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彼の声

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彼の声 2017.10.30 「行動の緊急性」

2017/10/30

 ありのままの現実では満足できないのは誰
もが思っていることかもしれないし、それが
身の回りの環境を変えようとする動機や原動
力となっていることも確かだろうし、そんな
ふうにして人は絶えず現状を超えるそれ以上
の状態を求めているとしたら、そんな思いを
満たすには新たに何かをやらなければならな
くなるわけだろうが、それが何に起因するの
かといえば日頃から自らが抱いている妄想に
は違いなく、そうでなければ何か別の動機を
探さなければならなくなるのかもしれないが、
それを探そうとしていること自体が自らが抱
いている妄想からの離脱を目指しているのか
もしれず、それも日頃の妄想では満足できな
いことの裏返しの思いなのかも知れないが、
しかし妄想以外に何があるのかというと身の
回りの現実しかないわけで、それ以外に何も
見つからなければそんな現実が全てだと実感
できるだろうか。たぶんそれは実感している
ことではなく、現実について思考し想像して
いることかもしれず、現状の中で自らが体験
しつつある現実について考えているのかもし
れないし、結局それとは別に実感しているの
は現実などではなく、それはやはり自らの心
の中で生じている妄想の甘美な夢心地を実感
しているのではないか。だがそれ以上の何を
実感できるだろうか。例えば人はどうやって
現実の厳しさを実感できるのだろうか。それ
は自らの想像を超えた外部からもたらされる
衝撃的な体験などからもたらされるのだろう
か。もしかしたらそれこそが夢心地の体験な
のかもしれず、そんな夢心地の体験を求めて
何らかのフィクションを求めている場合もあ
るのかもしれないが、そういう驚きをもたら
すような衝撃の体験なら喜んで求めようとす
ることが妄想なのであり、それに対して現実
の厳しさを実感させるのはそうした思いがけ
ずにもたらされるような驚きの体験ではなく、
日頃から慣れ親しんでいる何の驚きももたら
さないありふれた日常の日々を生きている事
実が現実の厳しさを実感させるのではないか。
それ以外に何も起こり得ないことが明らかと
なった時に、改めて現実の厳しさを実感せざ
るを得ないわけで、そんな何もない現実から
逃げている自己の弱さにも気づくのではない
か。またそこで現実について考えようとして
いることは、そうではない現実を想像しよう
としているわけで、何かそれ以外の現実に気
づいていないのではないかと自らの感性を疑
っているのかもしれず、もっと自己の感性を
研ぎ澄ませば、何もないように思える現実の
中に興味深い何かを見つけられるのではない
かと期待したいのかもしれないし、それが結
局は虚しい期待外れに終わることを恐れてい
るのかもしれないが、それも妄想で片付くよ
うな何でもないことでしかないだろうか。実
際にはそんなことよりも思考を働かせたいの
は外部の世界で起こっていることなのだろう
し、それを自らに関連づけて考えたいという
よりは、もっと客観的な立場から考えたいの
かもしれず、社会全体の中でそのような物事
がどうあるべきかということが、それについ
ての思考することの客観的な正しさを求めて
いて、思考することによって正しく判断して
正しい行いを求めるような成り行きとなって
しまうわけだ。

 しかし正しいことをやろうとすること以外
に何かやるべきことがあるだろうか。正しい
ことでも間違ったことでもないようなことを
やろうとすることはできないような気がする
だろうし、やはり普通に考えるなら正しいこ
とをやろうとすることが当たり前の対応だと
思われるわけだが、どうも実際には思考と行
動とが重ならない場合の方が多いのかもしれ
ず、何も考えずに行動するのではなく、何か
考えながら行動しているのだろうが、考えて
いることと実際に行っている行動とが一致し
ない場合があるわけで、そういう場合はたぶ
ん思考が自らの行動を把握できなくなってい
るのかもしれず、しかもそういう時には思考
よりも行動の方が正しかったりするわけで、
それの何が正しいのかというと、結果的にう
まくいく方が正しいと思われるわけで、それ
とは逆に強引に思考に行動を従わせようとう
まくいかなくなるのであり、結局その場の状
況に合わせて行動しようと考えても、思考に
従って行動しようとすると状況に合わなくな
ってしまい、そういう場合は自らを信じては
まずいのだろうし、まずは行動すべきなので
あり、行動した後から思考が行動を追認する
形でついてくるような状況となるわけで、思
案した挙句に正しいと思われる答えを導き出
すようなやり方は通用しなくなるわけだ。な
ぜそうなるのかというと、思考が体験しつつ
ある現状を捉えきれていないからだろうし、
すぐには状況を把握できないままに行動を迫
られているような時には、いくら考えても無
駄なのかもしれないし、まずは行動してみて
から周囲の反応を伺いながら必要に応じて軌
道修正するような運びとなるのではないか。
それとは違って熟慮を伴うような場合は状況
が一段落して安定しているように思われる時
に限られ、そうでなければ考えている間に対
応が後手に回る危険が伴い、そういう意味で
思考は絶えず状況から時間的に遅れて発動す
るものなのかもしれず、その時間的な遅れが
流動的な状況下では感覚のずれを招いて、結
果的に間違った判断を下す原因となってしま
うのではないか。だから思考することによっ
て正しい判断を下そうとしても、状況的に無
理な場合があるのだろうし、その辺を考慮し
ておかないと、何をやるにしても的外れなこ
とをやってしまう危険性が高まり、それは時
として勘違いの原因ともなるだろうし、なぜ
正しい思考から導き出された行動がうまくい
かないのかと悩むことにもなるだろうし、悩
んでいる時点で勘違いしているわけだが、時
間的にも場所的にも絶えず流動的な状況とな
っている時には、そんな状況が流動している
中でも行動しなければならないのであり、そ
んなふうに行動が先行している中ではそれが
正しいか間違っているかを考えている暇がな
いのだから、正しい行いをすべきという前提
が通用しないわけだ。そしてそんな前提なし
に行動している時には行動する前に思考する
のではなく、行動した後から振り返って考え
ることしかできないのであり、いわゆる後悔
先に立たずの状況が生まれるわけだが、そう
ならないようによく考えてから行動していて
は手遅れになる場合があるわけで、結局そこ
でその人の本当の実力が試されるわけだ。そ
して人はそういうところでその人の器量や技
量を見極めようとしているのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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