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彼の声 2018.4.27 「環境への適応」

2018/04/27

 人には個人としても集団としても何らかの
目的が生じている限りで、それに絡んだ活動
を行なっている実態があるのだろうが、その
活動の実態の中で様々な出来事を引き起こし
ていて、それが何かをやっていることの全て
なのかもしれないが、そんな目的に応じた活
動以外で、その場の状況に対応するための活
動もあるわけで、普通はその場の状況に対応
することが目的とはならず、自分から積極的
に何かをやろうとすることが目的になるのと
は対照的に、その場の状況に対応しようとす
るのは、どちらかといえば受け身となるよう
な受動的な活動と言えるだろうし、目的以外
で何かをやるとなると、そんな受け身的な活
動となるのだろうが、なぜそれが必要となる
かといえば、人には自身の外部からも内部か
らも何らかの作用や影響が及ぼされていて、
そのような作用や影響に対処しなければなら
ず、それ以外にも目的に応じた活動からも思
いがけずに想定外の出来事が起こってしまう
場合があり、その思いがけない想定外の事態
に対応を迫られる時もあって、そういう面も
含めて対応しているわけだから、それだけ目
的のために割く活動も、活動の全体の中では
部分的なものにとどまってくるのかもしれず、
活動の全てを目的のために捧げているような
成り行きにはならないわけだ。そして目的が
どうやって生じてくるのかといえば、自身が
主体となって何かをやりたいと思わせるよう
な状況から生じてくるわけで、自らのために
何かをやろうとするわけだが、それはそこに
自我が生じていることの表れであり、自我を
生じさせるような成り行きがそこに生じてく
るわけだが、なぜ自我が生じるのかといえば、
個人としての存在が認められるような世の中
になっているからだというと、何やら当たり
前のことのように思われるわけだが、集団と
しての活動に巻き込まれていれば、そこには
集団としての目的があるだろうし、そこでは
集団が主体となって活動していて、個人は集
団に依存しながら活動しているだけで、そこ
には個人としての主体性があるわけではない
のだが、集団の中で個人としての自我を主張
するとなると、その集団の中で指導的な地位
を確立する必要が出てくるわけで、そうした
役割分担が必要となってくると、集団の中で
は主導的な立場と従属的な立場とに分かれて
くるわけだが、集団としての目的を定めるの
も、その中で指導的な地位にある人が主導権
を握って、従属的な立場の人たちを目的の下
に従わせることになるわけで、そうした集団
としての目的を遂行する上では、その中で従
属的な立場の人たちにとっては主体的な活動
ではなくなってきて、そこでは個人としての
自己主張ができないわけだが、どちらかとい
えばそうした活動は集団からの作用に影響を
及ぼされて、それに対する受動的な対応とい
う面が大きくなってくるだろうし、そこには
内発的な動機が生じないから、ある面では自
己責任的な倫理観も生じないし、集団として
の活動がどのような事態を招いても、ある程
度は他人事を装っていられるのではないか。

 また集団としての目的がはっきりしなくな
ってくる事態も場合によっては生じるだろう
し、それが集団そのものの勢力の維持に多大
な労力を要する場合で、集団内の多くの人員
がそれだけにかかりきりになってくると、ど
う考えてもそれが目的化するだろうし、規模
の大きな集団であるほどそうした傾向が強く
なってきて、結局それはその場の状況に対応
するための受動的な活動となってくるわけで、
そうした集団が存在している環境自体がその
ような環境を維持するための活動が目的化し
てくる傾向を伴い、そうなってくるとその集
団の活動にとって妨げとなるような要因を積
極的に排除するような防衛的な活動が主体と
なってきて、現状維持のために自己防衛的な
ことばかりやるようになってくるわけで、そ
れが活動の保守化と言える現象なのかもしれ
ないが、そうした現状維持の自己目的化の進
行とともに顕在化してくるのが、集団内の人
員の精神的な劣化だろうし、何をもって精神
的な劣化というかは、その内容に関してうま
く説明できない面があるかもしれないが、活
動内容が決められた動作以外はやらなくても
よくなってしまうことが、それ以外の物事に
関して無頓着になりやすいのかもしれず、要
するにそこからは創意工夫が生まれてこなく
なって、決められた動作だけ行うような形式
主義が蔓延してきて、そこから少しでも逸脱
する動作は受け入れられずに、そんな現状を
維持する上でもそれ以外の動作を拒否するよ
うな態度が主流となってきて、それによって
対応の柔軟さがなくなって、そうした決めら
れた動作だけを共有する共同体の中だけで凝
り固まって、共同体の価値観を共有しない外
部の人間を排除する傾向になるだろうし、と
りあえず外部からの指摘には聞く耳を持たず、
集団内で立場が上位の者からの指令には何が
あっても従う成り行きとなるだろうし、そう
した組織的な指揮命令系統の範囲内だけで動
作が自足する傾向になるわけだが、そうする
こと自体が自己目的化してしまうわけだから、
それだけ決められた動作だけを行う人員のロ
ボット化が進行しているとも言えるだろうし、
そうした動作には人としての精神が介在する
余地がなくなって、それに代わって短絡的な
反射神経が動作の主体となってくるわけで、
それは集団の組織的なシステム化とも連動し
た動作となって、人としての思考力さえ必要
としなくなってしまうのかもしれず、そのよ
うな傾向が強くなるほど中身のない空っぽな
人でも構わない状況にもなってくるだろうし、
そのような状態を精神の劣化とみなしても、
間違ってはいないだろうが、事態としては劣
化というよりは精神自体が不要となっている
とも言えるわけで、それもある意味ではその
場の状況に対応した結果であり、そうなって
いること自体がそこで生じている環境に適応
していることになり、現状維持という目的に
応じて活動した結果が、そんな結果をもたら
しているわけだが、そうだからといってそん
な状態が良くないとか、もっと人間らしい態
度を取り戻さなければならないとは言えない
のかもしれず、そういう環境にはそういう人
員が必要としか言えない面があるのかもしれ
ない。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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