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彼の声

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彼の声 2017.12.28 「組織的な動作と個人の意識」

2017/12/28

 人が何らかの職業に就いて働いていれば、
その人は社会の中でその人を働かせる何らか
の制度に従っていることになるわけで、働い
て報酬を得ることが、人を働かせるのと交換
で報酬を与える制度の中で人が動作している
ことを示しているわけだ。その大半が労働と
金銭の交換に関する制度なのだろうが、それ
と重なる制度として商品と金銭の交換に関す
る制度があるわけで、労働も労働力商品とみ
なせばそれに含まれてしまうわけで、労働力
商品とはいわゆるサービスに含まれるわけだ
が、そういう意味で金銭と交換できる商品に
は物や情報とともにサービスがあるわけで、
そのサービスに人の労働が含まれていて商品
として取引の対象となっているわけだが、そ
こで肝心なのは他の商品である物や情報は人
から分離して他の人に渡すことができるわけ
だが、労働自体は人と一体となっていて分離
することができず、かといって人自身を他の
人に売り渡してしまうと人身売買となって、
それでは違法行為とみなされてしまうわけだ。
だから商売などの経済活動の中で商品として
労働を取り扱うとなると難しい対応を迫られ
るのだろうし、労働者自身が売り買いの対象
となってしまうと奴隷と変わらなくなるだけ
に、その人の所有権をその人が保持したまま
でその人に働いてもらわなければならず、そ
の上で働かせる側の意向に同意してもらわな
いとならないし、それも脅して働かせるよう
な強要はやはり違法行為となってしまうのだ
ろうし、結局働かせる側としては労働者が働
かざるを得ない成り行きにどうやって持って
いくかが、労働力が商品として成り立つ上で
重要となってくるわけだ。そのような環境と
して労働者が労働力以外に売り物がない環境
が制度として整備されてきた歴史的な経緯が
あるのだろうし、具体的にはそれが都市環境
であり、そこで人は畑を耕して農作物を収穫
して売ることはできないし、森や海や河川に
行って獲物を採集してそれを売ることもでき
ないから、商人となってそれらの収穫物や採
集物を売るにしても、買ってくれる不特定多
数の大勢の人がいないと商売が成り立たない
し、また職人となって生活必需品を作るにし
ても、それを買って使ってくれる不特定多数
の大勢の顧客がいないと商売が成り立たない
だろうし、結局それらの物を買ってくれる不
特定多数の大勢の人たちは何をやって生活の
糧を得ればいいのかとなるわけで、そうなる
と残された売り物は自らの労働力しかなくな
るだろうし、必ずしもそういう成り行きで労
働者が生まれたわけではないだろうが、とも
かく都市環境の整備が労働者を生んできた歴
史的な経緯があることは事実なのかもしれず、
そして労働者は都市の中で職人に使われるこ
とになれば工業的な労働の担い手になるだろ
うし、商人に使われることになればサービス
業的な労働の担い手になるわけだが、工業に
おいてもサービス業においても集団として組
織的な企業形態を取らないと経済活動が成り
立たないわけで、またそれは他の農林水産業
でも次第にそうなっていった歴史的な経緯が
あるだろうし、何がそのような企業形態を取
らせるようになってきたかというと、結局そ
れは資本主義的な効率やコストを重視する経
済活動が、絶えず人を集団化して大規模集約
的な作業に駆り立ててきたわけで、そうやっ
て物や情報やサービスの大量生産と流通と販
売と消費を可能とする社会を形成してきたわ
けだ。

 またそれとともに組織化された集団を管理
統括する部門だけが独立した組織形態を構成
するようになってきたのが官僚機構であるわ
けだが、それ自体は何を生産するわけでもな
く、強いて挙げるなら権力関係を生産する部
門と言えるのかもしれず、権力関係を構築し
ながらその関係を利用して労働者を働かせる
役割を担っているとも言えるわけで、そこで
労働者が働かざるを得ない成り行きに持って
いく上で、そこに権力関係が構築されている
と上位の者から下位の者へ働けという命令が
スムーズに伝達されることになるわけで、そ
ういう意味ではそれも集団で行う協業活動を
効率的に進める上で欠かせない部門であるの
だろうし、大規模集約的な作業を行うにはそ
れを管理統括する官僚機構の存在が必要不可
欠となってくるわけだ。また官僚機構は行政
の中でも主要な役割を果たしていて、行政は
何も生産せずに何らかのサービスを提供して
いることになるわけだが、そのサービス自体
が民衆を管理統括するサービスであり、では
何のために民衆を管理統括しているのかとい
うと、表向きは民衆のために民衆を管理統括
していると言えるわけだが、それと同時に国
家のために民衆を管理統括しているとも言え
るだろうし、国家とは何かと言えば行政が管
理統括する対象であり、実質的には行政のた
めに民衆を管理統括しているとも言えるわけ
で、国の憲法などを率直に解釈すればそうで
はなく、あくまでも主人は民衆であって、民
衆のための国家であり行政であると解釈して
おいた方が無難なのかもしれないが、すでに
企業の経済活動を円滑に行うために官僚機構
が労働者を管理統括している実態があるだけ
に、その論理の延長上では国の行政活動を円
滑に行うために官僚機構が民衆を管理統括し
ているという実態の方が説得力を持つのかも
しれず、そのための方便として民衆を騙すた
めに、憲法でそのような実態とは真逆のこと
が記されていると解釈するのは、あまりにも
憲法を曲解しすぎていると言えるのかもしれ
ないし、理想としても普通に解釈すればそん
なことにはならないわけだが、官僚機構の実
質的な動作内容を考えると、そうなりがちな
面も否定できないし、そうなってしまう成り
行きに政治の場で歯止めをかけることができ
ない面もあるだけに、絶えず政治的に民衆の
世論に訴えかけなければ、民衆は行政の官僚
機構に管理統括されるだけの存在となってし
まうだろうし、また企業の中では企業の官僚
機構に管理統括される存在であり続けるわけ
だが、もちろんその中のごく一部の人たちは
官僚機構に入って民衆や労働者を管理統括す
る側になれるわけだが、そうなったとして制
度の中でそういう立場になるだけであり、自
らを拘束する制度に従う限りでそのような立
場や役割を担うに過ぎず、自らの主体的な判
断で管理統括ができるわけでもないだろうし、
あくまでも集団的な組織形態の中で働いてい
る装置の歯車としての機能を担うわけで、そ
の中でうまく機能すればそれなりに評価を得
て組織の中で地位が昇進するかもしれないが、
そういう成り行きに満足できればそれなりの
達成感を伴って充実した職場生活を送れるの
だろうし、別にそれで構わないわけだろうが、
何のために民衆や労働者を管理統括している
のかについて、何か明確に肯定できるような
理由を求めてしまうと、その辺で漠然とした
疑問が湧いてくるかもしれないだろうし、そ
の一方で答えなどないと言ってしまうと虚無
感に包まれてしまうのかもしれず、どちらに
しても組織の中で主体的な活動を目指すのに
は困難が伴いそうだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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