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彼の声

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彼の声 2018.3.1 「行政と民衆の関係」

2018/03/01

 政府の活動は国の行政全般にわたっていて、
その活動の内容は基本的には法律や制度で決
められているわけだが、民主的な政治制度が
機能している国では、それが議院内閣制であ
っても大統領制であっても、形式的には選挙
で選ばれた政治家が行政の長になって、法律
や制度で決められている範囲内で必要に応じ
て行政に関する指示を出すことにはなってい
るだろうが、民衆の代表者である行政の長が
飾り物になっていると、行政の中で機能して
いる官僚機構が実権を握ってくる場合がある
だろうし、また官僚機構の出身者が主要な政
党に入って選挙で当選して議員になって、そ
の人が政権政党の代表者になって行政の長に
なる場合もあるわけで、どのような経歴の持
ち主でも民主的な選挙で選ばれれば民衆の代
表者となるのだから、そのこと自体に問題が
あるわけでもないのだが、行政に精通した人
が行政の代表者になるのは適任に思われるか
もしれないが、行政に精通した元官僚が選挙
で当選しやすかったり、政権政党の中で要職
を得やすいような成り行きがあるとすれば、
議会と行政の癒着を招きやすいことは確かか
もしれないし、ならば元官僚の政治家は排除
した方が民主的な政治体制を維持する上では
必要なのかというと、そういう法の下での平
等を欠く理不尽なことはやるべきではないの
だろうし、実際に行われている政治の内容か
ら民衆が判断すべきことなのだろうが、それ
に関して単純なことを言うなら、政治家が民
衆の味方なのか行政の味方なのかについて、
民衆と行政の間で対立が生じているような状
況になれば、民衆の味方を装っているように
感じられる政治家に選挙で投票すべきとなる
のだろうが、そんなはっきりした状況にはま
ずならないだろうし、大抵は行政の官僚機構
との間でうまく折り合いをつけられるような
政治家が民衆にも安心感を抱かせるだろうし、
そのような安心感が社会に安定をもたらすよ
うにも思われて、世論の支持も得られる成り
行きとなるのではないか。そうなると行政に
精通した元官僚などが適任に思われてくるの
だろうし、そのような人が政治家となって政
府や議会の要職に就いたり、場合によっては
行政の長になったりする場合が出てくるわけ
で、他にも親兄弟や親族に有力な政治家がい
たりすると、そういう方面で厚い支援を受け
て選挙で当選しやすくなったり、民衆の方で
もそういう人が議員になったり大臣になった
方が、どこの馬の骨ともわからない人がなる
よりは安心しやすいのかもしれないし、そう
やって次第に縁故や地縁血縁などのつながり
を優先させる傾向から民主的な政治制度が蝕
まれてくるのだろうが、それとは別に行政の
官僚は試験によって選ばれるわけで、純粋に
試験の成績だけから選ばれるとすれば、実力
でその座を勝ち取ったことになるわけだから、
それに関しては誰も文句は言わないだろうが、
そこからさらに選挙で選ばれて議員になるこ
とに関しては、それとこれとは別物であるこ
とは確かだろうし、そういうところで民衆の
方でも区別やけじめをつけられないのかもし
れないが、制度的にそうなりやすい構造があ
るといえばそういうことでしかないわけだが、
その辺も実際にやっている政治の内容から判
断するしかないだろうし、そうはいってもは
っきりした判断基準などないわけだから、な
し崩し的に議会と行政が癒着してしまうのも
仕方のないことなのかもしれない。

 では議会と行政とは対立していたり敵対関
係にある方がいいのかというと、それもその
場での状況にもよるだろうし、対立がひどい
場合だと行政の中の軍部がクーデターを起こ
して議会を強制的に閉鎖したりして、民主的
な政治制度を破壊してしまう場合さえあるわ
けだから、議会と行政との力関係によっては
いくらでもおかしなことが起こる可能性があ
るわけで、その場の状況に応じて民衆の側で
判断するしかない面もあるだろうが、やはり
どう判断してもうまくいかない場合があるだ
ろうし、議会と行政の関係がどうあるべきか
については、それに司法も加えて三権分立の
理想を唱えることはできるわけだが、理想と
現実がずれていたり異なる場合が多いだろう
し、それは民衆の中の個人がどう思ってみて
もその場の状況には何の影響も与えないこと
かもしれないが、そうだとしても民主的な政
治制度を守ろうとするなら、少なくとも議会
と行政との癒着状態は好ましくないだろうし、
度を越した馴れ合いやかばい合いには反発し
た方がいいだろうし、世論もそういう傾向に
ならないと制度の形骸化を阻止する歯止めに
ならず、制度の形骸化が進行したら誰が損を
するのかといえば、民主的な政治制度を守ろ
うとする民衆の側であることは確実であり、
そういう認識は最低限の心得として持ってお
いた方がいいだろうし、そういうことに敏感
にならないと他に制度を活用しようがないだ
ろうし、民衆の側が制度を活用する気がなけ
れば、議会の政党やそれとつるんで制度を管
理運用している行政の官僚機構が自分たちに
都合のいいように活用するだけで、そんな都
合のいい活用によって元官僚などの政治家を
通じて議会と行政の癒着が図られるわけで、
それに司法も加えて三権分立からは程遠い三
権癒着体質が生じてくるわけだが、実質的に
それを民衆の側が阻止することは難しいだろ
うし、下手をするとメディア上で行われる宣
伝や煽動に乗せられて、民衆の方でもそうい
う三権癒着体質を礼賛するような機運も生じ
てきてしまう成り行きもあるのかもしれず、
そういうところで民衆の側が賢くなる必要が
生じてくるのかもしれないが、その賢くなる
という意味もしばしば取り違えられてしまう
わけで、行政が管理統治する国に逆らわない
ことが功利的に賢くなることだと思われてし
まう場合もあるようで、それに関してはどう
言い繕ってみても権力の行使に従うような論
理が正当化される傾向にもあるわけで、それ
も実際に行政による管理統治が行き届いてい
ることの証明になるのかもしれないし、現実
に法律を守って制度に従うように教えられて
いるのだから、そういうところも仕方のない
面があるのかもしれず、そういう傾向に無理
に逆らうことが賢さとは真逆な対応となるの
も当然だろうし、それに関してはあまり権力
の行使に逆らうことが正義であるような意識
は持たない方がいいのかもしれないし、それ
よりはその場の状況に合わせた判断が求めら
れてくるのかもしれないが、そういう状況的
な判断が正しいとは思わない方がいいだろう
し、結果から振り返ればしばしば国家的な権
力の行使に逆らう人々が英雄視されることの
方が多いだろうし、逆に状況に合わせて功利
的な判断をしながらせこく行動した人々は、
いつの時代でもその他大勢の側の無名の小市
民として蔑みの対象とされてしまうことが多
いのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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