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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2018.4.24 「そこに至る経緯」

2018/04/24

 世の中には知っていることよりは知らない
ことの方が確実に多いはずだが、知識として
知っていることが何かの役立つこともいくら
でもありそうで、普通に知っていることを生
かしながら多くの人が日々活動しているわけ
だが、その人が経験と勘によって蓄積してい
る知識にもおのずから限界があるだろうし、
特定の方面ではいくら豊富な知識量を持ち合
わせていても、それとは別の方面では知らな
いことばかりなのはよくあることで、足りな
い知識を補うには単純に調べれば済む時もあ
るだろうが、様々な方面で知識を持ち合わせ
ている人たちと連携すれば、互いに足りない
部分を補い合うことで他人の知識を有効活用
できそうだが、それも連携するメリットがな
いとなかなか連携してくれないだろうし、自
由な立場で連携するとなると、互いに利用し
合える成り行きが生じないとうまく連携でき
ないわけで、またそういう部分で他人に利用
されていると思うと疑心暗鬼になってしまっ
て、連携がうまくいかないことも多そうだが、
制度として何らかの集団を構成するような仕
組みがあれば、すでに知識もそれを生かすた
めのノウハウもある既存の集団に入って、そ
の中で確立されている組織的な構成の中で決
められた役割分担をこなしてゆくような成り
行きになれば、それによってゼロから赤の他
人との連携を模索する手間も苦労もいらなく
なってしまうわけだが、実際にそうした集団
が社会の中で活動している実態があって、そ
こで成り立っている様々な制度に連動して働
いていると、一概に知識を生かして何かを行
うといっても、それをやるための条件や必要
な形態などによって様々な制約があって、主
体的にやろうとしていることがそのままでき
るというわけではなく、何らかの手続きを経
た上でないと何もできないような仕組みであ
るなら、実際に何かをやっている現状がある
としても、結果的にたまたまそんなことをや
っているだけで、それをやるに至るまでには
様々な紆余曲折があって、もとからそんなこ
とをやりたかったわけではないことをやって
いたりするわけで、そういうことの大半は、
そこに至るまでの経緯の中で、次第にやるこ
とが決まってくるような成り行きがあるのだ
ろうし、またいったんやることが決まっても、
やっているうちにそこからずれてきてしまう
こともあるわけで、そこにも集団の意向が反
映されていたり、制度に則ってやっていくと、
自分がやりたかったことからかなりずれたこ
とをやらざるを得なくなってきたり、そうい
う経緯の中で何かをやっているわけだから、
必ずしもやりたいことをやっているとは言え
ない場合が多いのかもしれず、そんなわけで
人は何かをやる以前に、すでに自らが持ち合
わせている知識において限界づけられていて、
また知らない部分を補うにしても、他人と連
携すれば他人のやりたいことも絡んできて、
そこでお互いにやりたいことを調整しなけれ
ばならなくなり、さらに何らかの集団内で何
かをやるとなると、必ずしも自分がやりたか
ったことをやっているわけではない可能性も
高くなってきて、そうやって妥協を強いられ
ながらやっていることが、いつの間にかやり
たいこととすり替わっていることにすら気づ
いていない場合もあるのかもしれない。

 たぶん結果的にやっていることが現状の活
動なのであって、その活動内容が特に主体的
にやっていることではないとしても、そこに
至る経緯の中でそんなことをやっている成り
行きが生じていて、それに関して不満も文句
もそれなりにあるかもしれないが、何かしら
やらざるを得ない状況となっていれば、実際
にやりながら経験と勘が積み重なってくると、
そういう成り行きの中で必然性を感じられる
ようになるわけで、そうなると自信が生じる
とともにやっていることを正当化したくなっ
てくるわけだが、そのやっていることをさら
にやり続けるためにも、やっていることの必
然性を求めようとするわけで、何かそこに至
る必然的な成り行きがあって、やることにな
った原因と実際にやっている結果とを結びつ
ける因果関係を説明したくなってくるだろう
し、そこに理屈や道理を導入できれば確固た
る連続性を構築できるし、やっていることの
正しさも信じられるようになるのではないか。
たとえ後付けであってもそこまで正当化する
余裕が生じてくれば、そうした活動は制度と
しても充分に確立することができるだろうし、
活動するにあたっての大義名分のごとき確か
な意味づけも可能となって、場合によっては
世間的にも公認されるような活動ともなるの
かもしれず、そうした成り行きが活動の制度
化となるのだろうが、たぶん世間的に公認さ
れた活動というのは、それをやっている当人
の意志でやっているというよりは、世論や民
意の後押しを受けながらやっている部分の方
が大きいのかもしれず、そこに同調圧力のよ
うな集団意志が介在していて、やっているこ
とに関して世間を納得させられなければ批判
を浴びてしまうような成り行きにもなってく
るかもしれないし、実際にメディア経由で批
判を浴びせている人が大勢いるようなら、そ
んな批判も考慮しないわけにはいかなくなっ
て、それだけ自らの主体性が減じられること
になるのかもしれないが、そうだからといっ
て世の中の注目を意識している分には、別に
悪い気はしないわけで、やっている内容がど
れほどくだらなくても、何かしら世の中の反
応が期待される限りでやり甲斐が生じてきて、
他人の共感や反感とともに活動していること
になるわけだから、それだけ公的な活動とい
う意味合いも生じてくるわけで、不特定多数
の人々と一緒に活動しているような気分とな
って、何やら自分の活動が世の中に影響を及
ぼしている気になってくるのかもしれないが、
そうなるとそれと自覚することなく世論や民
意が示しているような価値観との関係の中に
自らの活動を位置付けようともしてくるのか
もしれず、場合によっては世間体を気にして
世間に媚びるような態度も生じてくるだろう
し、何かその辺で自意識が個人から形成され
ているのではなく、漠然と多数意志に同調す
るようなあやふやさが生じてきて、その結果
として誰でも言えるようなことを自分の意見
として述べているようにもなってくるわけで、
実際に世間を代表して活動しているような形
態は、大衆市民社会に特有な現象なのかもし
れず、別にその人が代表であってもなくても
構わないのに、とりあえずその人が世間を代
表するようなことをやっているわけで、そん
な誰でも構わないのにその人がやっていると
すると、そうした活動には何の重要性も伴わ
なくなってくるのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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