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彼の声 2018.1.16 「制度の在り方」

2018/01/16

 法律はやってはいけない行為を規定して社
会の中で暮らす人々の活動を規制するわけだ
が、その一方でやってはいけない行為をやっ
た場合の処罰規定を定めていて、それを厳密
に解釈すると法律が重視しているのは、やっ
てはいけない行為よりはそれをやってしまっ
た場合の処罰規定であり、人がそれをやって
しまうことに関しては十分に承知していて、
やってしまったことが発覚した場合は公的機
関が罰則を科すようなルールにしているわけ
だ。それが何を意味するのかというと、人の
活動に公的機関が介入する口実を法律が与え
ているわけで、介入することが公的機関によ
る権力の行使になるわけだが、人や団体が争
ったり交渉したり取引する上で、公的機関の
介入を必要としている場合があり、そこで利
益が発生すれば課税して、損害が発生すれば
損害を与えた側を処罰したり損害を被った側
を救済しなければならず、そのような課税や
処罰や救済などが公的機関の権力の行使によ
って実現されると考えれば、その権力の行使
の正当性にも納得できるだろうか。少なくと
もそのような介入によって救われた人や団体
は納得するかもしれないが、課税や罰則を科
された側は納得しないかもしれず、場合によ
っては不服申し立てなどの制度も利用できる
わけだろうが、公的機関側に明らかな過失が
ない場合は受理もされないだろうし、法律上
は公的機関による正当な根拠に基づいた権力
の行使には逆らえないわけだろうが、そもそ
も公的機関とは何かと言えば、普通に考えれ
ばそれは行政機関や裁判所などの司法機関が
思い浮かぶわけだが、一般的に言って司法制
度が社会の中で有効に機能していれば、人や
団体が他の人や団体から一方的に攻撃された
り搾取されるようなことは抑制される傾向に
なるのだろうし、その抑制される傾向という
のが、違法行為が処罰される限りで、という
条件がついた上で抑制される傾向が生まれる
わけだが、そのような行為が全く行われなく
なるということではなく、実際にはひっきり
なしに行われていて、そのような行為が発覚
しては裁判などで裁かれて、行なった当事者
が処罰されている実態があるということであ
り、それを違法行為が抑制される傾向になる
と言えるとすると、そのような制度がなかっ
た場合と比較してそう言えるかもしれないと
いうことだろうが、すでにそれがある現状の
中では比較できないわけだから、もしかした
ら別に司法制度があろうとなかろうと犯罪行
為が抑制されているわけではないのかもしれ
ないが、少なくとも実際に被害を受けた側に
しても被害を恐れている側にしても、そのよ
うな制度がないと困るだろうが、そう思うの
は司法制度があるという前提の中で暮らして
いるからそう思ってしまうわけで、それが司
法制度がないか機能していない地域や国で暮
らしている人々にとってはどうかというと、
そのような前提が成り立っている地域や国の
住民が想像できるようなことではないのかも
しれない。

 比較するという行為がいつも理不尽な比較
を当然のこととしているわけではないのだが、
司法制度が正常に機能している状態というの
が、どのような状態を正常とみなすかによっ
て、それに対する認識も異なってくるだろう
が、正常と異常とを分ける境界をどう取るか
によっても、認識が異なってきてしまうだろ
うし、結局は現状で機能している司法制度を
どう評価するかということであり、それとの
比較で何が正常で何が異常な状態なのかを相
対的に判断するしかないのかもしれないが、
個々の事例に関する司法の判断が公正かつ公
平な判断とは思えなければ、判断された当事
者が抗議するしかないだろうし、それに世間
的な話題性があればメディアなどを通じて社
会問題化されて、抗議の輪が世の中に広がっ
て行く場合もあるだろうし、さらにそれが政
治問題化されて議会などで取り上げられるよ
うなことにでもなれば、場合によっては司法
改革などの機運が高まる可能性も出てくるの
だろうが、それに関しては純粋な司法判断と
は言えないような事例もあって、例えば政権
や行政が推進している事業などの反対運動を
やっている団体が、それに関する司法判断を
求めているような場合もあるわけで、そうい
う場合に司法が政権や行政寄りの判断を出せ
ば、反対運動をやっている団体が行政と司法
の癒着だと批判してしまうわけで、実際に構
造的にも司法機関は行政機関から派生してい
るような形態であるから、そういうところで
法の下での公正な判断がどうあるべきなのか
は微妙なところかもしれないが、そこから司
法の欺瞞を暴くような印象操作もできないこ
とはないだろうが、それは同時に政治的な問
題でもあるわけだから、そのような事例は執
拗に司法判断を求め続けるよりも、政治活動
の方で解決を図らなければならない面もあり
そうで、実際に政権交代を実現させて行政が
推進する事業を転換させるしかやりようがな
いのではないか。またそうである限りにおい
て純粋に制度の無謬性や完璧さを期待するの
は無理なのかもしれないし、制度はそれを活
用して権力を行使したり利益を得たりするも
のと認識しておくべきなのかもしれず、制度
だけで成り立っているわけではなく、それを
活用する機関とともに成り立っていて、それ
を活用して権力を行使したり利益を得ている
機関が制度を管理し運営していて、その運営
機関に対して利用者が求められるのは、その
機関自体に害が及ばないような範囲内でしか
ないだろうし、その機関の在り方を決めるの
はその機関が属している権力機構の意向が絡
んでくる面が大きいだろうし、結局はそのよ
うな権力機構が何から生じているのかが、そ
の一翼を担っている制度を管理運営している
機関にも影響を及ぼしているわけで、やはり
そうなってくると最終的には政治問題として
民衆と行政との関係をどのような形態にして
いくかが問われてくるのではないか。それに
関しては果たして民衆は行政の主人になれる
のか、それとも民衆は行政の管理対象でしか
ないのか、という二者択一とは異なる関係を
模索することが果たして可能だろうか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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