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彼の声 2018.5.7 「政治的な主導権」

2018/05/07

 政治的な主導権というのは、それを握って
いる側でも、それだけで権力を行使してやり
たい放題なことができるわけではなく、実質
的にも定められた役割以外のところで何がで
きるわけではなく、たぶんできることは、そ
の場に及ぼされている様々な作用の交通整理
のようなことはできるのかもしれないが、そ
れも絶えず状況に対応したことしかできない
のではないか。政府として何かをやろうとす
れば、行政の担当者と交渉して、行政機構の
活動と折り合いがつく範囲で、やれることが
限られてくるだろうし、また行政の活動との
兼ね合いで、行政側が用意した段取りに則っ
た形で行われるわけで、そうなっている時点
でやりたい放題なことはできなくなっている
だろうし、もちろんやりたい放題の中身が何
なのかがよくわからないところだが、何より
もそれが行政の活動としてフィットするかど
うかが問題となるだろうし、そこから外れた
不自然に思われるような活動はできないわけ
だ。またそうである限りにおいて、政治的な
主導権というのは行政機構の活動に依存した
形で成り立つわけで、そうなると実質的に主
導権を握っているのは、行政機構である可能
性が高いのかもしれない。とは言っても政治
家が主導権を握っているように装われるのだ
ろうが、その装われ方が政治主導を印象づけ
るような演出が施されていようと、行政と一
体となって動いていることには変わりなく、
その集団的な動作の中で、政治家が主導的な
役割を担っているような形をとるのだろうが、
実際に行われることは行政の内部ですり合わ
せが行われていて、大抵は行政の意を汲んだ
形で政治家が行政側の都合に沿った発言する
ことが多く、少なくともそれは政治家個人と
しての独自な意見ではないだろうし、政府と
しての立場に配慮できる範囲内で言葉を選ん
で発言するような成り行きになるだろうが、
そこから踏み出して政治家の個人的な事情を
反映させるような内容を述べれば、たちまち
政府の方針との間で食い違いが生じてくるか
もしれず、そうしたずれを突いて批判されよ
うものなら、結局は政治家の個人的な事情よ
りは、政府としての都合が優先されるような
成り行きになる限りで、主導権を握っている
のが政治家側ではなく、行政側にあることが
はっきりするのではないか。そういうところ
で行政の組織的な事情が優先されるような傾
向があれば、政治的な冒険などできないこと
も明らかになるだろうし、またそれが行政の
主導権を示しているとしても、特に行政機構
の中で、特定の誰かが主導権を握っていると
いうのではなく、集団としての意向がそうし
た官僚機構全体から滲み出てくるような様相
となるのかもしれず、それは特定の誰の意見
というわけではなく、そうした意向に逆らえ
ないような空気が、その場を支配しているよ
うに感じられるわけで、特定の誰がそう感じ
られるというよりは、誰もが自然に行動すれ
ば、そうなってしまうような同調圧力がかか
っていて、それはそれについていくら抵抗し
ても、逆らうような契機が出てこない状況と
もなっていて、その場で組織的に動いている
全員が、その場を支配しているように思われ
る空気に対して、足並みをそろえて同調して
しまう成り行きが生じているのではないか。

 そしてそれの何がいけないというわけでも
なく、政府という機関に対応した言動や行動
を強いられるのは、政治家としても当たり前
のことになるのかもしれないし、そうした役
割を演じることが政治的な主導権を握ってい
ることになるのだとすれば、それは演技以外
の何物でもなく、民衆に支持されるように演
じることが政治的な理想形態と言えるのかも
しれないが、その演技形態のバリエーション
としてリベラル的な演技もあれば保守的な演
技もあって、その形態に応じた鋳型通りの演
技が求めてられているのかもしれないし、ま
た場合によってはそこから少し逸脱するよう
な人間臭さも必要で、何か義理人情的な発言
や行動ができれば、メディアがそれにふさわ
しい言葉を探し出してきて、肯定的な振る舞
いとして評価してくれる場合までもありそう
で、たぶんそれで何も問題がなければ済んで
しまうようなことなのかもしれないが、時に
は政府が行なっていることに対する批判や反
対運動が起こるような成り行きもあり、そう
した時に政治的な主導権を握っている側は、
当然のことながら政府側の代弁者として振る
舞わなければならなくなり、批判や反対運動
を行なっている側から悪者扱いをされるわけ
で、そこでも行政の官僚が用意した言葉を使
って振る舞う限りで、ありふれた政治家の紋
切り型としての役割を全うできるのかもしれ
ないが、やはりそうなっていること自体が行
政側の主導権を印象付けているわけで、特定
の誰がその場で主導的な役割を果たしている
わけではなく、制度的な役割分担の中で誰も
が台本通りの演技に邁進している状況が構成
されていて、それを超える言動や行動は求め
られていないわけだ。そしてそうだからとい
って、そうした状況がまずいわけではなく、
状況としてはそれで構わないわけで、そこで
求められているのはそうした状況に対応した
言動であり行動なのではないか。そしてそう
した状況への批判も含めてその場で演じられ
ている役割分担なのであって、そこに関わっ
ている限りはそうした役割分担の受け入れは
避けられない成り行きであり、誰もがそんな
役割分担の範囲内で決められた演技を行うよ
うな成り行きに巻き込まれてしまい、それが
その場で働いている制度的な拘束であること
を実感するしかないのかもしれず、自らがそ
んな制度に則って発言して行動していること
を実感させられるのではないか。そうである
なら無理にそこから逸脱しようとしたり、逆
らうような行為は慎むべきなのかもしれず、
その代わりに絶えずその場の状況にフィット
するような動作を心がけることが肝心で、そ
うやってうまくその場に適応できた人がその
場の主導権を握っているように見られて、そ
うした人に民衆の支持が集まるのではないか。
要するにその場でどう振る舞うかが、政治的
な成功の鍵となるわけで、そのためにはその
場の状況を見極める必要があり、その場で何
が求められているかを素早く察知して、求め
られている動作を行なって、それが自然な振
る舞いであるように見えれば、民衆が好感を
持つだろうし、そうした民衆の心理を利用し
て賛同者を集めながら勢力を拡大してゆけば、
政治的な主導権を握ることができるのかもし
れず、そうしたことを目指すには現状の政治
情勢にフィットするような演技に磨きをかけ
ることが肝要となるだろうか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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