文学

彼の声

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彼の声 2018.4.6 「実態と現実」

2018/04/07

 そこに平和な状態がもたらされていれば、
そんな世の中では多くの人が働いている実態
があるのだろうが、それを労働という言葉で
表現すると何か否定的な響きを伴って受け取
られ、実際に雇い主にこき使われていかにも
つまらない仕事をやらされている場合もない
わけではないが、そんな自由のない拘束され
た環境で受動的で主体性の欠如したことやら
されるのが労働だと定義したら、それではあ
まりにも卑小で偏向していると思われてしま
うだろうし、そうではなく誰もが普通に行な
っている仕事が労働であり、一般的に言って
働いていること自体が労働だとみなせば無難
な解釈になるだろうが、労働と言えば普通は
賃金労働を指すだろうし、経済活動において
物や情報やサービスを生産して流通させて販
売して消費する過程の中で、サービスが労働
であり、生産にも流通にも販売にも消費にも
労働が伴い、サービスが生産されるというこ
とは労働する機会が生じることになるだろう
し、サービスが流通するということは派遣先
まで労働者が赴くことになるだろうし、サー
ビスを販売するということは労働して賃金を
もらうことになるだろうし、サービスを消費
するということは単純にそこで働いてもらう
ことになるわけで、結局は経済活動の全ての
工程において何らかの労働が必要となってく
るわけだが、労働と競合するものとして機械
があるわけで、それも機械を作る時には人の
労働が必要となり、今のところは全面的に機
械が機械を作るようにはなっていないわけで、
部分的には全ての工程が機械化されて、自動
的に機械が生産物を作ったり、さらに機械が
機械を作る工程もあることは確かだが、その
機械を作る機械設備や機械を作るその機械を
作る時にはやはり人の労働が絡んでくるわけ
だから、どんなに自動技術が発達していても、
今のところは依然として人の労働によって何
かが行われている実態があるわけだ。そして
何かが行われているということの中には、人
と人とのコミュニケーションなどの交流も含
まれるだろうし、そこで交渉が取引などが行
われている場合もあるだろうし、会議や説明
会などのように何かを発表したり討議したり
する状況まであるわけで、そこでも賃金など
が発生する場合は会議の司会者や議題の発表
者などが労働していることになるだろうし、
そうした労働は一応サービス業に分類される
のだろうが、そのような状況の中では何を持
って労働とみなすかが曖昧になってくるのか
もしれず、普通は会議や説明会などを経て何
らかの商品を発表して、それを製造して発売
することになってから、その商品を顧客や消
費者が購入することになれば、そこで金銭的
な収入を得ることになって、そうした収入の
中から必要経費として会議の司会者や説明会
の発表者などの賃金が出てくるわけだが、一
応の理屈としてはそうであっても、司会者が
司会をすることが専門であったり、発表者が
発表することが専門であったりする場合は、
発表者はともかく司会者は別にその商品の製
造にも流通にも販売にも消費にも直接は関わ
ってこないだろうし、もちろんその手の人は
限られたごく一部の人であって、そういう人
が他に大勢いるわけでもないだろうが、何か
そこで余分なことが行われているように思わ
れるわけだ。

 たぶん商品の生産に伴う手続き上の過程で、
その手の会議や説明会などを経ないと製造に
までこぎつけられないのだろうし、そのよう
な手続きに費やす経費も商品の開発費や製造
費や販売額などに比べたら微々たるものでし
かないだろうし、主に事業の規模の大きな大
企業などでそういう手続きが普通にあるわけ
だろうが、果たしてそこで判断されることが
どれほどの重要性を持つのかというと、それ
はその時の状況にもよるだろうし、何か社運
をかけて行うような新規事業に関して会議が
開かれているような場合には、いかにも重要
なことが話し合われているようにも思われる
だろうが、年がら年中そんな状況になってい
るわけでもないだろうし、またそういう時に
しか会議などが開かれないとすれば、緊急に
行われるようなものでしかないだろうし、そ
れ以外で定例会などの形で月に一度ぐらいの
間隔で惰性で行われるようなものなら、親睦
会程度の意味合いしか持たないのかもしれな
いし、何かの付け足し程度で行われているだ
けのことなのかもしれないが、集団的な組織
形態の中ではそういう一見無駄に思われるよ
うなことが結構行われている場合が多いのか
もしれないし、そういうことをやっている人
たちにとっては、それをやることに関してそ
れなりの必然性を感じている人もいるのかも
しれず、惰性で行なっていると思っている人
が結構いる中でもそれが有意義であると思っ
ている人も一部にはいると、そういう人が会
議の中で積極的に発言するような成り行きに
もなるわけだが、やっている人たちの中でも
そうした温度差があると、微妙な空気がその
場を支配することにもなるわけで、たぶんそ
ういう空気を察知するとだいぶ真剣味が薄れ
てきて、それが儀礼的な慣習であるような気
にもなってくるわけだが、企業でも行政機関
であっても、活動の中でそうした儀礼的な慣
習となってしまっている部分が結構あるのか
もしれないし、またそうした面があるのにも
関わらず、一方で作業効率だとかコストなど
をシビアに計算しようとする面も一部にはあ
るのだろうし、何かその辺で合理性一辺倒に
は事態が推移しないわけで、そういうところ
がいい加減と言えばそうとしかいえない部分
があることは確かで、またそういう面をしゃ
かりきになって批判することも可能なのかも
しれないが、そういう批判をする人は実態を
知らない外部の人かもしれないのだが、そう
した全体のほんの一部で行われていることが
意識の中では割と大きな部分を占めているわ
けで、何か本来の集団的な組織形態だと、そ
こではまるで機械のようにシステマティック
に全ての物事が淀みなく進行していると思わ
れるかもしれないが、実際にそこに人が関わ
ってくるとそうではなくなってくるわけで、
それはまつりごととしての政治的な実態を示
しているのかもしれず、そんな組織であって
も末端で働く労働者は過酷な環境の中で死に
物狂いで作業を行なっている状況があるのか
もしれないし、それでも何かのきっかけで作
業に遅れが出始めると残業しても仕事をやり
きれなくなって、そんな状況の中で責任感に
かられて仕事を仕上げようとする意識と、そ
れとは裏腹に心身に溜まった疲労との間で板
挟みとって、精神を病んでしまう人も出てき
てしまうのかもしれないし、そういうところ
で不条理な状況が生じてくるわけだが、たぶ
んそういう状況というのは解決不可能なのだ
ろうし、そんなどうにもならない状況が普通
に生じてしまうのが労働の現場なのではない
か。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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