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彼の声 2017.11.26 「自由主義の弁証法的な矛盾」

2017/11/26

 人の主体的な意志が何を目指しているのか
といえば、自らを限界づけている制約や束縛
などから自由になることを目指していて、あ
る意味ではそれが経済活動の動機ともなり、
資本主義経済の中で経済的に豊かになれば金
銭的な制約から解放されて相対的に自由度が
増すことは確かだろうし、経済的な豊かさを
目指すことが資本主義経済の中で発動してい
る共通の規範や価値観であるとしても、それ
に束縛されていることを承知でなおそれを目
指すことが主体的に活動することだと思われ
るわけで、何かその辺で矛盾しているように
も感じられるわけだが、そこでの規範や価値
観が主体的に活動することなのであり、さら
に言えば個人の自由を目指して主体的に活動
することが資本主義経済の中で個人を束縛す
る規範であり価値観だと考えれば、要するに
それが自由主義だと言えるのではないか。つ
まり自由主義の自由とは経済的な自由が暗黙
の前提としてあり、経済的な自由がある限り
で政治的な自由も実現するという成り行きが
あるわけで、政治的な自由はそれだけでは実
現し得ないから、人は経済的な自由を獲得す
るために活動するのであり、それがある意味
では資本主義経済を発展させる要因にもなっ
てきたのではないか。そして経済的な自由は
誰にも平等にもたらされるわけではなく、競
争を勝ち抜いた者のみが獲得できるとしたら、
そのような自由主義が社会共通の規範や価値
観となっているところでは人々の間での経済
的な平等はないわけで、経済的に豊かである
人ほど相対的な自由度が増して、好き勝手な
ことができる社会となっていて、経済的に貧
しい人ほど何もできないようなシステムとな
っていると言えるだろうか。経済的な尺度を
基準に考えればその通りなのかもしれないが、
それが世の中の価値基準の全てではないこと
は確かだろうし、そもそも社会規範や価値観
として自由を目指すことが求められているの
だから、自由を目指すことが自らを限界づけ
ているという矛盾に関しては、そこに解決不
可能な問題が提示されているわけで、答えが
出ないわけだからそれを突き詰めて考えては
いけないだろうし、実際にそこで思考停止し
ないと経済的な自由を目指すことを正当化で
きなくなってしまうのではないか。中国など
は社会主義的な平等を捨てて経済的な自由を
求めて改革開放路線に舵を切ったから経済的
に成功したのだろうし、そういう意味では自
由と平等の間に横たわっている矛盾を止揚す
ることはできず、それは未だに未解決の問題
であり続けているのだろうが、矛盾を止揚し
ようとする弁証法的な行為が世の中で積極的
に行われるのかというと、どうもそうではな
い実態があるのだろうし、その場の情勢や成
り行きにまかせて絶えずそこから立場をずら
し続けるような態度が人には可能であり、全
体的な視点から物事を考えるのではなく、絶
えず自らを限界づけている社会的な制約や拘
束を踏まえつつ、そこから生じる限定的な立
場から限定的な物言いに終始するわけで、そ
してさらにそこから場所を変えてまた別の限
定的な立場から語ることも可能なのであり、
ある一定の条件下では言えることが別の条件
下では言えないことがあるわけだ。

 だから経済的な豊かさを求めることが経済
的な自由を目指すことに直結するとしても、
それが政治的な自由を実現するわけではない
し、そこで政治的な自由主義に何らかのずれ
が生じていることにもなるのだろうが、普通
はそれらを一緒くたにして自由主義というわ
けで、そういうところで新自由主義と呼ばれ
る政策を推し進める政治勢力が、言論や報道
の自由には抑圧的に臨んでしまう事情にも結
びついてくるわけだが、規制や障壁を取り払
って自由な貿易を推し進めるという点では自
由を目指すわけだが、全ての面において自由
を目指すわけではなく、それを単純化すれば
そのような自由主義を標榜する自分たちを批
判する自由は認めないという態度には矛盾を
感じないわけで、それを全体的な視点で考え
てしまうと、自由を制限する自由主義という
矛盾が生じてしまうわけだが、そこに都合の
いい条件付けを施すと矛盾ではなくなってし
まうわけで、そうやって自らの立場や態度に
とって都合のいい条件付けを駆使することに
よって、そのようなことを行なっている自ら
を正当化する手法がとられるわけだが、それ
は社会の中で共通の規範や価値観に則ってそ
の構成員を限定し限界づけるやり方にも合致
するわけで、そうすることによって無限の彼
方を目指す神の領域への侵犯行為から解放さ
れたことは事実としてあり、それと引き換え
にして人は労働や言語や寿命などの有限的な
限界内でしか活動できないことを逆説的に証
明していると言えるのではないか。だがそう
述べてしまうと主体的に振る舞いたい意志を
貫き通したい向きには納得しがたいわけで、
そのような限界を取り払って自由を求めたい
とは思うだろうが、何かそこに限界を打ち破
る突破口があるのだろうか。限界を設けるこ
とによって矛盾に直面しなくて済むようにな
ったことが文明の進歩だと言えば、それが屁
理屈だとしても暫定的な答えにはなっている
のかもしれないし、限界内での人の活動の自
在さを保証するものでもあるのかもしれない
が、いつまでもそれが世の中で通用するわけ
でもないのだろうし、そこで都合よく設けて
しまう限界や限定を巡って対立や軋轢が生じ
てしまうのも、社会の中で各人の立場の違い
が浮き彫りになるところでもあり、対立を止
揚するのではなくずらしてごまかす手法にも
欺瞞がつきものであることも、それが欺瞞や
偽善であることが周知の事実になるほど多く
の人が納得できなくなってくるわけで、それ
でも絶えず問題化するたびにその都度争点や
論点をずらしながらごまかす以外には方法が
ないとしたら、それ以上の文明の進歩は期待
できなくなってしまうわけだが、そのような
成り行きを文明の進歩だと肯定的に捉える必
要もないわけで、例えば世の中で何か問題が
発生するたびにその都度思いがけない紆余曲
折が起こると考えれば、状況的には納得でき
るのではないか。そしてそこで起こる紆余曲
折が人の思考や行動にずれをもたらすわけで、
そのずれが場合によっては社会的な規範や価
値観による支配や拘束を逃れる思考や行動も
もたらすわけだろうし、首尾一貫した思考や
行動を阻害すると同時にその場の偶然の巡り
合わせから生じる様々な作用をもたらすわけ
だ。そしてそのような作用に直面する人々を
驚かせ、場合によっては感動させもするので
はないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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