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彼の声 2018.5.8 「個人と集団の比較」

2018/05/08

 たぶんそのような比較が可能な場合には、
個人でできることと集団でできることの間に
は、何か決定的な差があるように思われるか
もしれないが、集団の中で個人が機能してい
る場合は、個人が集団の助けを借りながら何
かをやっている実態があるだろうし、現実に
はそうした個人と集団との連携によって、世
の中のほとんどの活動が網羅されてしまうの
かもしれないが、そうだとしても社会の中で
個人が単独で何かをやることが果たして可能
かというと、たぶん個人が単独で活動してい
るように思われる場合でも、何らかの形で集
団が協力している場合がほとんどで、実際に
程度の差こそあれ、社会の中で活動していれ
ば個人が何らかの集団と関わりを持っていて、
ただ関わりのある集団からの拘束力が強いか
弱いかで、個人としての活動の自由度に違い
が表れるわけで、そういう意味で個人として
の単独性にこだわる必要はないのかもしれな
いが、それでも活動の内容として個人の単独
性が強調される場合があるだろうし、例えば
何らかの偉業を成し遂げたことを賞賛する時
には、その賞賛の対象が個人であれば、その
個人が単独で偉業を成し遂げたように語られ
る場合があるだろうが、そうした場合でも実
際には何らかの集団のサポートがあったこと
も語られるだろうし、その証拠に偉業を達成
した個人の口からは、それを成し遂げるにあ
たってサポートしてくれた団体に対する謝意
が述べられることも多いだろうが、そうした
個人の業績として讃えられるような活動には、
たとえその活動を支えてサポートしてくれた
何らかの団体が存在したとしても、しきたり
としてはその個人の固有名を強調して、その
個人を讃えるような形式が求められるわけで、
そうした場合は活動の形態が個人としての活
動とみなされるだろうし、賞賛の対象が個人
でなければならないような形式が制度として
定められている場合もあるわけで、具体的に
はそれがスポーツなどの個人競技になるだろ
うし、また学術など研究発表でも、団体とし
て行われる場合と個人として行われる場合と
で区別がつくわけで、そうした個人が実質的
にチームとしてサポートメンバーなどを抱え
ていても、その個人の名前を冠した形態にし
なければならないかというと、慣習としてそ
うなっているとしか言いようがない部分があ
るにしても、明確にそうなっている面とあや
ふやな面とがあって、あまり積極的には区別
を強調できない面もあるだろうし、実際に個
人だろうと団体だろうと、そこを気にする必
要など意識せずに、ある場合には個人である
こと強調して、またある場合には個人でも団
体でもどちらでも構わないような成り行きの
中で活動していて、何かそこに重大な差異な
ど見出せないのかもしれないが、だからとい
ってどうでもいいわけでもなく、実際に個人
で行なっている活動にこだわっている場合に
は、何かそこに個人であることを強調するこ
とによって、何らかのメリットが生じている
のかもしれず、そのこと自体に着目して考え
てみると、何か今までには気づかなかったこ
とがわかるのかもしれないし、そういうこと
に関して社会のあり方についての新たな可能
性が浮かび上がってくるのかもしれない。

 一般的にはある時は個人であることを強調
して、またある時は団体で活動することを優
先させる場合もあるし、そこに慣習が働いて
いるとすれば、個人が優先される慣習と団体
が優先される慣習とがあり、社会の中のある
面では個人が優先されて、またある面では団
体が優先されるような成り行きになっている
のかもしれないが、制度として明確な規定が
あるところではわかりやすいだろうし、そこ
では個人としてやらなければならないところ
と、団体として行うところがはっきりと区分
けされていて、個人としてやらなければなら
ないのに団体が関与したり、またその逆のケ
ースとかがあると、それは明確な違反行為と
されてしまう決まりがあるだろうし、そうい
うところでは個人と団体のどちらかが有利不
利という比較にはならないだろうが、そうし
た明確な規定がないところでは、普通は団体
として動いた方が力を持つような場合でも、
個人として何らかの役割を果たせる可能性が
生じているのかもしれないし、例えば特定の
個人が著名人として社会の中で民衆の広範囲
な信頼や信用や支持を得ているような状況が
想定されるわけで、そうなっていると何かそ
の個人に力があるように思われるわけだが、
その力があるように感じられるところが多く
の人が抱く幻想なのかもしれないし、そんな
ふうにして特定の著名人が優れているように
思われて、その著名人が実際に民衆の支持を
集めて公の政治に参画して、政府の主要な役
職などに就いてみると、大したことは何もで
きないような状況となることも、結構ありが
ちなケースとしてよくあることかもしれない
が、そうした場合は、その著名人が著名にな
った成り行きの中で、何か優れたことをやっ
たように見えたから、そうしたところでは確
かに優れていたかもしれないが、それとその
後に民衆の支持を集めて政治に参画した経緯
とは別の成り行きであって、その人が著名人
となった成り行きの中では優れた業績を上げ
かもしれないが、政治家としてはそうでもな
かったということになるだろうし、結果から
見ればそういうことになるのかもしれないが、
政治家となった時の状況の中で、その人に何
もやらせないような力が周囲から及ぼされて
いたのかもしれないし、その人がいくら優れ
ているとしても、周りがサポートしてくれな
いと何もやれないような仕組みとなっている
場合もあるだろうし、また政治制度の中で政
府の主要な役職に就いても、それだけでは力
を発揮することができず、その役職に就いて
いる人がやることができる権限がそれなりに
制限されていて、その制限された範囲内で何
かをやろうとしても、他の役職に就いている
人との力の相互作用の中で相殺されてしまう
ような具合になっていたりして、またたとえ
それが首相や大統領のように最高権力者のよ
うな立場であっても、民主的な三権分立体制
が成り立っていれば、いったん議会や司法と
軋轢が生じると、うまく政策を推し進められ
ないような成り行きにもなるだろうし、また
行政の官僚機構などの助言を受け入れるよう
な成り行きになれば、それだけで当初にやろ
うとしたことに変更を迫られてしまうだろう
し、そうした制度的な妨げの効果というのは
無視できない力を及ぼしてくるわけで、そう
した面で個人が組織的に集団のコントロール
を受けてしまう成り行きも結構あるのではな
いか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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