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彼の声

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彼の声 2018.4.26 「集団の掟」

2018/04/26

 行政単位としての国には国境線という明確
な境界が引かれているが、社会には境界線な
どないし、どこからどこまでが一つの社会を
構成しているわけでもなく、ただ概念として
社会というまとまりが定義されているだけか
もしれないが、便宜的には国ごとに社会が異
なるような認識も一般通念としては世の中に
受け入れられているだろうし、社会という言
葉を使って語る場合、境界ははっきりしない
が、それなりに同質性のあるまとまった単位
として語られることが多く、その社会の中で
暮らしている人々には共通の何かが想定され
ているだろうし、それが共同体的なものだと、
やはり精神的な同質性や価値観の一致なども
想定されるわけで、それが地域社会であれば
文化的な同一性や経済的な結びつきなども、
ひとまとまりの共通項として浮かび上がって
くるのかもしれず、それは言語的同一性や民
族的あるいは宗教的同一性などと共に、社会
的なまとまりを連想させるのだが、そうだと
してもその社会を構成している人々が集団と
してまとまっているかというと、まとまって
いると言える面と言えない面とがあるだろう
し、行政単位としての国民や企業単位として
の従業員や宗教単位としての教徒などとは、
重なる部分もあるし重ならない部分もあるだ
ろうから、例えば国家の構成員としての国民
と社会の構成員としての社会人を同一視する
わけにはいかない部分もあるのかもしれない。
普通に社会人というと社会の中で働いている
大人を指す言葉であるわけだが、どんな社会
にも社会人が存在することは確かだが、非社
会人という表現が一般的に通用しているとは
言えないだろうし、大人でなければ子供であ
って未成年というカテゴリーに入るわけで、
社会の構成員には大人も未成年も含まれてい
て、社会人でなければ非社会人というわけで
もないし、そういう意味では社会の構成員が
社会人だけとは限らず、普通に民衆が社会の
構成員であるということだろうし、社会人と
いう言葉の意味が日本語では限定的な意味と
なっているだけで、そこから社会という概念
にも本来の社会からは少しずれた範囲が想定
されているのかもしれないが、社会の中で何
らかの機能を果たしている人だけが社会の構
成員であるわけでもないのかもしれず、もっ
と何か大衆的な漠然とした存在が社会の中で
は想定されていて、それに関して社会の構成
員をあまりシステム論的にはっきりとは立場
や地位などの役割分担を伴って区分けできな
い面があるだろうし、社会の中にははっきり
しない部分があって、少なくとも企業や行政
機構などの各種の団体のように組織的な形態
を伴っているわけではなく、それらを含む様
様な各種団体を合わせたものが社会というわ
けでもないだろうし、そうした団体に所属し
ていない人も含めた様々な存在が社会を構成
していて、そこには常に集団への帰属関係が
はっきりしない人が存在しているのではない
か。

 そうしたはっきりしないところが社会の定
義しづらさを示しているのかもしれないが、
積極的に社会の曖昧模糊とした面を強調して
も、取り立てて何を言っていることにもなら
ないだろうし、何かそこから社会についての
画期的な解釈が出てくるわけでもないのだが、
たぶんそれと同様にして社会規範と言った決
まりごとを恣意的に定めてみても、やはりそ
れにはあまり強い拘束力は期待できないのか
もしれず、社会のルールやマナーなどを守る
ような呼びかけにしても、そう言ったものか
ら逸脱する眉をひそめるような行為を諌める
ためにそんなことが言われるわけで、そうし
た良識が社会で通用するには、権力関係を伴
わない前提が必要とされるだろうし、一度そ
こに権力関係が生じてしまうと有無を言わさ
ず従わせるような成り行きになるわけで、そ
うした行為の中では社会規範などよりは格段
に拘束力の強い力が行使されて、場合によっ
ては手段を選ばずに強制するようなことも行
われるわけで、そうなると社会というよりは
集団的な組織形態の中でそうしたことが行わ
れていて、そうした集団に所属していると社
会規範やルールやマナーなどよりも、集団内
の権力関係を伴ったルールや掟などが優先さ
れる傾向になるのではないか。だからそうし
た集団ではしばしば世の中の一般常識から逸
脱するような過酷な仕打ちが行われて、その
集団の構成員がひどい境遇に陥ってしまうこ
ともよくあるわけで、そうした行為を抑制す
るためにも、社会規範の遵守を強調するよう
な主張がされる成り行きも生じるわけだが、
現実の力関係としては社会よりは集団的な組
織形態の方が拘束力が強いだけに、そうした
集団の構成員には社会規範もルールもマナー
も通用しない事態が出てくるだろうし、集団
内で目的のためには手段を選ばない成り行き
が生じているところでは、社会の一般常識で
は太刀打ちできないようなことが行われてい
るわけだ。特に政治や行政の領域でそうした
行為が横行しているようなら、そうした事態
を一般の民衆が支持できるか否かが問題とな
るのかもしれないが、そこで判断の指標とな
るのが公共の利益というあまりはっきりとは
わからない定義なのかもしれず、民衆がそう
した高邁で漠然としている価値を信用できる
かというと、功利的には信用できないだろう
し、しかもそこで信用しているつもりの功利
性にしても、はっきりした利益を得られてい
るはずもないことなのだろうが、どちらにし
ても公共的な価値観を守りたいのなら、通常
とは逆に集団的な組織形態からもたらされる
利益よりは社会全体の利益を優先すべきとな
るわけだが、そうした面で説得力を伴う政治
的な主張というのがあまりないわけで、それ
よりは経済的な利益誘導という現実的な功利
性が優先されているように感じられるのかも
しれないが、それも感じられているだけで、
実際に民衆に利益がもたらされているかとい
うと、宣伝や煽動ばかりで内容が伴っていな
いのかもしれず、それに関して民衆が政治や
行政に騙されていると主張することもできる
だろうが、それを騙されているとみなすのも
少し違うのかもしれない。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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