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彼の声 2017.12.3 「公共の利益」

2017/12/03

 産業の大規模集約化はそれに伴って人の集
団的な組織化をもたらし、そのようなシステ
ムとして資本主義的な体制が形成されたわけ
だが、それは一方で体制内の人に細かな役割
分担を課して専門化が促進され、役割ごとに
部分的に機能する労働者の集団が生まれたわ
けだ。またそれはその体制を離れて別の職種
に就いた場合、以前の体制内で養われた専門
知識が新たな体制の中ではあまり役に立たな
いことを意味して、その職種に特有の専門知
識に普遍性がないことが明らかとなり、そこ
でしか通用しない仕事に関する知識と社会人
として日常生活の中で生きることが分離して
しまったわけで、仕事の中で専門家として通
用している限りは、公の社会の中で民主主義
の理念など尊重しなくても構わない風潮も生
まれてしまったのかもしれず、それを促進し
ているのがメディアを通して伝わってくる政
治情勢だろうし、マスメディアが政治的に主
導権を握っている勢力に配慮して政治批判を
しなくなれば、そこから影響を受けた民衆の
側でもそれで構わないと認識するだろうし、
民主主義の理念から外れた強権的な行為をメ
ディアが批判しなければ、やはりそこから影
響を受けた民衆の側でもそれで構わないと認
識するだろうし、そんなわけで公的な社会領
域で主体的に思考する意識が欠落すると、人
は仕事と趣味の中に埋没してしまい、社会人
としては慣習と制度に依存して生活するばか
りで、その慣習と制度にとって不都合な面ま
では気づかないだろうし、世の中をより良く
していくには慣習と制度を状況に合わせて絶
えず変えてゆかなければならないとまでは考
えが及ばないのではないか。もっともそんな
ことは社会の中でそれ相応の権限を持ってい
る政治家や官僚や、メディア上で発言権があ
るオピニオンリーダー的な著名人が考えれば
いいことで、一般の庶民が考える必要はない
ことだと思えばそれで事足りてしまうのかも
しれず、そこにも役割分担に伴う分業的な専
門化が影響していて、自分の専門外のことに
は口出ししなくても構わないという風潮も生
じてしまっているのかもしれないが、それに
関して社会全体のことを考える公的な社会領
域という概念が必要なのかというと、仕事と
趣味の狭い領域にしか興味を示さない人にと
っては不要なのだろうし、それで構わない状
態が維持できる限りは、それで済んでしまう
状況が続いていくのではないか。そしてそれ
では済まない状況というのが果たして一般の
人々に生じる時が来るのかというと、今この
時がそうなのかもしれないし、その時が来て
いるのに未だに多くの人がそれに気づいてい
ないのかもしれないし、今後も気づかないま
まなのかもしれない。そして気づかないまま
で構わないのかというと、それは各人の判断
にまかされていて、気づかないなら気づかな
いなりに、誰もが気づかない状況が続いてい
くのだろうし、多くの人が気づいたらそれが
世論に表れてそれなりに世の中の情勢が変わ
っていくのかもしれないし、結局世の中の情
勢はそこに住んでいる人の意識の変化に左右
されるものなのではないか。

 少なくとも公共的な社会空間がアプリオリ
にあるわけではなく、そこに暮らしている人
人が意識しないとそんなものは存在し得ない
し、存在しなくても済んでしまうのならそれ
だけのものなのかもしれないし、そこに住ん
でいる人々の意識や活動に応じた社会がそこ
に形成されてゆき、またそれで安定するわけ
ではなく、それなりに対立や軋轢も起こるし、
それを通して社会が変化してゆくのだろうし、
なぜ対立や軋轢が生じるのかといえば、それ
は社会の中で暮らしている人が他の人には受
け入れがたいことをやるからであり、そして
その人の活動が社会の中で一定の支持を得る
ようなことになると、それを支持する人たち
とそれに反対する人たちとの間で対立や軋轢
が起こって争いが起こるわけで、そのような
争いの中で社会が変化してゆくのだろうが、
その中で誰がどのような勢力が主導権を握る
としても、今のところはそのような勢力の思
い通りの社会が実現している地域は世界の中
では限られているわけで、世界全体が一つの
勢力の思い通りになることはないわけだが、
ただ資本主義的な価値観が世界全体を覆って
いることは確かであり、それがある意味では
普遍性を持っていて、それに対抗しようとす
る公共の利益を重視する価値観を圧迫してい
るわけで、それを単純化すれば個人の利益と
公共の利益の対立となるわけだが、厳密に言
えばそうではなく、集団の利益と個人の利益
も対立しているわけで、そして集団の利益が
公共の利益に反している面もあるわけで、そ
こで集団の利益を個人の利益と混同してしま
うと、その個人が集団に組み込まれているこ
とに気づけなくなり、そのような錯覚が資本
主義的な経済活動からもたらされる利益の正
当化にもつながるわけで、実際にそのような
利益によって特定の個人が潤っている一方で、
別の個人は損害を被っていることには無自覚
でいられるわけだ。要するに正確に言うなら
集団に組み込まれた個人に利益がもたらされ
ると、その集団に組み込まれていない個人に
は利益がもたらされず、しかもそれが公共の
利益に反していることになるのかもしれない
し、実際にそのような集団に対して公共の利
益を重視する人々から批判がされる場合には、
特定の集団による活動が社会全体から見ると
目に余るものに映るわけだろうし、時にはそ
れが資本主義的な利益の追求に関してそれが
行き過ぎた追求とみなされてしまうのではな
いか。またそれは資金に物を言わせて強引な
ことをやっていると受け取られる場合もある
かもしれないし、さらに政治的な権力の行使
と連動していると、民主主義の理念に反して
いると思われるだろうし、そういうところか
ら逆説的に公共の利益がどういったものなの
かが浮かび上がってくるかもしれないのだが、
たぶんそれは世の中の制度や慣習などとは違
ったものになるのかもしれず、絶えずその場
の状況に合わせて制度や慣習を変えてゆく作
用をもたらすものなのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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