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彼の声 2018.2.18 「共犯者の立場」

2018/02/18

 20世紀末の情報革命以後の世界で何が世
の中に普及したかといえば、それが情報端末
であることは誰もが承知していることかもし
れないが、その情報端末から入ってくる情報
量も以前とは比較にならないほど多くなった
ことも確かかもしれず、それによって便利さ
を実感している面はあるものの、一方でその
情報に振り回されて主体的に思考したり行動
できない面も顕著になっているのかもしれな
いし、良い面と悪い面の両方があるようにも
思われるのだろうが、そんな中でも人は自然
と世の中の状況に順応しようとするだろうし、
実際にそれなりに順応しているから普通に生
活できているわけだ。そして気づかないうち
にそれまで当たり前のように思っていたこと
からずれた感覚を当たり前のように感じてい
るだろうし、注意して考えてみないと世の中
が様変わりしていることに気づかないわけだ。
しかもそれに気づく必要もないだろうし、気
づかないのが当たり前のようにも思われるわ
けだが、たぶん政治に関しても昔と今とでは
できることが変わってきたのかもしれず、今
の世の中で実際にやっていることが政治的に
できることかもしれないし、別にそれで支障
がなければ構わないわけだが、果たして政治
の場でやらなければならないことを、現状で
政治的な主導権を握っている勢力が実際にや
っているように思われるだろうか。現状を批
判的に捉えている人たちにとっては当然やる
べきことをやっていないと思われるだろうし、
彼らにとってやるべきことは実際に主導権を
握っている勢力がやらずにおろそかにしてい
ることになるわけだが、なぜそれができない
かといえば、それに関して何らかの理由や原
因があってできなければわかりやすいのだが、
これといって理由も原因も見つからなければ
謎になってしまうだろうし、そういう謎な部
分が多いほどそれへの対応もわからなくなっ
てしまうのではないか。またそのような理由
や原因を無理にこしらえようとすると、想像
力を働かせて何か陰謀論的なことを述べなけ
ればならなくなる場合もあり、話の中でフィ
クションの度合いが大きくなってしまうのか
もしれないが、無理に理由や原因を探したり
こしらえるのではなく、ありのままの現実と
してできないことを認める必要があるだろう
し、それに対する批判とともにできないこと
をやるように要求しなくてもいいのかもしれ
ないし、やろうとしてもできないのかやれる
のにできないのかはわからないが、ともかく
実際にできないことがあるのは事実として普
通に受け止めるしかなく、そんなことを踏ま
えた上で現状を分析してみるしかないだろう
し、そのできないことが社会にどのような影
響を及ぼしているかを考察してみたらいいの
ではないか。実際に現状を批判的に捉える人
たちはそういうことをやっているはずであり、
それらの人たちの言説や主張にはそういうこ
とが述べられていて、それを一般の民衆がど
う受け止めるかで多少なりとも政治情勢に影
響が及ぶだろうし、世の中が変化するにはそ
ういうところからの影響も何らかのきっかけ
をもたらす可能性があるのではないか。また
そうであるとしても、人々が気づかないとこ
ろで思わぬところから変化するきっかけが生
じることがあるだろうし、その一つが前世紀
末の情報革命であったことも確かなところか
もしれない。

 そんな情報革命以後の傾向としては情報過
多で宣伝過多な面があり、そこで何かをやっ
ているとともにやっていることを宣伝するこ
とに比重が移ってきて、大したことはやって
いないのに大げさに宣伝するから、そこでさ
も重要なことが行われているように思わせる
ような演出が施されているわけで、そんな演
出を真に受けた民衆が宣伝に踊らされて、情
報を操作している勢力の餌食となってしまう
のだろうが、別に餌食となっていても生きて
いるわけだから、いいように利用されながら
も普通に生活できている限りで、それらの勢
力の支持者となっているわけで、その辺が従
来から言われているような搾取や奴隷状態と
は根本的に異なるわけで、それらの人たちに
は危機感を煽るような脅し文句は通用しない
わけだ。その代わりの役どころとして適合す
るのが共犯者という立場なのかもしないし、
そうなるとますます支持者であることはやめ
られないし、下手に批判しようものなら批判
する人たちが逆にそれらの人々から非難され
ることにもなるわけで、そういう意味で宣伝
が人々の意識に及ぼす効果は絶大で、民衆を
自分たちの共犯者に仕立て上げてしまえばも
はや利益を共有しているわけだから、逆に功
利的には支持しない理由すら生じなくなって
しまうのではないか。たぶんそれは資本主義
経済がうまく機能して物質的に豊かになった
というよりは、情報過多であることの方が意
識の中で豊かさを実感できるということであ
り、現実には他と比較して大して豊かな生活
を満喫しているわけではなくても、日々情報
端末からもたらされる洪水のような情報に接
していると、それだけで頭の中がいっぱいに
なってしまうから豊かであると感じられるの
かもしれず、実質的にそれは豊かさの幻影の
ようなものかもしれないが、感覚として豊か
だと感じられてしまうのだから、やはりそれ
は幻影などではなく実感を伴った豊かさなの
ではないか。それを感覚の麻痺だと簡単に指
摘することはできるだろうが、誰もがそうな
らそれは麻痺ではなくなり普通の状態となっ
てしまうわけで、そういうところで情報革命
以後の時代ではそれ以前と時代と比べて豊か
さの程度や規模が縮小してしまっているのか
もしれないが、それは一般の民衆に限ったこ
とかもしれないし、時代の潮流に乗って金融
資産を飛躍的に増やして富裕層となった人々
なら物質的にも豊かになったことは間違いな
く、一般の民衆が情報だけの程度も規模も縮
小された豊かさに甘んじている一方で、それ
に反比例して富裕層の方が物質的にも過剰な
富を手にしたのかもしれないが、一般的に言
って豊かさというのはいくら実感しても物足
りないだろうし、過剰な富を手に入れた人た
ちはさらなる富を手に入れようとするだろう
し、物質的に富に飽きたら社会的な名誉を手
にしたいから慈善事業などに手を出そうとす
るだろうし、そうなると多少は貧困層にも富
がもたらされるのかもしれないが、それも全
ての貧困層に行き渡るほどの富でないのは明
らかで、富裕層の自己満足を叶えるだけの量
の施しが貧困層にもたらされるだけだろうし、
そういう行為からは何も解決しないのかもし
れないが、ともかく政治の場で主導権を握っ
ている勢力が世論や民意から支持されるだけ
の富や利益が一般に民衆にももたらされてい
ることは確かだろうし、だからこそ一般の民
衆も共犯者としての立場に甘んじていられる
わけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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