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彼の声 2017.12.31 「制度や慣習の違法性」

2017/12/31

 忘れてはならないのは企業でも行政機関で
も、取り立てて活動に支障が出ない場合は通
常の業務が普通に行われているわけで、しば
しばメディアなどで取り上げられて批判され
るような不正行為ばかりが行われているわけ
ではないのだろうが、不正行為や違法行為で
はなく、合法的な通常の業務の中で行われて
いることが、社会の制度や慣習によって支え
られていて、活動がそのような合法的な行為
だけで成り立っていれば、取り立てて問題は
ないわけだが、実際にはそれだけでは済まな
いから不正行為や違法行為が行われるわけで、
なぜそうなってしまうのかといえば、そのよ
うな行為を行わなければならない成り行きや
事情が生じてしまうわけで、なぜそういう成
り行きや事情が生じるのかといえば、社会の
制度や慣習によって支えられているのは、合
法的な通常の行為だけではなく、不正行為や
違法行為までもがそれらの制度や慣習によっ
て支えられているからだと言えるだろうか。
業務が合法的な活動だけではうまくいかなけ
れば、法律に違反するようなことを行ってま
でも業務を遂行しなければならない制度にな
っていて、そういうことを行うのが企業でも
行政機関でも慣習となっているとすれば、そ
れらの業務には違法な活動までもが含まれる
と解釈した方がいいのかもしれないが、なぜ
活動には合法と違法の二種類の活動があるの
かといえば、普通に考えれば違法な活動は非
常手段であって、合法的な活動で間に合って
いる限りは無理に違法なことを行う必要は生
じないわけだが、それだけでは業務をうまく
遂行できない時に違法な手段がとられるわけ
だろうが、法律違反を犯してまでも業務を遂
行する必要があるのかというと、しばしばそ
のような行為が起こっていれば、少なくとも
慣習としてはそうなのだろうし、それが常態
化しているようならば制度としてもそうなっ
ていると言えるだろうし、そういう意味では
制度や慣習は少なくとも法律だけで支えられ
ているわけではなく、違法行為によっても支
えられていると言えるのかもしれないし、さ
らに言えば企業や行政機関の業務は違法行為
をも含むような制度や慣習によって支えられ
ているとも言えるのではないか。そしてそこ
で優先すべきなのは法律を守ることでも違反
することでもなく、業務を遂行することであ
り、優先順位として最も高いのはそれで、次
になるべくなら合法的な範囲内で行うことが
できればそれに越したことはないとなり、さ
らにそれでは業務を滞りなく遂行できないと
なると、非常手段として違法なことを行なっ
てでも遂行しなければならなくなるのではな
いか。そしてそれがしばしば行われていて、
場合によっては常態化しているようなら、も
はや非常手段でも何でもなく、そのような行
為は慣習となっていて、さらに周知の事実と
して黙認されているようならば、制度として
違法行為が成り立っていることにもなるわけ
だ。

 そのような違法行為となってしまうと、た
とえ一部のメディア上で激しく糾弾されても、
関係者の間ではさほど問題視されないわけで、
場合によってはむしろ必要悪として世間一般
でも容認されているのかもしれないし、その
逆に別に違法でもない行為が、制度や慣習上
は許されないような場合があるわけで、むし
ろそちらの方が世間一般においては激しく糾
弾されることにもなり、例えば政権中枢の違
法行為が不問に付されて、それと時を同じく
して著名人の不倫行為が激しく非難されるよ
うな事態まで生じるわけで、それとこれとは
別問題と言われればその通りかもしれないが、
メディアの取り上げ方が著名人の不倫行為ば
かりを騒ぎ立てている実態があるとすれば、
政権中枢の違法行為に世間の意識を向けさせ
ないための世論誘導だと思われても、それは
仕方のないところかもしれないが、そこで問
われているのは合法か違法かの判断ではなく、
そこで成り立っている制度や慣習に照らし合
わせて、それが許される行為か否かの判断で
あることは確かかもしれないし、そのような
論理のすり替えがメディア主導で行われてい
る場合もありえることなのかもしれず、別に
それを論理のすり替えとは認識していない人
たちが世の中の大半を占めている場合まであ
るわけで、そうなるとその場の状況次第では
あからさまな世論誘導でさえ、それがそこで
成り立っている制度や慣習に照らし合わせて
許される行為だと判断されてしまう可能性さ
えあるだろうし、そういう意味で世の中で行
われている様々な行為や言動の中には、その
全てを合法か違法かのような一つの基準では
判断できない場合があることは確かだろうし、
しかもそれを判断する人の恣意的な判断と、
制度や慣習に依存しているような世間的な判
断とが、必ずしも一致しない場合があること
も確かだろうが、どちらを優先させて判断す
るかも、その人の立場によって異なるだろう
し、その辺をどう考えるかがその先の行動や
言動へとつながっていくのだろうが、それに
関して誰がどんなことを述べようと、たとえ
述べていることに説得力があるように思われ
ようと、そう思ってしまう意識が世の中の制
度や慣習から影響を受けていることも確かで
あり、そのことと自らの社会的な立場や地位
から生じる損得勘定とは無関係であっても、
それを肯定的に受け止めたり否定的に感じた
りすること自体が、自らの社会的な立場や地
位を反映していることも確かなのかもしれず、
そういう立場や地位が世の中の制度や慣習か
ら生じているのだとすれば、少なくとも意識
がそれらに影響を受けていたり依存している
限りで、どう考えても普遍的な感覚にはなれ
ないわけで、そんな感覚になる必要もないの
かもしれないが、社会の中で自らの立場や地
位に依存した限定的な感覚というのが、他の
立場や地位に依存している他人の感覚とは多
少のずれが生じているとしても、その中には
社会的な階層構造や職場や地域社会での役割
分担に応じた特有の感覚という共通要素もあ
るだろうし、そのような感覚で構わないのか
否かも含めて、そこで少しは謙虚さを装うな
ら、そのような事情もその場の判断に反映さ
せるべきなのかもしれない。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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