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彼の声

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彼の声 2018.2.12 「議論の中身」

2018/02/12

 それは他の集団的な組織形態にも言えるこ
とかもしれないが、政党においても議会にお
いても集団で何かをやろうとする場合には必
ずその代表者が選ばれて、代表者が集団を代
表して何らかの意向を示す仕組みができてい
て、そのような意向が集団全体の意向である
かのように装われるわけだが、そういう制度
にしないと議会も選挙も成り立たないし、そ
れは当然のことだとも言えるわけだが、選挙
で民衆の代表者を決めて、その代表者が集ま
った議会の各種の委員会でも本会議でも質問
したり答弁する代表者を決めないと、それぞ
れの会議が成り立たないだろうが、その質問
内容や答弁内容が代表者の個人的な意向が反
映されたものなのか、それともその人を代表
者として送り込んでいる集団の意向なのか、
あるいは時と場合によってはそのどちらかで
あり、あるいは個人と集団の両方の意向が入
り混じったものなのか、さらにそんなことは
どうでもよく、それを受け取る側の都合に合
わせてどちらにも解釈しても構わないのか、
その辺で何か不都合な点があるとすれば、そ
の代表者の質問内容や答弁内容にその場に居
合わせた誰もが納得できるかということであ
り、特に答弁内容に納得できないと議場が混
乱して、納得できない勢力が議題の採決を拒
否したりする場合もあるだろうが、それがそ
の人個人に向けられた不満なのか、あるいは
その人を代表者として送り込んでいる集団に
対する不満なのか、あるいはその両方であり、
また時と場合によってはそのどちらかであり、
さらにどちらであっても構わないのか、とい
うことに関して別にあまり深く考える必要が
なければ、ではなぜ集団の代表者たちが議会
で質問したりそれに対して答弁するのかとい
えば、そこで開かれている会議を成り立たせ
るにはそうするしかなく、会議に参加してい
る誰もが勝手に質問したり答弁してしまえば
その場の収拾がつかなくなるだろうし、それ
を避けるために前もって質問を行う会派の中
で質問する内容を決めておいてから、会議の
中でその内容で代表者が質問するわけだから、
質問する側の代表者は概ねその集団を代表し
ているわけで、また答弁する側も概ね答弁す
る側の集団の代表者であることは間違いない
わけだが、それを批判する時には代表者を個
人として扱っているし、個人を名指しして批
判することがあるのだが、その辺から個人を
批判しているのか、個人を代表者として送り
込んでいる集団を批判しているのか、あるい
は両方とも批判しているのか、さらにその場
の都合に合わせて批判の対象が個人であった
り集団であったりするのか、ということが曖
昧かつ不明確になりがちになり、たぶんそう
いうところから代表者を決めるという制度の
はっきりしない面が浮かび上がってきて、下
手をするそんなところから批判する側が煙に
巻かれて、いつの間にか採決が行われて多数
決で物事が決まってしまうわけだが、そうな
ると肝心の会議の内容が中身のない空疎な対
立が鮮明となっただけで、実質的にはそこで
何が話し合われたわけでもなく、交渉も取引
も会議の外で秘密裏に行われていたりして、
それで納得しろと言われても納得しがたいだ
ろうが、そんなことが当たり前のように行わ
れている状況があるとすれば、民衆の側から
すれば何のために選挙をして議会に代表者を
送り込んだのかよくわからなくなってしまう
のではないか。

 それに関して逃げ口上を言うなら、政治も
行政もまつりごとであり、放っておけば実質
的な中身が抜け落ちて、儀礼的な礼儀作法や
形式的な手続きが幅を利かせる成り行きとな
るのかもしれず、制度自体の性質としてそう
いう面が重視される傾向にあるわけで、それ
でも制度に何か内容があるとすれば決まりき
った動作を繰り返すことだろうし、ただ会議
に議題を持ち込んでそこで型通りの審議を行
ってから採決して多数決で物事を決めるとい
う動作が繰り返されるのが、そこでの制度的
な手続きであり、審議の進め方は制度で決め
られているが、その内容までは制度の関知す
るところではなく、内容がどうであれ議題を
巡って審議して採決すれば制度的には問題な
いわけだ。だが人が求めているのはそんな形
式的な手続きだろうか。それは人にもその人
の立場にもよるだろうが、少なくとも制度を
護持する側にとってはそれでも構わないので
あり、また議会で多数決に持ち込んで賛成多
数を期待できる側からしてもそれでも構わな
いだろうし、唯一議題に反対している側から
すればそうなっては困るから、何とかそれを
阻止したいわけで、場合によっては時間稼ぎ
のようなことまでやって、採決に持ち込ませ
ないような戦術を用いることもあるのかもし
れないが、たぶん真面目に選挙で投票して自
分たちの代表者を議会に送り込んでいるつも
りになっている人にとっては、自分が投票し
た候補者や政党が自分の意向を反映させるよ
うな活動を行なってほしいと思うのかもしれ
ないし、その活動が議会での審議内容だとす
れば、どれもそれには当てはまらないだろう
し、実質的な質問内容や答弁内容によって、
審議を経た末に行う採決の結果が左右される
ような事態が望まれるのかもしれないが、制
度的にはそれは望むべくもないのかもしれず、
全ては型通りの形式的な手続きに則って粛々
と進行していくだけで、それが予定調和の結
果とはならない要素がなくはないだろうが、
結局批判する側は個人攻撃のようなことにな
りがちで、答弁者の責任を追及するようなや
り方で辞任を勝ち取ったとしても、その背後
にいる集団は安泰でいる場合が多いのかもし
れず、それも個人と集団の区別を曖昧にして
いる制度の特性だと言えるのかもしれないし、
それが集団を生かすために個人を犠牲にする
制度の特性が象徴的に表れているところだろ
うし、批判する側は多数決で優位とならない
限りはどうしようもなく、しかも形だけ議会
の多数派を占めていても、裏方や事務方とし
て議会を運営している行政機構を味方につけ
ない限りは、有形無形の妨害工作にさらされ
る事態ともなりかねず、そこに制度として仕
組みがあるのだから、その中身よりは形式的
な動作が優先される傾向があることは当然で、
中身だけで勝負を挑んでも勝ち目はないのか
もしれないが、それでも人は中身を求めるの
だろうし、少なくとも真面目に政治活動の内
容を求めている人々にとっては、そこで行わ
れる議論の中身に自分たちの意向が反映され
てほしいと思うのではないか。たぶんそうい
う思いには功利的な戦略や戦術が欠けている
かもしれないが、数的に有利な側が功利的な
戦略や戦術を用いて議論の中身を省いて多数
決に持ち込むようなことをやった場合、果た
してそういうことをやっている側の支持者た
ちは納得するだろうか。それでも支持が変わ
らないとすれば、やはりそういう人たちは何
よりも制度に従うことを優先する人たちと言
えるのかもしれない。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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