなってしまうとある程
度は自然に動作が止まるまで放って置かれる
こともあるのかもしれず、その放って置かれ
る期間が長いほど、それだけ被害や損害も拡
大するのかもしれないが、人為的にそんなこ
とを続けている側からすれば、それは被害で
も損害でもなく成果だと認識されているだろ
うし、そんな成果の積み重ねによって、自分
のたちの勢力が優勢に事を進めていると判断
できれば、さらにそんなことを続けようとす
るだろうし、それが惰性で行なっているので
はなく、積極的かつ主体的に行なっていると
思えるのではないか。そんなふうにして人は
状況に対応しているつもりが、状況の一部と
なっていることに気づかないで、そうした状
況の中で起こっている出来事に巻き込まれて
いるのだろうが、それが人為的な動作を伴っ
ていれば、そんな状況を作り出しているのが
自分たちであると認識できるのかもしれず、
それが思い違いでなければ、主導権を握って
いるのが自分たちであることを信じて疑わな
いような成り行きにもなるのだろうが、それ
も自動的に働いていることの一部となってい
るにすぎなければ、誰が主導権を握っている
わけでもなくなってしまうわけだが、そうし
た物事が物語っているのは、その場の状況に
関わっているつもりも誰もが、自分が主役で
あることを想定しながら、状況の中で主導権
を握ろうとしていて、そこで主体的な活動を
行なっていると思いたいわけで、少なくとも
状況を傍観しているわけではなく、状況に積
極的に介入しようとしていて、状況の方でも
自分を必要としていると思いたいだろうし、
実際に自分がその中で重要な役割を果たして
いる気でいるようなら、自尊心が傷つかずに
済むわけだろうが、贔屓目に見ても世界が自
分を必要としていると実感できるには、それ
相応の社会的な注目が自分に集まっていない
と、そんなふうには思えないだろうし、普通
に社会の中で暮らしている限り、とてもそん
な気にはなれないのが、偽らざる心境なのか
もしれず、実際に一般の民衆とは違って、そ
れなりに社会の様々な分野でメディア的に注
目を集めている人であっても、それは特定の
分野に限って注目を集めている程度であり、
一般的に言ってもよほどのことがない限りは、
その分野に興味のない人からは無視されてい
て、別にそれで構わないわけで、普通はそれ
以上ことは起こらないだろうし、それ以上に
なる必要もなく、たとえそれが国と国との関
係であっても、世の中の全ての人が注目する
ような出来事とはならないわけで、政府を代
表するような立場の人物の一挙手一投足が誰
にとっても注目に値するわけでもなく、外交
交渉の中身が一般の民衆の生活に直接影響を
及ぼすような問題とはなり難いわけだが、中
にはそんなことを我がことのように思って感
情移入してしまう人もいるわけで、直接そこ
に巻き込まれているわけでもないのに、介入
しようとしたがる論調に感化されてしまうわ
けだ。

 それも何でもないことの表れかも知れない
のだが、当事者たちにとっては深刻な問題で
も、傍観者たちには面白おかしい話題になる
かも知れないし、しかも誰が当事者であるか
を巡って主導権争いを繰り広げていたり、ど
うしてもそこへ介入したがる傾向があるだろ
うし、たとえ介入できなくても自らが主導権
を握っているかのごとくに語りたいわけで、
それも実質的には何でもないことなのだろう
が、何でもないことではニュースにはならな
いから、メディア上では少なくともニュース
としての体裁を整えるわけで、単なる傍観者
ではないことを強調したがるわけだが、そう
した見せかけの介入が何の効果も影響ももた
らしていないことは明白で、そうした明白な
結果を言葉で歪めようともしているわけで、
傍観者がその場の主導権を握っているような
語り方に終始するわけだが、それを見え透い
た行為だと認識させないようにする配慮まで
行き届いているとしたら、それこそフェイク
ニュースになってしまうのだろうが、たぶん
そうした涙ぐましい努力というのも、何でも
ないこととして人々の無意識に語りかける力
があるのかもしれず、それが茶番劇であるこ
とはわかりきっているのかもしれないが、そ
れでもそうした茶番劇を行うことが善意に基
づいた行為であるかのように装われるわけで、
その場の作法として茶番劇を演じなければな
らないとなると、では茶番劇ではない真の姿
がどこに現れているかとなると、そんなもの
はどこにもありはしないと思うなら、まるで
世の中で起こっている全ての現象がフィクシ
ョンであるかのように思われてしまうが、た
ぶんそこまで大げさに物事を捉えなくてもい
いのだろうし、誰もが当事者になる必要はな
いし、誰もがそこへ介入する必要もなく、興
味がなければ傍観者になることさえ余分な動
作であり、それが公の政治的な問題であって
も、必要以上に騒ぎ立てるには及ばないのか
もしれず、ただ制度的に介入できるところで
介入すればいいことでしかなく、それ以外の
ところでは無理に宣伝や煽動に加わる必要も
なく、感化されるような成り行きからも離れ
ていればいいだろうし、また傍観者のように
事ある度ごとに群れ集うことも不要で、それ
では過剰な参加意識の増長にしか結びつかな
いだろうし、必要以上にそうした善意の連帯
に賛同していると、肝心な時に致命的な判断
ミスをやらかしてしまい、それが状況を変え
る力にはならないわけだが、なぜそうなって
しまうのかというと、それらの何でもないこ
とを何でもないこととして認識できなくなる
からで、いつでもどこでも最大限の非難や反
対で応じていると、物事の程度がわからなく
なって、そこに力の強弱やアクセントをつけ
られなくなってしまうわけだ。状況に応じて
力の緩急をつけていかないと、やっているこ
とや述べていることが一本調子になってきて、
どんな状況でも同じ対応しかできなくなって
しまって、それではうまくいかないのはもち
ろんのこと、何よりもそうした一本調子の対
応では、やっていることがマンネリ化して飽
きてしまうし、つまらないことには他の人々
が興味を示さなくなってしまうわけで、実際
に独り善がりな正義漢ぶった行為が一般の民
衆から嫌われることにもなるだろうし、たぶ
んそうした独善的な態度を改めて、その場で
演じられている茶番劇を楽しむぐらいの余裕
のある姿勢を見せれば、それなりに魅力的に
見えるのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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