文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

全て表示する >

彼の声 2018.5.12 「自由と民主」

2018/05/13

 政治的な用語で使われる自由という言葉に
は、自由という本来の言葉の意味からはだい
ぶずれた実態を想起させられるが、実生活で
は安易に自由という言葉が示す状態を想像で
きるにしても、実際に自由な状況というのは
あるようでいて、厳密にはあり得ない状況で
もあり、普通に人が自由を意識するのは余裕
があることの証しであり、経済的に余裕があ
ったり時間的に余裕がある時には、自由であ
ることを意識しやすく、そういう場合は不自
由な状態であるよりは相対的に自由な状態で
あることを感じるわけで、そういう場合の価
値としての自由は肯定的な意味を持つだろう
し、反対に自由な活動が制限されるような場
合は、実際に自由ではなくなって否定すべき
状況だと思われるわけだが、活動自体に目的
があって目的のために自由が制限される場合
には、ある程度は不自由でも仕方がないと思
われるだろうし、目的にを成し遂げるために
活動しているのであれば、他のことをやる自
由などいらないだろうし、そういう意味でな
ら自由は無駄で余分なことになってしまうか
もしれないが、果たして自由な活動が行える
状況で目的が必要かというと、活動に目的が
生じたらそれ以外のことを行う自由などなく
ても構わないと思うかもしれず、そうした場
合には自由と目的は両立し難いように思われ
るだろうし、実際に何をやっても自由だと言
われたら、逆に何もやる気がなくなってしま
って、そうなると生きる気力も意味もなくな
ってしまうわけではないが、そうであるなら
かえって何かしら目的に拘束されている方が
生き甲斐を感じるだろうし、そういう意味で
なら人には生きていくために目的が必要だと
思われてしまうだろうが、自由でいることよ
りは目的のために生きることが優先される傾
向となると、自由であることの意味などなく
なってしまいそうだが、普通はそんなふうに
自由と目的とを比較などしないだろうし、目
的が生じていれば目的のために努力しようと
するし、また自由を求めている時には、自由
になることが目的となって、自由になること
を目指して努力するのではないか。結局そこ
に何らかの成り行きが生じていることが、人
がその成り行きに合わせて活動して、そこか
ら活動の目的などが生じてくるわけで、そう
した成り行き次第では、その目的が自由を獲
得することや自由を目指すような目的となる
こともあるわけで、そうした成り行きが生じ
ていなければ、取り立てて自由に関して目的
や活動など絡んでこないだろうし、そうした
成り行きの中で自由という言葉を使う必要が
生じてきたり、何か自由を目指すような活動
が生じてきた時に、自由という言葉を使うこ
とに価値を感じたり、それを目指す活動にも
幻想を抱けるようになるのだろうし、それが
政治的な意味であからさまに自由を唱えるよ
うな成り行きになってしまうと、そこで唱え
られている主義主張や活動を正当化するのに
かこつけて、自由を守るだの自由を目指すだ
ののスローガンが出てきてしまうわけで、そ
うなってしまうとそこで使われている自由が
何なのか、その意味も実態もよくわからなく
なってしまうのではないか。

 また民主というと民衆が主体であったり主
人公である状態を目指すのが、民主的な政治
姿勢であるように思われるのだが、実際に民
衆に主権があるのが民主的な政治形態である
わけだが、それも現状の実態に照らし合わせ
ると政治的なフィクションであるように思わ
れてしまい、もはや民主という言葉自体に実
質的な意味がない状態となっているのかもし
れないし、それに関して何かすぐに否定的な
仕掛けを弄して民主という言葉を愚弄するよ
うな人々もいるわけだが、そういう意味で政
治的な実態が理想からかけ離れているのも普
通の政治状況であり、使っている言葉の意味
などいつの間にかどうでもよくなっているわ
けではないが、そこに言葉を使っている人の
都合が反映されるのは当然としても、民衆の
実態も意識も人によって千差万別には違いな
く、場合によっては政治の内容が民主的であ
る必要さえ定かでなく、民主的な政治という
のが何でもないことになりつつあるのかもし
れないし、そこに普遍的な価値を付与できな
いだろうし、それを肯定する必要さえなく、
肯定しすぎるとかえって主張している内容が
空回りするような状況となっているのかもし
れないが、それでも形式的には制度としての
政治体制が構築されていて、そこで実質的な
活動が行われているわけで、民主という言葉
がもはや何でもないことであるのとは裏腹に、
誰もそれを儀礼的な儀式であるとは思えない
だろうが、実態としてはそうなっているのか
もしれないし、それを言葉で説明するよりも
実態のある活動内容として捉えれば、絶えず
何らかの交渉が行われているわけで、その交
渉内容や交渉結果として世の中に何らかの影
響や作用を及ぼしているのだろうし、少なく
ともそれがメディア上でニュースとなってい
るわけだから、民衆の注目を浴びていたり、
その実態の定かでない民衆の支持を得ている
ことにもなっているわけだ。そして政治にそ
れ以上のリアリティがあるとは思えないし、
それ以上の何が実際に行われているわけでも
ないのだろうが、民主という言葉にこだわら
なければ、単なる行政的な活動としての政治
が普通に行われていることに気づくわけだが、
そういう意味で政治とは公的には行政活動の
類いであり、私的には経済的な利益の追求の
延長上で、自らの立場を社会の中で有利に導
くような工夫として、人や集団の間で様々な
画策が行われている実態があるわけだが、た
ぶんそれらの活動を正当化する根拠として、
民主という言葉が使われている実態もあるの
だろうが、そうした場合の実態と民主という
言葉の意味の間に、何か説得力のある結びつ
きがあるかというと、それは言葉の意味とい
うよりは、慣習として使われている一方で、
その意味に合うような使われ方をされている
わけではなく、ただの添え物や飾りとして象
徴的な役割を担っている場合がほとんどだろ
うし、そうなっていると実質的には何でもな
いことなのだろうが、ともかく自由とか民主
とかいう言葉に何らかの肯定的な意味がある
ことは確かなのだろうが、そうだからといっ
てそれとそれらが使われている実態とはあま
り関係がないのかもしれず、別に関係があろ
うとなかろうと誰も困らないのかもしれない
が、そうした成り行きの中でそれらの言葉に
いかなる効果があろうとなかろうと、少なく
とも言葉が使われている実態があるのだから、
それ相応の機能がそれらの言葉にあることは
確かだが、使っている人がそれを意識してい
るかどうかは定かではないのかもしれない。 

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。