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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2017.12.18 「社会の中で働いている力」

2017/12/18

 世の中で自分が管理しているつもりの物事
は自分の権限でどうにでもなるわけではない
が、その物事については自分に優先権がある
ように思われるだろうし、時にはそれについ
て権力を行使しているつもりにもなれるだろ
うが、そのようなことを行う以前に制度的に
も慣習的にも動作を縛られていて、またそれ
を機械を使ってやろうとすれば機械の動作の
範囲内で行うしかないだろうし、それが何を
意味するのかというと、同じような制度的で
慣習的な制約の中で行われる他の人の動作と
同じようなことになる可能性が高く、また機
械を使ってもその機械を使っている他の人た
ちと同じようなことをやっている可能性が高
くなるだろうし、結局自分と同じような物事
について同じように管理しているつもりの人
が他にも大勢いて、それらの人たちと同じよ
うに同じようなことをやっている可能性があ
るわけで、自分の含めてそんな人たちの集合
体が社会を構成している実態があるのではな
いか。もちろんそのすべての動作が全く同じ
というわけではなく、それぞれでその人に特
有の事情を抱え込んでいるから、それなりに
差異はあるのだろうが、それもその社会を構
成している制度や慣習の許容範囲内の差異で
あって、その許容範囲から逸脱するようなこ
とをやると必然的にその社会の中では違反行
為をやっていることになり、そうなると懲罰
などの何らかの形式を伴って社会から締め出
されるような措置を受けることになるのでは
ないか。そういうわけでたとえ自分が管理し
ているように思われる物事について自分に何
らかの権限があるように思われる場合であっ
ても、その権限は自分を含んだ社会を規制し
ている何らかの制度や慣習が許容できる範囲
内で権力を行使できるにすぎず、それを逸脱
して権力を行使することは制度的にも慣習的
にも許されていないわけだ。だからと言って
実際にそのような許容できる範囲内で権力の
行使が収まるのかといえば、必ずしもそうは
ならないだろうし、絶えず成り行きとしてそ
こから逸脱してしまうことをやってしまうか
ら、世の中では様々な違法行為や道義的に許
されない行為がはびこっているわけで、逆に
そのような行為を抑止する意味で制度や慣習
があると言えるのかもしれず、そういう意味
では制度も慣習も人々が過ちを犯す歯止めと
なっている面はあるのだろうが、またそれと
同時に人々の自由な活動を抑圧する面もある
わけで、そこでも制度や慣習が人々に恩恵を
与えている面と弊害をもたらしている面があ
って、必ずしも恩恵を与える良い面ばかりを
制度や慣習に持たせることはできないだろう
し、それに関して何か問題が起こる度に、制
度的な変革を行う機運が生じてくるのだろう
が、それも制度的な手順に則って変革が行わ
れる場合でも、それで人々が目指す理想的な
状況になるわけでもないだろうし、結局は絶
え間なく変革し続けるような成り行きにしか
ならないのかもしれず、そのような経緯に伴
って慣習の方にもそれなりの変化が表れるの
だろうが、そうであっても常に慣習から逸脱
する行為が行われる可能性があり、場合によ
っては逸脱した方がマシに思われることもあ
るわけだ。

 そんなわけで何かが行われる場合には、常
に制度的かつ慣習的な規制の圧力がかかって
いる中で行われるわけだろうが、人がそれに
関してどれほど自覚的になれるかはその人が
置かれた状況にもよるだろうし、またその人
の意識次第な面もあるだろうが、その場の成
り行きの中でそれと気づかずにそれらの規制
の圧力に逆らっている場合もあるだろうし、
圧力を意識しながらも逆にそれを利用しよう
として、場合によっては周りの人たちと連携
しながら自らに有利な状況へとその場の成り
行きを変えて行こうとするかもしれないし、
規制に従うか逆らうかの二者択一以外に、む
しろ規制を利用して有利に事を進めようと画
策する場合もあって、規制への対応といって
も一筋縄ではいかない厄介な面があるわけで、
そこで二項対立的な認識にとらわれてしまう
と対応を誤ってしまう可能性が出てくるわけ
だろうが、戦略だとか戦術だとか言われる行
為のレベルでは絶えずそのような対応に基づ
いて周囲との交渉や取引が行われることにな
り、そういうところで軽視されるのが道義的
な側面であり倫理的な対応となるのだろうが、
それに代わって安易に依存しがちな傾向にな
るのが損得勘定であり功利的な対応となるわ
けで、一見合理的に思われるような対応とい
うのがその種の功利性に基づいた対応であり、
戦略や戦術もその場で勝つための手法として
功利性を重視するわけで、それでうまくいっ
ているように思われているうちはそういうや
り方に傾斜しがちになるわけだが、そういう
ことをやり過ぎてしまうと道義的な面でも倫
理的な面でも世の中の荒廃が進んでしまうの
かもしれず、戦略や戦術を有効に活用して成
功した勝者が世の中の主導権を握ってしまう
と、その一方でそれらを活用できずに失敗し
た敗者が民衆の大多数を占めるようになり、
そうなると富や権力の不均衡や不平等がより
一層顕著になって、そのような社会を規制し
統制している制度や慣習に人々が幻想を抱け
なくなってしまうのかもしれず、それは世の
中で主導権を握っている一握りの勝者たちに
対する信用の失墜を意味するわけで、それに
呼応して革命への機運が高まってしまうのか
もしれないが、現状の世の中でそうなってい
るのかといえば、そういう傾向が顕著になっ
ている地域ではすでに何らかの紛争状態にあ
るわけだろうし、平和が保たれていればまだ
それほど極端な不均衡や不平等は生じていな
いことになるのだろうが、それも程度の問題
であるのかもしれず、特定の人や勢力が一方
的に勝ち続けるような成り行きにならなけれ
ばそういう極端な状況にはならないわけで、
普通は民衆の意識や世論にバランス感覚が働
いて、民主的な政治制度が確立して機能して
いる状況では、選挙などで特定の人や勢力に
一方的に勝たせても独裁的な政治体制が確立
して、民衆にとってそれは活動の自由を奪わ
れて自分で自分の首を締めるだけだから、そ
れでは何事においてもあまり得にはならない
という認識が世の中に広まれば、そういう結
果になるのを回避するような動作が生じるわ
けだが、マスメディアも一体となって特定の
人や勢力を勝たせるような行為に走れば、そ
ういうバランス感覚に打ち勝つことができる
かもしれないが、そうであっても相変わらず
その場の前提としては、良い意味でも悪い意
味でも制度的かつ慣習的な規制の圧力がかか
っていて、規制から逸脱する行為を抑制する
ような作用が働いていることは確かなのでは
ないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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