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彼の声

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彼の声 2018.3.27 「慣習的な実態」

2018/03/27

 国家と慣習の関係について考えてゆくと、
例えば宗教的な慣習が国家に与えた影響とし
ては、神の下での民衆の平等が国の下や法の
下での民衆の平等という思想につながったと
考えられなくもないが、それに関してキリス
ト教会などの官僚機構がそのまま行政の官僚
機構へと受け継がれたとも言えるのかもしれ
ないし、教会がその信徒を幸福へと導くよう
に宿命づけられているように、行政も国民を
幸福へと導く義務があるとすれば、それらの
間に相関関係があることは否定できないだろ
うか。その辺の事情は近代的な国民国家が西
欧のキリスト教国から出現したと考えれば納
得できるかもしれないが、そうした歴史的な
経緯を踏まえながらもそれ以外の地域にはそ
の地域独自の国家形態を模索できると考えて
しまうと、地域的な特殊性を擁護するような
思想へと傾倒して行ってしまうのかもしれな
いが、そのような考え方自体がまず国家あり
きという近代国家主義思想に染まっていると
言えるのかもしれないし、それが西欧で育ま
れた国家思想の亜流にしかならないだけに、
あまりその手の考え方には幻想を抱かない方
がいいのかもしれないし、その地域にどのよ
うな歴史的な経緯が生じているにしても、現
状から過去へ向かって国家の起源を求めると
いうよりは、現状を踏まえながらもそこから
未来へと視線を転じて、変革の可能性を模索
して行った方が前向きになれるかもしれない
が、その地域的な特殊性の擁護という考え方
にも、社会の中で機能している慣習からの影
響があるわけで、慣習が体現している過去と
の連続性という心理的な郷愁を捨て難い気持
ちも、無下にはできない事情が生じていて、
そういう現に世の中で機能している社会的な
作用を肯定したり否定したりするのではなく、
今後に向けてそれとどう付き合っていくかと
いう態度で接していけば、そこから生じる様
様な問題にもあまり偏った先入観なしに対処
できるかもしれず、実際には過去との連続性
だけではなく、過去との不連続を生じさせる
事件も歴史上度々起こっているのだろうから、
それがあるから過去とは異なる現状が現に生
じているわけで、連続性と不連続性の両方の
性質が合わさって歴史が形成されていると言
えるだろうし、それらのどちらか一方だけを
擁護するのは現状への無視にしか至らず、そ
うではなく両方の性質を認めることから歴史
への理解が深まるのであり、歴史への理解を
深めることと過去との連続性から生じてくる
地域的な特殊性を擁護するのは似て非なるこ
とだろうし、場合によっては地域的な特殊性
を批判することも歴史への理解を深めた結果
として生じてくるだろうし、そこでも擁護す
ることと批判することを二項対立として捉え
るのではなく、かえって歴史への理解を深め
るほど過去を率直には擁護できなくなってき
たり、過去への幻想を抱けなくなってくるか
らこそ、そこから自然と批判的な態度が生じ
てくるわけだろうし、そうであっても過去を
全面的に否定するわけにはいかないだろうか
ら、そこからある程度は擁護する面も含まれ
てくるわけで、そうなると批判的な態度には
擁護しつつも批判するという多元的な内容が
含まれることになり、そういう面を安易に単
純化しないことが肝心であり、逆に単純化し
て煽動したり宣伝したりすると、多元的な内
容が失われてその代わりに二項対立的な論理
が現れてくるわけだ。

 その二項対立的な論理に思考が絡め取られ
てしまうと、世の中が多元的な価値観から成
り立っていて、そこから人や集団の多様な立
場や活動が生じている実態を意識できなくな
ってしまうわけで、歴史の連続性と不連続性
を体現するような複雑な経緯からそうした立
場や活動が生じていて、単に連続しているだ
けでは社会には単純な構造しか出現しないわ
けで、それでは未開社会の部族共同体ような
構造になってしまうだろうし、その逆に社会
の構造が複雑になっているほどそこで歴史的
な経緯の複雑な絡み合いが起こっていること
を示していて、そこでは二項対立的な単純な
論理では割り切れない関係が生じているわけ
だが、ある程度はそうした関係を無視しない
と論理的な整合性がとれないから、論理的な
整合性を装った何らかの理屈を用いて宣伝や
煽動を行うような場合は二項対立的な表現を
使わざるを得ないのだろうが、それが宣伝や
煽動であるだけにそうした論理は世の中の実
態を正確に捉えているわけではなく、宣伝や
煽動をする側の恣意的な都合が反映された主
張になるわけで、そうした主張に惑わされる
と不正確な認識に基づいた偏見の虜となって
しまうわけだが、そうした主張は世の中の実
態を単純化した認識に基づいているからわか
りやすく、物事をあまり深く考えない人たち
にとっては格好の思考形態として受け入れら
れてしまうわけで、特に単純化した理屈を用
いて敵対する勢力を攻撃するのには重宝され
るだろうし、そういうやり方が政治利用され
ている実態もあって、それが場合によっては
ポピュリズムとなって猛威を振るうこともあ
るだろうし、それほど顕在化しないとしても
偏見に基づいた認識として世の中の慣習に結
びつけば、差別という行為となって人々の深
層心理の中で深く根を張り、容易には取り除
くことのできない悪習となる場合もあるわけ
だ。それが悪い意味での慣習となるのだろう
が、世の中には隣近所の助け合いなどのよう
に良い意味での慣習もないわけではないだろ
うし、悪い意味での慣習と良い意味での慣習
が表裏一体となっている面もないわけではな
いかもしれないが、慣習の悪い面だけを取り
除くわけにはいかないだろうし、取り除けな
いのなら激しい対立をもたらさない程度に抑
えて上手に付き合っていく以外にないのかも
しれず、それが激しい対立をもたらして争い
によって破局的な結果がもたらされると、そ
こで歴史的な不連続が生じるのかもしれない
が、そういう目に見えるようなはっきりした
不連続だけでなく、人々が気づかないところ
でいつの間にか世の中が様変わりしているよ
うな不連続も歴史の中では度々起こっている
だろうし、それらが重層的に重なり合って歴
史を形成しているわけだから、連続性だけに
注目して歴史に解釈を施すと歴史物語ような
フィクションにしかならないだろうし、それ
が単純な二項対立のように話が仕立てられる
と通俗的な時代劇として大衆的な人気を博す
かもしれないが、それも人々の深層心理に働
きかけてわかりやすい偏見を生み出す土壌と
なるわけで、そういったところから絶えず物
事を単純化して捉えようとする衝動が生じて
きてく、そうした衝動から単純な動作の繰り
返しとしての慣習も生じてくるのだろうが、
その一方で日々世の中で生じているあまりに
も錯綜している様々な出来事の絡み合いを人
の意識では正確に捉えることはできないし、
人の思考でも捉えられないからその必要がな
いとしか言いようがないだろうが、少なくと
もそのような実態が生じている現実は把握し
ておいた方がいいのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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