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彼の声 2018.4.23 「疑念と留保」

2018/04/23

 現象にはそれが起こるにあたって原因があ
ると思われがちだが、これといって原因を特
定できない場合もあるだろうし、原因を特定
できなければ原因から結果を説明できず、そ
こで現象に関する説明が行き詰ってしまうの
かもしれないが、もちろんそんなに内容の厳
密さや正確さが求められていなければ、推測
や憶測で話のつじつまが合うような原因を適
当に設定して話を間に合わせれば、それで何
か説明しているような雰囲気を醸し出せて、
それで済んでしまう場合もあるのだろうが、
たぶん原因が一つというわけではなく、複数
の原因が複雑に入り組んでいて、それらが相
互に作用や影響を及ぼし合いながら、何らか
の現象を引き起こすこともあるだろうし、そ
ういう場合は一つの原因によって説明するこ
と自体が困難になるわけだが、確かに原因が
はっきりしていてそれを特定できれば説明に
説得力が出るかもしれないが、そうした説得
力が単なる話のつじつま合わせから生じてし
まう場合もあるだろうし、そうなるとそれは
フィクションとしての説得力になってしまい、
たとえ説明に説得力があるとしても、それに
よって現象を正確に捉えているかというと、
それは誰もが安心して信じられる話でしかな
くなって、そうであるなら別に話に虚構が含
まれていても構わないわけで、結局そういっ
た説明は真実味を帯びたフィクションになっ
てしまうわけで、しかもそれで構わないとな
ると、そこで実際に起こっている現実の現象
と、話の中で説明されている現象とが一致し
なくなるわけで、また実際に起こっている現
象の中で、話のつじつま合わせに都合のいい
部分を誇張して説明してしまうと、実際に起
こっている現象を直に体験している感覚と、
それについての説明からもたらされる印象と
の間に開きがありすぎるようにも思われてく
るわけで、できれば説明からもたらされる虚
構の部分を最小限に抑えてくれると、不自然
な違和感を抱かなくても済むのかもしれない
が、そういうところで説明している側の意図
や思惑や都合が話に反映されてしまうわけで、
そうなってしまうのはある程度は仕方がない
としても、その説明が心地よく感じられるよ
うだと、人を心地よくさせるようなフィクシ
ョンが少なからず説明に含まれているのかも
しれず、そうした心地よさが世の中の支配的
な価値観を反映している場合があるわけで、
それに関しては感動を呼ぶような話の内容に
仕立てあげることも技術的に可能だろうし、
気晴らしの感動話を世間が求めている事情も
あって、そんな形式に合う実話を寄せ集めて
提供するようなメディアもいくらでもあるだ
ろうし、そうではない話もいくらでもあるこ
とは踏まえておかないと、そこから勘違いが
生じてしまうのかもしれず、実際に世間が求
めている感動話にしか興味を示さないように
なってしまうと、実際に見えている不都合な
部分を見ようとしなくなったり、体験してい
る現象を都合のいいようにしか解釈できなく
なってしまうわけだ。

 何かを語るということは、常に語り手にと
って都合のいい部分を誇張して語るわけで、
誇張という表現では語弊があるなら強調とい
う言葉を使ってもいいだろうが、ではなぜ話
のある部分を強調しなければならないかとい
うと、そこに興味があるからだろうし、語り
手にとって興味がある部分を強調して伝えた
いのは当たり前のことだろうが、語っている
対象には興味を惹かれない部分もあるだろう
し、そういう部分が語っている内容には反映
されないわけで、興味を惹かない部分が語ら
れないとしても、語り手にとってそれが虚構
だとは言えないだろうが、説明を受け取る側
にとっては事実がそのまま語られているわけ
ではないのだから、その部分がフィクション
だと思われても仕方のないところかもしれず、
誰が語ってもそうなってしまうのだから、事
実をありのままに語っているということ自体
がフィクションでしかないわけだが、中には
語り手の意図していない部分まで語られてし
まうこともあるわけで、語り手が自らの語り
を制御できていない部分もあるだろうし、語
り手が体験した現象によって語らされている
部分があるとすると、それは語り手の力量を
超えている部分であって、語り手が自らが語
っている内容を把握しきれていない部分でも
あるのだろうし、たぶんそういう部分からお
仕着せの感動とは違った驚きを伴った真の感
動がもたらされるのかもしれず、それがある
と世の中の支配的な価値観とは無関係な内容
になるだろうし、語り手にとって都合のいい
話ではなくなるわけだ。そしてそうした部分
は意図して強調しなくても強い印象を伴うだ
ろうし、そこが体験しつつある現象が語り手
を通して伝えたいことなのかもしれないし、
それについて語っていることを含んだ現象の
一部始終なのだろうし、それについて語り手
が語っていること自体までが現象に含まれる
と同時に、それを受け取っている人も現象に
巻き込まれているわけで、それらすべてが一
つの現象を構成していて、その中には同時に
様々な現象が入り組んでいて、それらが互い
に影響や作用を及ぼし合いながら、ある部分
では繋がっていて、またある部分では繋がっ
ていないとしても、また同時に繋がっている
ことと繋がっていないことを含んだ両義的な
関係を構成していて、だからそれについて語
ろうとすれば、言葉では捉えきれない部分に
ついては語りようがなく、語りようがない部
分について語らなければフィクションになっ
てしまうのだろうが、しかしそうなるのは致
し方のないところであり、全てを語れない以
上は、その中で興味のある部分や現象によっ
て語らされてしまう部分を語っているわけだ
から、語り得ない部分に関してはそれを受け
取る側の想像力から構成されてしまう面もあ
るだろうし、そこに語り手が語り得ない部分
があることを想像するしかなく、それととも
に現象を体験しているのだから、そこから得
られる印象としては常に謎の部分が残ってい
るわけで、それが心地よさとは違った感覚を
もたらすのだろうし、そうした留保する部分
がないと、説明だけでわかった気になってし
まうのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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