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彼の声

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彼の声 2017.12.6 「労働と仕事の違い」

2017/12/06

 普段の日常の生活の中でやっていることが
仕事としてやっていることと違うのは当たり
前のことだが、日常の生活と仕事が分離して
いるわけでもないだろうし、仕事も日常の生
活の一部であることは言うまでもなく、仕事
からの影響が日常の生活に及んでいる可能性
もありそうで、仕事上当たり前のように行わ
れていることが日常の生活の中では違和感を
伴うわけでもないだろうが、それが当たり前
だと思うのは仕事上の習慣として身について
いるからそう思われるわけで、逆に仕事をや
らなければ身につかないような習慣があるの
かもしれず、例えばそれは集団の中での協調
性の類いだろうか。集団で仕事を行なってい
れば確かにそうかもしれないが、では単独で
仕事を行なっているような人には協調性が身
につかないのだろうか。たとえ単独で仕事を
行なっているとしてもそれだけで仕事が自立
して成り立っているわけではなく、他と接触
する部分が必ずあるわけで、それは何らかの
取引であり交渉であるのだろうし、具体的に
言うならそれは何かと何かの交換をもたらし
ていて、それが生産物であれ獲得物であれ、
あるいは何らかのサービスであれ、それらと
の交換で利益を得ていることは確かで、一般
的にはそれは金銭的な利益なのだろうが、た
とえ自給自足で生きているとしてもその場合
は労働と自然との交換があるわけで、畑を耕
すなり狩猟採集するような労働が自然の恵み
をもたらすわけだから、それが資本主義経済
の中では労働と金銭との交換となるわけだ。
しかしその場合は労働であって仕事とは違う
と思われるのかもしれず、労働とは生きてい
くためにはやらざるを得ない仕方のない行為
だとみなせば、では仕事とは何かというと、
自ら積極的にやる行為が仕事であって、自ら
の意志で主体的に働くような行為なのかもし
れないが、たぶん現代においては労働と仕事
の区別は曖昧であり、どちらも同じような意
味で使われていることが多いかもしれないが、
それが労働と呼ばれるのを嫌う人たちは、消
極的にやらされているのが労働で、積極的に
行なっているのが仕事だという区別をつけた
いのかもしれない。とりあえずはどちらも人
の活動であることには変わりなく、当人とし
ては積極的に仕事を行なっているつもりが、
実は何らかの思惑が作用してそう思い込まさ
れている場合もあるのかもしれず、実際には
やらざるを得ないことをやらされていること
に気づかないだけの場合もあるわけで、だい
たいはそれは世の中の慣習や制動がそうさせ
ているのかもしれないが、それが企業内では
集団が構成する組織的なシステムがそうさせ
ているのだろうし、その中に身を置いている
と例えば組織のトップを目指さなければなら
ないという立身出世欲が生じるわけで、出世
するために自らが行なっていることが消極的
な労働だとは思わないだろうし、自分の野望
を実現するために積極的に働いているように
思われるのだろうが、やはりその場合は組織
の中に身を置いているからそう思い込まされ
てしまうわけで、もちろん誰もが思うわけで
もないが、少なくとも自分の前途が有望だと
思えるようなエリート的な立場の人なら、そ
う思うのが当然の成り行きなのかもしれない。

 またそのような区別を敷衍すると、世の中
で権力を行使する立場の人が積極的に仕事を
行い、権力を行使される立場の人が従属的な
労働を強いられているとも考えられるだろう
し、確かに権力を行使する側とされる側の間
で生じる力の不均衡や立場の不平等を考える
ならそんな解釈も成り立つかもしれないが、
それが対等な取引や交渉の場では成り立たな
いだろうし、また集団の中で誰もが協調関係
を守っている場合は、誰が誰に対して権力を
行使しているのかが曖昧となってしまい、そ
こに醸し出されている空気や同調圧力に従っ
ているような場合だと、誰もが権力を行使さ
れる側となってしまう一方で、実質的に権力
を行使する人物が不在となってしまう場合も
あるわけで、そうなると誰が組織のトップに
なろうとその人が権力を振るっているわけで
はなくなり、その人でさえも集団が醸し出す
空気や同調圧力に従いながら活動しているこ
とにもなって、そうなると活動の積極性も消
極性も意味をなさなくなってしまうわけだ。
それはある意味で制度や法律に従うような場
合でも似たような構造になるだろうし、また
神に従う場合でも形式的にはそうなのかもし
れないが、しかし実質的にはそれが制度であ
っても法律であっても神であっても、それら
を利用してそれらに従っている人たちを支配
するというやり方が成り立つわけで、それが
司法官であれ司祭であれ、それらに従ってい
る人たちの最前列に自らを位置づけて、制度
や法律や神に従うように説教する指導者の立
場になろうとするわけだ。そして自らの権力
の行使を制度や法律や神の力の行使と同一視
するわけだが、それは制度や法律や教典など
の戒律に則って権力を行使するわけだから、
それらの思想に帰依している人々の間では何
か絶対的に正しいことをやっているように信
じられてしまうのだろうし、そのような制度
や法律や宗教の教典などの内容を絶対視する
ことは、思考や活動の柔軟性を欠いて状況の
変化に対応できなくなってしまう危険性を伴
うのだろうし、そういうのを教条主義という
わけだろうが、たぶん集団内で空気や同調圧
力に従うように仕向ける作用はそれとは少し
違い、要するに戒律的なはっきりした内容が
ないわけで、内容がないだけにある意味では
沈黙の圧力としてもっと陰湿な力を持ってい
るのかもしれず、何だかはっきりしないが目
配せのような仕草で暗黙の了解事項を守るよ
うに仕向けてきて、それに従わない人をのけ
者扱いにして村八分にしようとするのだろう
が、その何だかわからないがとりあえず集団
の同質性を維持しようとする動作は、そのよ
うなことを強いている人々の間でもはっきり
したことはわかっていない場合があるわけで、
ただ単に同調圧力に屈しない人に違和感を抱
いていて、そういう人は村のしきたりや掟を
守らない人だということはわかっているのだ
ろうが、それ以外ではないわけだ。だからそ
ういう人を非難する内容は妙に情緒的な言い
草になってしまい、論理的な筋が通らないよ
うなことを言いながらも非難する姿勢は変わ
らないわけで、それは知性の感じられない否
定的な感情の発露という以外には何の内容も
ない非難となるのではないか。

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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