文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

全て表示する >

彼の声 2017.11.5 「機械と制度」

2017/11/05

 業務的な機械の使用と消費的な機械の使用
との違いは、業務的な機械の使用には人の労
働が伴うことであり、それに対して消費的な
機械の使用には労働が伴わないばかりか、娯
楽的な要素も加わってそれを使用する人に楽
しみをもたらす面があり、業務的な観点から
すればそれはただ無駄に機械を動かしている
に過ぎないように見えるだろうが、それを動
かしている当人にとっては労働とは違う満足
感を得られるわけで、ある意味でそれは労働
から解放された行為なのであり、場合によっ
てはそれは労働によって生じたストレスを解
消するためにも必要な行為となるのではない
か。そんなわけで人は生産的な行為と消費的
な行為の両面で機械を使用することになるわ
けだろうが、機械自体が一定の動作を伴うシ
ステムであり、人は機械を操作しつつも機械
によって要求される決められた動作の範囲内
で機械を操作することにもなるわけで、そう
なっている時点で機械の動作が実現している
システムに人が組み込まれていることになる
だろうし、人は機械を操縦しながらも機械に
よって決められた一定の動作の範囲内で行動
し、機械によってその行動を規制され制限さ
れていることになるのではないか。ある意味
でそれは人が世の中の制度や慣習に拘束され
ている場合と似ているのかもしれず、システ
ムとしては機械も世の中の制度や慣習も人に
一定の動作を要求しているわけだから、そう
いう面ではそれらの間にそれほどの違いはな
いのかもしれないし、どちらも人が文明の発
展とともに人工的に作り上げてきたものには
違いなく、文明がもたらすものはいつも人に
一定の決められた動作を要求する傾向がある
わけで、そのような動作に人を従わせること
によって、世の中で生きている人々を同じよ
うな傾向を持つ同質化した集団としてまとめ
上げようとする働きが生じているのかもしれ
ず、その中でまずそれが漠然と人々の間で共
有されているのが慣習であり、またはっきり
とした法律などによって規定されているのが
制度であり、さらに物体を伴って人の動作を
矯正するような動作を伴うのが機械なのでは
ないか。その中で機械の動作はより直接的に
人の動作をコントロールしようとするのだろ
うし、人はまず労働の場で機械の操作を余儀
なくされるわけで、それによって生活の糧を
得ているわけだから拒否できないだろうし、
そこで機械を操縦することによって資本主義
的な生産システムなどに組み込まれることに
なり、またそうやって生産された商品の中に
も機械があるわけで、今度は消費の場でその
機械を買わされることになるわけで、そして
買った機械を操縦して楽しみを得ることで資
本主義的な消費システムにも組み込まれるこ
とになるのではないか。

 結局資本主義的な生産システムも流通シス
テムも販売システムも消費システムも一つの
制度には違いないわけで、多くの人がそれら
の制度に拘束されていることは確かで、どの
ように拘束され組み込まれてしまうのかとい
えば、行為遂行的に組み込まれるのであり、
具体的に機械を操作し操縦する行為を遂行す
ることによって制度に組み込まれてしまい、
制度が人にそのような行為を遂行するように
仕向けているわけで、そのような制度の中で
生きている限りは絶えず機械を操作する行為
を遂行するように仕向けられるのであり、あ
る意味ではそうやって制度に従わせることに
よって人の主体性を奪っているように見える
かもしれないが、とりあえず消費の場では人
は主体的に機械である商品を買っていると思
うだろうし、それを自己の楽しみのために主
体的に操作したり操縦するような成り行きに
なっているわけで、それは結局制度の掌の上
で転がされていることになるのかもしれない
が、それでも幻想を抱くなら積極的に機械を
活用して何かをやっているように思い込める
こと確かであり、またそれは生産の場で企業
経営者などには特に言えることだろうし、積
極的に機械を導入してそれを活用して事業を
行い利益を出すことが、資本主義的な制度の
中では特に推奨される主体的な行為となるだ
ろうし、そのような観点からも人に使われる
側の労働者であるよりも人を使う側の事業者
がもてはやされるわけで、何かをやろうとす
る積極性や主体的な行為は制度的にも肯定さ
れるわけで、そのような資本主義的なシステ
ムを守り維持するためにも、チャレンジ精神
を持った起業家が次々に現れてくることが望
ましく思われるだろうし、またその中から競
争に勝ち抜いて成功して、莫大な資産を築き
上げた人物が世間の名声を得るのも制度的に
は当然の成り行きとなるのではないか。そう
やってそれが制度的に組み込まれた行為であ
るにも関わらず、それよりも主体性とか積極
性とかいう人間の肯定すべき価値観を体現し
ているように思われるのは、制度がそのよう
な行為に肯定的な価値を与えているからだろ
うし、そういうことをやるように仕向けてい
るから、人はそれを遂行しようとするわけで、
そのようなチャレンジ精神は世間的にも尊ば
れ推奨され、結果的に資本主義経済の発展に
も寄与すると思われているのではないか。確
かにそれが資本主義経済を推進させる原動力
だと言えばその通りなのかもしれないが、一
方でそれは資本主義的な経済活動をもたらす
システムがその中で活動しようとする人々を
規制し制限する行動の一つなのであり、事業
家的な役割が制度からもたらされていること
は確かで、そのような制度が規定している役
割を担うように行動すれば、その中から誰か
が成功するようなシステムとなっているのか
もしれないが、誰が成功するかは実際に活動
した結果が決めるわけで、必然的に誰が成功
とは限らないわけだ。 

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
Score!: - 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。