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彼の声

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彼の声 2018.5.4 「相対的な価値」

2018/05/04

 単純な経済活動から生じる生産形態や流通
形態や販売形態や消費形態の中では、そこで
わかりやすい価値や信用がはっきりした形で
出てくるかもしれないが、そこに言葉や映像
などを用いたまやかしの宣伝や煽動が伴って
くると、それらに幻惑されて価値や信用がゆ
がんでしまい、それに関して何か勘違いや思
い違いが起こりやすく、そうした宣伝や煽動
を真に受ける人たちには、それが勘違いや思
い違いとは思えないわけだが、さらに宣伝や
煽動を仕掛けている側でも、本気で価値や信
用が自分たちの宣伝や煽動によって高まった
と思い込むだろうし、そう思っている人々が
世の中の多数派を占めていれば現実にそうな
ったことになってしまい、そういう意味でそ
こで生じている価値や信用も、それを高めよ
うと画策している人たちによる宣伝や煽動に
左右される面があり、さらにそこに安易な宣
伝や煽動に騙されないように警鐘を鳴らす人
たちまで加わってくると、そこで価値や信用
を巡って対立や争いが起こっていることにな
るわけだが、人の意識がそうした出来事に巻
き込まれてしまうと、それに対して無関心で
はいられなくなってしまうわけで、そうなる
とどうでもいいようなたわいない物事につい
ても、それらに絡んでくる過剰な宣伝や煽動
を真に受けて真剣に議論するような成り行き
にもなるだろうし、そうした成り行きに疑問
を感じられなくなってしまうのであり、そう
なると世の中に生じているどんな些細な事柄
にも首を突っ込んで、そこで大げさな問題提
起をしてみたりする事大主義的な傾向になっ
てしまうわけで、それ以前に何が瑣末な出来
事で何が深刻に受け止めるべき重大な出来事
であるかについて、明確ではっきりした基準
がないことから、とりあえずメディア上で大
げさに取り上げられる出来事が、人々が深刻
に受け止めるべき重大な出来事であるかのよ
うなコンセンサスがある程度出来上がってい
る状況の中では、それに関して無関心ではい
られない心理状態も出来上がっていて、それ
も宣伝や煽動を真に受けることと地続きな面
もあるわけだが、もうそうなってしまうとそ
れが勘違いとか思い違いでは済まないような
成り行きが制度的に確立されているとも言え
るわけで、しかもそれが別に悪いことではな
く、メディアが大々的に報じる世の中の共通
の話題に多くの人々が関心を持つのは当たり
前のことであり、そこに共通の価値や信用が
生まれていて、そのような物事に対する受け
止め方を基準として、何が瑣末なことで何が
重大なことかについて、共通の了解事項が出
来上がっていれば、それに追従していればい
いことであり、それ以上に認識を深める必要
がないと思えば、それで済んでしまうような
制度だと捉えておけば、認識としてはそれほ
ど間違ってはいないのかもしれず、そうであ
るなら別にそれがはっきりとした制度として
確立されているわけではないにしても、感覚
としてメディアが報じる世の中の話題に関し
て、それを真に受けるでも逆らうのでもなく、
それ以上に幻想を抱かなくても構わないよう
な水準で把握しておけばいいことでしかない
だろうし、そこに生じている価値や信用など
も、それらの話題を人々が受け止めている感
覚の程度に応じて、それらの程度にも人によ
って差があることぐらいは認識しておいた方
がいいだろうし、いずれにしてもそれ以上で
はないことは踏まえておくべきなのではない
か。

 そして価値や信用が相対的な物事の尺度で
あり、それを出来事や現象として受け止める
人の感覚の強度に応じて差異を伴い、人によ
って価値や信用に差が出てくるのは当然のこ
とであり、誰もが共通の尺度でそれらの重要
性を測れるわけではなく、世の中には多種多
様な物事を測る尺度があり、何が重要であっ
て何が大したことはない問題であるかについ
て、人によっても立場によっても差があるの
は当たり前のことだろうが、そうした価値や
信用の程度をできるだけ共通の尺度で統一し
ようとする試みもないわけではないにしても、
無理に他人の尺度に自分の尺度を合わせる必
要がなければ、それに関してはそのまま放置
しておいても構わないのかもしれず、事の重
大さに気づいたり気づかなかったりすること
が、気づいた人にとっては重大だが気づかな
い人にとっては大して重大でもないわけでは
ないにしても、そうしたことからそこで起こ
っていることが重大であると受け止められた
り、あるいは大したことはないと軽視された
りするわけで、それを重大だと受け止めた人
にとっては、大したことはないと軽視してい
る人たちは勘違いや思い違いをしていること
になり、逆にそれを軽視している人たちにと
っては、それを重大だと受け止めている人た
ちこそが勘違いや思い違いをしていることに
なるわけだが、そうした認識の違いを巡って
対立や争いが起こるにしても、それ自体が瑣
末な問題でしかなく、世の中で起こっている
出来事をどう受け止めるかというよりは、そ
の出来事に直接巻き込まれてしまう人々の振
る舞い方が実際に問題となるわけで、それを
たわいない瑣末な出来事として軽視している
人にとっては、その出来事に巻き込まれて翻
弄されながら右往左往している人々が滑稽に
見えてしまう一方で、それを重大な出来事と
して深刻に受け止めている人にとっては、出
来事に巻き込まれている人々が何か決定的に
重要なことをやっているように見えるだろう
し、その差がどこから生じているかといえば、
そうした出来事を世の中の話題として報道す
るメディアの伝え方をどう見るかによって、
それに対する受け止め方が違ってくるのかも
しれないが、果たして人によって受け止め方
にそれほど大きな開きが生じるかというと、
どのメディアも同じように報道していれば受
け止め方に差が生じるはずがないと思われる
かもしれないが、なぜか出来事への違和感や
距離感の違いが人それぞれに生じてしまうわ
けで、それはその人の持っている知識量の差
としても現れるだろうし、経験として生きて
きた境遇やその歳月の長さや中身の濃さや強
度にもよるだろうし、それは意図的に価値や
信用を歪ませる安易な宣伝や煽動に対する分
析能力にも違いが生じるわけで、そこに軽薄
なまやかしが含まれていることに関して敏感
に察知できる人と、察知できずに真に受けて
しまう人との間に、何か決定的な差が生じる
ような世の中にはなっていないとしても、わ
ざと道化を演じている人と単に滑稽な状態に
なっている人の間に決定的な違いがあるよう
に、そこで演じられている意図的な作為の表
現には、無理なこじつけが必ず含まれていて、
それに関してわざとらしい紋切り型の表現が
多用されていたり、中身が希薄な単純化を施
されてわかりにくい面が除去されていたり、
妙にお仕着せがましい論調に終始していたり
して、そうした兆候が宣伝や煽動のあちらこ
ちらから垣間見えるような様相を呈していて、
もはやそこにはわかる人にはわかる以上の滑
稽さが醸し出されていて、それに関してはも
う笑ってしまうしかないような悪意が至ると
ころに散りばめられているのだが、要するに
それを真に受ける人たちが馬鹿にされている
のに、逆にそれをありがたがってしまう滑稽
さは救いようがないのかもしれない。
 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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