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彼の声 2017.11.2 「機械の使用と人間疎外」

2017/11/02

 株式や債券が資本の蓄積を表すのとは少し
性質が異なるが、機械装置や機械設備は生産
力や労働力の蓄積を表していて、資金が必要
となった時に株式や債券を市場で売って資金
を得られるのとは少し違った形で、機械を駆
動させることによって物や情報を生産できる
わけで、必要に応じて駆動させれば機械が働
いて物や情報を産出するシステムになってい
るわけだ。そういう意味で機械装置や機械設
備はある種の資本の蓄積を表していて、企業
がそれを所有していればそれが企業にとって
の資産となっているわけで、株式や債券や資
金を生み出す資産であるように、機械は企業
の生産物を生み出す資産を形成していて、機
械装置や機械設備は生産力と労働力の蓄積を
表している。機械が生産過程で使われれば当
然それは生産力として機能するわけだが、流
通過程で使われると物や情報を移動させる力
を担い、また販売過程で機械が使われると商
品としての物や情報やサービスと代金を交換
する力となるわけで、機械を通して決済が行
われることになる。いずれの場合も人力で行
うのよりは効率的に仕事をこなすために機械
が使われるわけで、実際に大量かつ迅速に仕
事をこなすために機械が必要となってくる。
資本主義的な経済活動における機械の存在意
義は、より少ない労力で大量かつ迅速に仕事
をやってのけることにあるのだろうし、それ
は競合する他の業者との相対的な比較におい
てそうであるわけで、他の業者も機械を使っ
ていれば、一般的にはより性能の高い機械を
使った方が競争に勝利する成り行きとなるよ
うなら、一応はそこで公平な競争が行われて
いることになるのではないか。もちろん機械
の性能にも様々な方向性があるわけで、大量
に仕事をこなすことに特化したものもある一
方で、迅速に仕事こなすことに特化したもの
もあるだろうし、さらに正確かつ精密な作業
をこなすように作られているものもあるだろ
うし、その用途に合わせて機械の特性も異な
るわけで、そうした中で少なくとも人力で行
うよりは有利だから機械が使われるわけで、
人にはできない作業を行うのにも機械が使わ
れ、そうなるとこれまではできなかったこと
が機械を利用することでできるようになるわ
けで、それができるようになったことで世の
中が変わることにもなるわけで、そういう意
味で機械の発明とその普及は社会変革そのも
のになるのだろうし、実際に様々な機械の登
場によって社会が変革されてきたのではない
か。しかしその変革が必ずしも人が望んでい
たものとは違っていたのかもしれず、結果的
に人の想像を超えた形で世の中が変わってき
た面もあるのかもしれないが、それも結果を
肯定するなら何やら技術革新によって文明が
進歩してきたように思われるのであり、その
恩恵だけなく弊害に気づかなければ、そこか
らは科学技術を無批判に礼賛するようなイデ
オロギーしか出てこないわけだ。

 機械の使用による弊害といえば一般的には
人が機械の部品のように扱われることが人間
疎外の例として思想的に批判されてきた経緯
があるわけだが、その機械の部品のように扱
われることで人間らしさが損なわれると言わ
れる中で、具体的に人間らしさという表現が
何を意味するかがよくわからないところなの
かもしれず、例えばそれについてよく引き合
いに出される奴隷労働という表現は、まさに
否定的な人間らしさに結びついているわけで、
人類は数千年来文明の発達した地域では普通
に奴隷を使用してきたわけで、人を奴隷とし
て売買して使用するのが当たり前の時代が長
く続いてきたことも確かで、それが産業革命
以降賃金労働に取って代わられて、奴隷労働
が急速に衰退した歴史的な経緯があり、実際
アメリカの南北戦争では賃金労働が主体の産
業で成り立つ北部が奴隷労働が主体の産業で
成り立つ南部に勝利したわけで、それととも
に実質的には産業の主流から外れた奴隷労働
が過酷な賃金労働の比喩表現で使われるよう
になり、何か人間疎外の代表例として奴隷労
働的な賃金労働が非難の槍玉に挙げられるよ
うになったわけだが、そもそも機械の使用が
人間を奴隷から解放した経緯があるわけで、
それが人間を奴隷労働のような過酷な賃金労
働の担い手として機械に縛り付けたと非難さ
れるのだとすると、いったい人間らしさの肯
定的な意味とは何なのだろうか。たぶん否定
的な人間らしさとして奴隷の使用があること
は確かであり、そうであるなら肯定的な人間
らしさとは奴隷を使わない労働であり、すな
わちそれは賃金労働となるわけだが、賃金労
働でも過酷な労働は奴隷労働として否定され
るわけで、では過酷でない人間らしい賃金労
働とは何かといえば、社会の中で人として普
通に暮らせるような賃金を得られて、しかも
労働によって病や怪我や死の危険を伴わない
ような労働となるだろうか。しかしそれは経
済状況にもよるだろうし、経済が比較的良好
に推移していれば雇用環境も良くなって、過
酷な労働をしなくても人間らしい生活を満喫
できるようになり、逆に経済状態が悪化すれ
ば雇用環境も悪くなって生活も苦しくなって、
人間らしさが損なわれることになるのかもし
れないが、それは肯定的な人間らしさが損な
われるという意味なのだろうし、その代わり
に否定的な人間らしさが顕在化してきて、そ
の結果世の中の風紀が乱れて荒廃してくるわ
けだろうか。そのように人間主義的な解釈を
施せば人間らしさについてその肯定的な面と
否定的な面がわかりやすく区別できるのだろ
うが、どうも実態はそれとは少し違うのかも
しれず、簡単に言えば機械の使用と技術革新
の進展によって、人間らしさの定義も少しず
つ変わってきたのかもしれず、それによって
恩恵を受けられる範囲内では、それに伴って
生じる肯定的な人間らしさが奨励され、一方
で弊害が生じてしまう状況になれば、それに
伴って生じる否定的な人間らしさが非難され
るといった具合になり、本当はその両面を伴
うのにも関わらず、その場の都合に合わせて
どちらか一方の面を取り上げて、その都度肯
定的な人間らしさを奨励してみたり否定的な
人間らしさを非難したりするわけで、人間主
義者たちはただ人間らしさの両面を見ないよ
うに振る舞っているに過ぎないのではないか。
 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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