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彼の声 2017.11.18 「国家と政府の違い」

2017/11/18

 それらの意味も動作も仕組みも異なってい
ることは確かだが、慣習も制度も機械も一定
の動作を伴ったシステムであり、その中で人
を含めたシステムのことを体制と呼ぶのかも
しれないが、そうだとすると国家体制とはや
はりすべての国民が組み込まれたシステムだ
とみなせば、定義としてはそれほど間違って
はいないだろうか。そうだとしてもその人の
立場や地位や役職などによって、その組み込
まれ方にも程度や強度の違いがあるだろうし、
何か拘束感を嫌う向きにはあまり積極的には
自らが国家体制に組み込まれているとは自覚
したくないし、公務員でもない限りは実感が
伴わないような感覚なのかもしれない。また
国家と政府とを同一視することにも何かえも
言われれぬ抵抗感が伴うのかもしれず、特に
政府のやっていることを支持しない人たちは
それを区別してしかるべきだと思っているの
かもしれないが、普段の感覚としては大抵は
同一視しながら政治について語っている人が
多いだろうし、政府を支持している人たちは
是が非でも国家=政府という構図を周知徹底
させたいと思っているのかもしれず、その方
が現行の政権を担っている政治勢力には何か
と有利に事が運ぶように思われるだろうか。
たぶんその辺から話がややこしくなってくる
わけだが、世の中で作動している様々なシス
テムにそれと自覚することなく従っている時
がある反面、意識して逆らう時があるのも確
かだし、国家体制に逆らうとなるとそれ自体
が大げさな表現になってしまい、そんな大そ
れたことをやる気はないと普通は思われるだ
ろうし、実際に国家体制に逆らっているなど
という自覚が生まれることはまずないはずだ
が、その一方で政府のやっていることを支持
できないと思うのはよくあることかもしれず、
また大げさな表現としては具体的に国家反逆
罪という罪名があることは確かだが、少なく
とも日本では内乱罪や騒乱罪や外患誘致罪の
ようには具体的な処罰の対象としてはありえ
ないし、もちろん国家体制に逆らうことが国
家反逆罪に該当するわけではないだろうし、
その辺は曖昧なままなのかもしれず、そうい
うところでシステムという言葉を使うこと自
体が間違っているのかもしれないが、システ
ムと呼べる一定の動作に積極的に加担してい
る人にとってそれはシステムとして機能する
かもしれないが、その自覚がないままにシス
テムに組み込まれているように見える人は、
少なくともシステムに加担しているとは思っ
ていないだろうし、それが自らに一定の動作
を課している自覚がないままに当人が一定の
動作を行なっている現状があるわけで、何ら
かの慣習に従っている人はほぼ全てそうなっ
ていて、制度にしても制度に従いながら自ら
が制度に従っているとはあまり思わないだろ
うし、機械を操作している時などは逆に自ら
が主体的に機械を使っていると思う方が多い
だろうが、そうやって従う時よりは逆らう時
の方が意識して逆らっている実感が湧いてく
るのではないか。

 また従っていることを意識している時も不
快感を覚えながらも嫌々従っているような時
もあるだろうし、普通は何かに従っているこ
とを意識する時には従っている状況を肯定的
に捉えることはなく、抵抗感や不快感を覚え
るから従っていることを自覚するのであり、
自ら進んで積極的に従うような状況はあまり
ないのではないか。要するにそれだけ人を意
識して従わせるのには困難が伴い、できれば
そのような困難を伴わずに人を従わせたいと
思うのが普通の感覚なのだろうし、慣習にし
ても制度にしても機械にしても、それと意識
せずに人を従わせるような動作を伴っていて、
人を意識させないまま一定の動作へと導いて
いるからこそ、あまり抵抗感を伴わずに世の
中に普及しているわけで、それぞれに程度も
強度も方向性も異なるのだろうが、そんな従
っている自覚を伴わずに従わせる術が、体制
と呼ばれる人を含めたシステムにも応用され
ていることは想像できるし、実際に何らかの
政治的あるいは経済的な体制に取り込まれて
いる人は、抵抗感や不快感を覚えながらも無
理やり従わされている自覚がそれほど強いわ
けではないだろうし、それよりは積極的に体
制のために役立ちたいという思いの方が強い
だろうし、そういう思いが強まれば自らの身
を挺して体制を守ろうとするだろうし、体制
の犠牲になることも厭わずに主体的に体制に
尽くすような成り行きとなっていくのではな
いか。そしてそういう思いが強い人が多いほ
ど体制内での人の結束が強まるわけだろうが、
果たして現状の国家体制や政治体制の中でそ
こまで強い思いにとらわれる要素があるのだ
ろうか。どうもその辺が疑問であって、現代
的な国家体制や政治体制は必ずしもそういう
思いの強い人から構成されているわけではな
いのではないか。それに関してそれをフィク
ションといってしまうと語弊があるのだろう
が、果たして人々は国家というフィクション
をどこまで信じているのだろうか。少なくと
も政府の存在はフィクションではないし、行
政機構として組織的に編成された集団であり、
曲がりなりにも国家を統治している主体なの
かもしれないが、それに関して人々は現代的
な国家体制や政治体制にそれほど不快感や抵
抗感を覚えているわけではないにしても、逆
にそのような体制に献身的に尽くそうとする
人もまずいないのではないか。そういう意味
で国家というフィクションを誰もあまり信用
しなくなってきたのかもしれないし、それよ
りは政府のやっていることを支持したりしな
かったりするレベルで政治に関わっているつ
もりの人が大半を占めていて、政治体制とい
えば政府や政党の体制であり、それが直接国
家体制に結びついているわけではなく、政府
=国家という虚構を信じている人だけが国家
体制を実感できるのかもしれないが、現代的
な感覚としては政府という実在と国家という
フィクションを分けて捉えておいた方がより
リアリティを得られるのかもしれず、実際に
政治の場で行われていることに対してどのよ
うな行動や活動が引き起こされるにしても、
少なくとも愛国心だの国家反逆罪などという
大げさな表現を想起させない程度で推移して
いた方が誰にとっても好都合なのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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