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彼の声

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彼の声 2018.5.13 「弊害の持続」

2018/05/14

 戦略的な活動は利害がはっきりしていれば
利益を得るためにやるものだろうが、利害が
はっきりしていなければ、戦略そのものが練
り上げられないだろうし、また目的がよくわ
からないままでは戦略を立てようがなく、ど
うやっても暗中模索のようなことしかできな
ければ、戦略以前に活動そのものがよくわか
らないものとなってしまうのかもしれず、そ
れでも何かやっている実態があるようなら、
それは何でもないような活動となってしまう
だろうし、実際にそんな活動はありえないの
かもしれず、そんな何だかよくわからないよ
うな状況の中でも、とりあえず目先の判断に
基づいて目的や利益などを設定して、それを
目指して活動していくわけだろうし、またそ
うであっても結果的に思い通りには行かず、
期待したような達成にも利益にも至らなけれ
ば、無駄で意味のない活動に思われてしまう
だろうが、それでも実際に活動が成り立って
いる状況があれば、そうした活動は思ってい
るほど否定されるようなものでもないのかも
しれず、そもそも社会の中で様々な勢力の間
で思惑や作用や影響などが錯綜している状態
ならば、結果的に何をやりたいのかはっきり
しないようなことが行われている実態になっ
てしまうのかもしれず、そうなっていると部
分的には戦略的な利害関係に基づいて活動が
行われているにしても、それが様々な活動の
中の一つに過ぎないものとなっていると、そ
うした活動の中でいると全体的な視点という
のが無効になっていて、そんなありえない視
点から空想してみても、状況を正確に捉える
ことはできず、かといって状況を単純化した
二項対立の関係で捉えても、さらにいい加減
な認識しか出てこないだろうし、そうした認
識に頼って現状分析してみても、誤った判断
しかもたらされないのかもしれないが、そも
そも正しく認識することが不可能な状況なら
ば、少なくともその場で活動している誰もが、
自分の都合に基づいた認識しか持っていない
わけで、自分の都合の中ではそれが正しい認
識だと思われるだろうが、それとは異なる認
識を持っている他の人も、その人の認識が正
しい認識だと思われてしまうから、各人がそ
れぞれに異なった正しい認識を持っているこ
とになり、当然そこに認識のずれが生じてい
て、全体として統一された現状認識にはなっ
ていないわけで、各人が想い想いの正しさの
中で自足できれば、それに越したことはない
わけだが、もちろん人と人とが関係し合い接
触するわけだから、自分が思い描いたような
正しさの中では自足できないわけで、そこに
は必ず対立や軋轢がつきものとなるわけだが、
賢明な人たちはそうした正しさからは一歩退
いて、なるべく関係者の共通の利益や目的に
なるように調整して、それによって他の人た
ちと連携を模索するようなことをやり始める
わけで、そうした試みがうまくいけば、より
多くの人たちから支持を得られるようなこと
をやりたがる傾向になるわけで、できればそ
れが宣伝や煽動によるごまかしとはならずに、
実質的にも多くの人たちに利益がもたらされ
るような活動に結びつけばいいわけだが、そ
うした調整や妥協がうまくいく保証はないわ
けで、そういう試みはやってみないことには
結果が伴わないわけだ。

 そして思わしい結果が伴わなくても続けら
れてしまう場合もあるだろうし、多くの人た
ちがそれに関わっている状態では、たとえう
まくいかなくてもそれなりに続いてしまうわ
けで、そうしたことが惰性で続けられてしま
うのが、人々が力を合わせて連携しながら行
うことの強みであり、多少の無理は利くし気
に入らない状況でも我慢できる限りで続いて
しまうわけで、そうした活動が許容の限度を
超えて継続されていくと、不感症となって人
人の意識に何でもないような感覚をもたらし
てしまうのかもしれないが、結果的にそれが
誰の意志で続いているわけでもなく、何とな
くやめるにやめられない状況というのが案外
ことの外長引くわけで、もちろんそこで主導
権を握っているつもりの勢力が自らやめるわ
けがないのであり、周りがやめさせなければ
いつまでもやっていることになり、そこに見
過ごせないような弊害が生じていても、それ
をごまかしたり隠蔽しながらも続けようとす
るだろうし、実際に続けられている限りは続
けるのだから、続けることに関してそれ以上
の理由など要らないわけだ。そうなってしま
うとやっていること自体は戦略に基づいてい
るのでも何でもないし、とりあえずやってい
ることをやり続けていればいいわけで、しか
もそのやっていることに関して批判を浴びよ
うが非難されようが、それがやっていること
をやめさせることに結びつかないような成り
行きになればいいわけで、しかも誰がそうい
う成り行きを制御しているわけでもなく、そ
うである限りにおいていくらでも批判も非難
もできるわけで、またそれが誰のせいでそう
なっているわけでもなく、誰もそれを止める
ことができない実態も生じて、そして実際に
それがどうしたわけでもなく、そんなどうし
たわけでもない感覚を伴いながらも、何でも
ないことの続きがいつまでも続いていってし
まう状況の中で、それに関して実害や弊害を
いくら指摘しても、やはりそれで何がどうな
るわけでもなく、実際に指摘したい人はいく
らでもそれを強調しすぎるほど強調するだろ
うし、たとえそれが人々の実感からはかけ離
れているとしても、激しい口調で非難を繰り
返すしかないわけで、もちろんそんな非難も
誰も止めないし、止める筋合いもないのかも
しれないが、それも多くの人にとっては何で
もないことでしかないわけで、たぶんそう思
っている限りでそれ以上の事態にはならない
だろうし、それ以下にもならないだろうが、
そうなっている限りはそんな活動が延々と続
いていくことになってしまうのではないか。
そしてそこで理解しなければならないのは、
取り立てて何がどうなっているわけでもない
ということであり、たとえそこで行われてい
ることが無駄で無意味なことのように思われ
ようと、やはりそれが何でもないことには変
わりなく、そうなっているから危機感を煽ろ
うとする人々の目論見は外れ続けるしかない
だろうし、危機でも何でもない状況を危機だ
とは感じられないわけで、だからと言ってう
まくいっているわけでもないし、それに関す
る実害や弊害を指摘しようとすればいくらで
も指摘できるだろうし、実際に批判勢力によ
ってそんなことがいくらでも指摘されていて、
別にそれが的外れというわけでもないのだろ
うが、それでも現実に現状を継続させようと
する活動が続いているのだから、そんな活動
によって利益を実感している人たちが確実に
存在することになるのではないか。たぶんそ
うした現状が世界を覆っていて、その中で何
かを行なっている人や勢力が現実にいるわけ
だが、その行なっていることが何でもないこ
とのように思われてしまうわけだ。そしてな
ぜこんな世界が実現しているのかというと、
もしかしたら人々が言及している対象にずれ
が生じていて、そのずれの中でしか対象を認
識できないから、全ての言及がその対象から
ずれていて、それが言葉の正確さを欠いて、
その結果として焦点の定まらない何でもない
感覚をもたらしているのではないか。
 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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