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彼の声 2017.12.17 「社会的な分業体制」

2017/12/17

 資本主義経済の中で成り立っている分業的
な労働の形態は、物や情報やサービスなどの
生産と流通と販売と消費の過程で、限られた
範囲内で部分的な作業を受け持って、そこで
限定的な労働を行い、それぞれの作業を企業
などが連結して管理しながら、全体として資
本主義的な経済活動として生産から消費に至
る連続性を保っていることになるわけだが、
中には一つの企業で全ての過程を受け持って
いる場合もあるだろうが、大抵は特定の過程
に特化した作業を受け持っている企業の方が
多いかもしれないし、そんな中でも人の行う
労働はさらに細分化され個々の役割分担も多
種多岐に渡っていて、そのような部分的な労
働を行なっている限りで、他の役割を担って
いる作業に精通しているわけでもないし、そ
の必要もないわけだが、では仕事以外のこと
については、例えば社会全般の情勢やそこで
起こっている物事について知る必要はないか
といえば、必要がないとはいえないだろうし、
日々の生活の中でニュースメディアなどから
それなりに情報を得ているわけだから、知ら
ないはずはないだろうが、とりあえず法律を
守って制度に従っている限りで、大して世の
中の事情に精通していなくても何の不都合も
生じないのかもしれず、それで何が悪いわけ
でもないのだろうが、とりあえず日々の労働
をこなしてそれなりの報酬を受け取って生活
できている限りで、それ以上に余分なことに
関心を持たなくてもいいのかもしれず、そう
であるなら私的な生活の他に何をやらなけれ
ばならないのかといえば、特に何もやること
がないと思われても、それは当然の成り行き
なのではないか。果たしてそれ以外で何か行
わなければならない事情が生じる余地がある
のだろうか。たぶんそれは法律を守れなくな
ったり、世の中の制度に従えなくなった時に、
やらなければならないことが生じてくるわけ
で、例えば法律を守れない正当な理由が生じ
ていると思われれば、法律があること自体が
不都合なのだろうから、法律を変えるために
何らかの活動を行わなければならなくなるわ
けで、また同じように世の中の制度に従えな
い正当な理由があるように思われるならば、
その制度を変えるために何らかの活動を行わ
なければならなくなるわけだ。それが政治活
動の始まりなのだろうし、そのような事情に
対応するために公的な政治制度が整備されて
いるわけだろうが、果たして一般の市民がそ
れを利用することができるのかというと、一
人では無理だろうし、他に大勢の賛同者を集
めないと選挙を通じて議会に代表者を送り込
めないし、議会でその賛同者が多数を占めな
いと不都合な法律や制度を変えることができ
ないわけで、それを実現するために政治活動
をしなければならなくなるわけだが、そのよ
うな政治活動を専門に行うのが政党となるわ
けで、それも分業的な労働形態から生じた作
業と類似していて、政治という限られた分野
の範囲内で部分的な活動を受け持っていると
言えるのかもしれず、それは法律の分野で専
門的な業務を受け持つ弁護士や、納税に関し
て専門的な業務を受け持つ税理士などと似た
ような傾向があるのかもしれない。

 そのようにして世の中が全て分業的な業務
によって細切れとなっている実態がある中で、
一般の市民が仕事と私生活以外で何かやるこ
とがあるのかというと、法律的にも制度的に
も何もやることがないといえばその通りかも
しれないが、肝心の法律や制度に逆らう活動
があるわけで、ある意味ではそれは違法行為
になる場合もあるだろうが、それを法律や制
度内に取り込むために政治活動として法律や
制度の範囲内に限定したいわけで、そこでも
やはり分業的な傾向を持った政党活動が幅を
利かせているわけだ。そうやって何かが人々
を何らかの業務に専念させながら管理する傾
向にあるわけだが、その管理している主体と
いうのが集団としての組織形態を持った各種
の団体となるのだろうが、その主なものは行
政や企業などであり、政治的な面においては
議会や政府などで管理権限を持っているのが
政党となるわけで、合法的な範囲では一般の
市民が何かをやろうとすると必ずそのような
管理団体の壁にぶち当たるわけで、もちろん
非合法な範囲でもヤクザやギャングやゲリラ
など、特有の傾向や役割を担った管理団体に
ぶち当たることになるわけだろうが、社会を
分業的に管理し統括しているそれらの団体の
間でもそれなりの交流があって、対立や連携
の中で互いに交渉や取引を行いつつ勢力争い
に明け暮れている状況もあるのかもしれない
が、一般の市民がそれらの各種団体に所属す
ることで自身の主体的な活動を制限されたり
奪われたりするのは当然の成り行きかもしれ
ず、それに代わって優先されるのが組織的な
活動となるだろうし、それらの各種団体を生
かすために働かなければならなくなるわけだ
ろうが、しかしそうである以前にそもそも私
生活でやっていることが主体的な活動の全て
だとみなせば、各種団体の中で働いている時
間以外は主体的に活動していることになるわ
けだが、その中でも娯楽という制度に時間を
奪われたり、またそれを制度というと語弊が
あるかもしれないが、一応は家族というのも
社会的な制度には変わりないわけで、家族の
ために時間を費やすのも、それを主体的に行
なっていると思っている人もいるわけだが、
さらに各種団体の中でも主体的に仕事をして
いると思っている人もいるわけで、その辺で
何が主体的な活動なのか人によって異なるの
だろうが、ともかく人は社会の様々なレベル
で重層的に様々な団体の管理を受けながらも、
自身もその管理に加わっている場合もあり、
その中で自身が主体的に行なっていると思え
るのは、自分で直接管理しているように思わ
れる活動になるわけで、つまり主体的な活動
とは自らの責任で何かを行い、それを自身が
管理している範囲内での行為となるのではな
いか。結局そうだとするとやはり個人も社会
の中で役割を分担されていて、その個人が責
任を持って行える範囲での作業に関して、管
理権限を社会から譲渡されていることになる
のではないか。それが主体性の正体であり、
社会的な分業体制の中の一部門として個人が
行う主体的な活動があって、その人が何か主
体的に行なっていることがあるとすると、そ
の行なっている作業が社会の中でその人が受
け持っている活動だと言えるのかもしれない。
 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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