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彼の声

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彼の声 2017.11.10 「機械と社会」

2017/11/10

 商業は安く買って高く売らないと利益が出
ずに商売が成り立たなくなってしまうが、流
通業は利益の出る運送料で仕事を請け負って
いる限りで商売が成り立ち、製造業は安く作
って高く売れる限りで利益が出て商売が成り
立ち、サービス業は必要経費より高い料金で
仕事を請け負うことができれば利益が出て商
売が成り立つわけで、いずれの場合も商売が
成り立つ範囲内で人の人権とか人道的な配慮
とかに気を配る余裕が生まれるわけで、利益
が出なかったり負債がかさんだりする状況で
はそのような余裕は生まれづらいのではない
か。その中で機械に関しては当然のことなが
ら製造業の中で生産されることになるわけだ
が、製造過程で必要なものは材料となる各種
の資源とそれ加工して組み立てる製造システ
ムとそれに携わる労働となるわけだが、資源
が近くになければ製造現場まで材料を運んで
くるのに際して送料などの経費がかかり、ま
た製造した製品を販売する市場が近くになけ
ればやはり市場まで運んでいくための送料な
どの経費がかかり、それらの製造に要した経
費よりは高い価格で売れないと利益が出ない
のは言うまでもないことで、製造する機械が
世界的なシェアの中で独占的な割合を占めて
いない限りは、国内外の同業者との間で性能
競争や価格競争が生じるわけで、そうなる必
然的に製造過程のどこかでコストの削減を強
いられるような状況も出てくるだろうし、そ
れに関して例えば資源を外国から輸入してそ
れを加工して製品を外国へ輸出するとなると、
どちらにしても輸送経費がかかることは避け
られず、また人件費が競争相手の諸外国より
も高ければ、ではどこでコスト削減を図らな
ければならないかというと、製造システムの
面で他の競争相手よりも生産効率を高めない
と、価格競争力の面で競争相手に太刀打ちで
きなくなるわけで、多少は価格が高くても性
能や品質の面で他の諸外国の製品を凌駕して
いれば、それで買い手がいれば商売が成り立
つわけだが、普通は競争していればお互いに
切磋琢磨する成り行きになるわけで、競争し
ているうちにコスト面でも品質面でも性能面
でも差が縮小していく傾向になってくるだろ
うし、そうなると単純に輸送経費や人件費が
安いところがそれだけ価格の安い製品を売り
出してくるだろうし、品質も性能も変わらな
ければ価格の安い製品が売れるのは当然で、
物作りが盛んで機械製品などの輸出によって
経済成長してきた国が、その成長が鈍化して
物を作っても利益が出なくなってきたとすれ
ば、競争相手の他の諸外国との間で産業技術
に差がなくなってきたからだと捉えるのが妥
当なところだろうし、それ以外に説得力のあ
る理由はあまりなさそうに思われるのだが、
それとは別に労働者や技術開発研究者の質が
劣化してきたとか、それに関連して産業に直
結する理工系の大学教育に力を入れるべきだ
とか、その手の精神論が果たして説得力があ
るのかどうかはよくわからないところだ。

 それに関してドラスティックに考えるなら
製造販売のコストがかからない場所で製造で
きればいいわけで、人件費や輸送費が安くて
質の良い労働者を確保できるようところで作
って、また作った場所やその近くで売れれば
なおいいわけだから、機械の種類によっては
海外の現地生産という選択肢も出てくるわけ
で、実態としても人工的な国境の壁や関税障
壁などが絡んでくると、地球上のどこで生産
してどこで売ろうとするのかによって様々な
選択肢があっても当然の状況となるのではな
いか。そうなると自国の企業であっても自国
だけに利益をもたらすわけでもなくなってく
るだろうし、世界各地で人材交流や技術交流
などを盛んにしてなるべく世界のどこで製品
を作っても差がないような具合になれば、ど
の国の企業もどの国でも製品の製造販売がで
きるようになり、特定の国だけ経済が好調で
また特定の国に限って経済が悪化するような
事態にはならなくなってくるのかもしれない
が、それでも国ごとに制度や慣習が異なって
いる実態がある限りで、やはり国ごとに経済
の好不調の波が出てくるのだろうし、何より
も企業同士で競争していて国家同士でもいが
み合っている実態もあるわけだから、政治的
な課題で言えば各国ともに連携を密にして、
なるべく経済に関する制度の面では国ごとに
差がないように努めることが、世界的な共存
共栄への道が開けるのだろうし、もちろんそ
れはきれいごとに過ぎないことではあるのだ
ろうが、政治以外でも民間の交流があること
も確かだろうし、結局世界標準で使われる機
械が普及してくると、その機械の作り方から
使われ方に至るまで、その生産や販売や利用
などの過程で同じような動作が促されること
になるわけで、多くの人がそうすることによ
って、行為遂行的に機械の動作に従うことに
なり、機械に行動や思考を制限されて規制さ
れることで、機械を通して人の動作に統一感
が生じてくるのかもしれないし、それによっ
て思考形態や生活形態が同じようになってい
くと、それまでに差異を強調することでアイ
デンティティを確保してきた国家的宗教的民
族的な枠組みが崩される可能性が出てくるの
かもしれず、今は機械の動作に従うこととそ
のようなアイデンティティの問題は全く別次
元のことだと考えられているかもしれないが、
実際に生活の様々なところに機械が入り込ん
できている実態があることは確かなのだから、
日常の生活でも仕事の場でも世界中の人が同
じような機械を使いながら暮らしているとす
れば、何か自然と行動も思考も似通ってくる
可能性がないとは言えないだろうし、それが
あからさまな政治的なイデオロギーの類いと
は全く異なる方面でそうなっている実態があ
るわけで、そういう意味で行為遂行的な動作
とは頭だけで考えているよりも人に強く働き
かける力あるかもしれないし、しかもそれを
受け入れるのを拒否しづらい面もあるのだろ
うし、意外とそういうところから今後何らか
の社会変革が起こるかも知れない。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
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