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彼の声 2017.10.29 「指導者への幻想」

2017/10/29

 意図的に何をやっているわけでもないにせ
よ、やっているうちに意図が生じてきて、や
っていることの意味もわかってくるようなこ
とはありそうで、意図してやっていることも
思惑通りにはいかないことも多いだろうし、
何らかの計画があることは確かなのだろうが、
その計画が何のための計画なのかについては、
はっきりとはわかっていないのかもしれず、
たとえ何らかの目的に基づいて計画が立てら
れているとしても、何でそんな目的が生じて
しまうのかよくわからず、その辺を突き詰め
て考えないようにしないと、自らがやってい
ることも集団で組織的にやっていることも、
そんなことをやっている動機を突き止めよう
として、結局は答えの出ない問いを前にして
立ち往生してしまうしかないだろうか。たぶ
ん性急に答えを出そうとしてはいけないので
あり、原因と結果の因果関係ではなく、すで
にそこで行われていることについて、それに
関係する物と人と情報から説明するにとどめ
て、それ以上の説明は断念しなければならな
いだろうか。説明しようとして結果的にフィ
クションを語っていることに気づくこともあ
りそうで、それでも説明できているうちはそ
れで構わないと思い、それを現実だとはみな
さない限りで、そのフィクションが現状を説
明する上で有効に作用していると思われるな
ら、積極的にフィクションを用いて現状を説
明すべきだろうか。要するに意図的にフィク
ションを語っているというよりは、物事を説
明する上で欠かせないからフィクションを語
っているのであり、そうすることが有効に機
能していると思われるなら、たとえ説明がフ
ィクションになっても構わないのだろうか。
その辺もよくわからないところかもしれない
が、現実に起こっていることと頭の中で考え
ていることとの間に何らかの関係があるのは
当然であり、現実に起こっていることについ
て考えるから学習能力が身につくのだろうし、
学習したことは現実の中で役立てる必要が出
てくるわけで、そうでないと学習した意味が
ないだろうし、そこに学習する目的が生じて
くるわけだ。そうであるなら結局目的とは途
中から出てくるわけで、はじめから目的が設
定されているわけでもなく、とりあえず現状
に対処している過程で目的が定まってくると
考えられるだろうか。そうであるなら目的は
二の次であるのかもしれず、とりあえず現状
に対処することが最重要課題となるだろうか。
そこに優先順位を設けること自体がフィクシ
ョンでしかないのかもしれないが、一度設定
した目的であっても現状に対処しているうち
に変わってくる可能性はあるだろうし、要す
るに何を目的に定めるかが重要なのではなく、
何かをやっているうちに目的が変わってきて
も、頑なに当初の目的を守り抜こうとするの
ではなく、目的の変更を素直に受け入れるこ
とが大事であり、その辺で柔軟な対応ができ
ないと、状況の変化についてゆけなくなって
しまうのではないか。

 ただ目的にも色々あって、どうしても変更
できない目的というのもあるだろうし、そん
な成り行きに絡め取られているようなら、目
的に殉じなければならない宿命の中で、最終
的にどうなるのかは結果が示す通りだろうが、
そういう事情が生じている境遇というのは、
その人にとって不幸であるというよりは、そ
ういう成り行きをもたらしている世の中が何
か特有の問題を抱え込んでいて、その抱え込
んでいる特有の問題というのが、その世の中
が形成される過程で生じてきた歴史的な経緯
であったり、そのような歴史的な経緯を生じ
させたその地域特有の事情であったりするの
だろうが、それも現状の中で対処すべき問題
であることには変わりないだろうし、歴史的
な経緯だからと言ってそれを尊重するか否か
は現状の中で判断されることでしかなく、そ
れを尊重することで何らかの弊害が生じるな
ら尊重すべきではないだろうし、また尊重し
ないことで問題が生じるならその問題に対処
する過程で何らかの対策が必要となることも
あるだろうし、そこでも一方的な方針で凝り
固まらずに柔軟な対応が求められるところな
のではないか。どのような状況下でも一方的
な決めつけや物事の単純化は避けた方がいい
のだろうが、そうであっても決断すべき時は
決断しなければならないのであり、そういう
ところで行動のメリハリがつけられないと周
囲からは信頼されないわけで、たとえそれが
フィクションに絡んだ動作であっても、その
ような動作が周囲の人々の信用を得る上で欠
かせなかったりするのではないか。そのよう
な演技が社会の中で有効に機能している限り
で、集団の中で指導者的な立場が成り立つわ
けで、そこで指導者に対する幻想が生まれて、
そんな幻想に魅入られた人々が指導者を崇め
奉りながらついてゆくのだろうが、果たして
そういう成り行きが絶対に必要なのかという
と、どうもそうは思えないわけで、現状でそ
んな指導者が世界のどこにいるのかというと、
フィクションの世界以外ではどこにも見当た
らないようにも思えるし、人格的にも行動や
言動などにおいても欠陥だらけの人が、政治
的にも経済的にも様々な分野で指導的な立場
を占有しているように見えてしまうのだが、
別にそれが指導的な立場であるとみなすこと
も少し違うような気がするし、とりあえず何
らかの役職があり、その役職に就いている人
が現に存在しているわけで、その人を特に指
導者とみなさなくても済むような状況が成り
立っていると思われるのであり、それで特に
問題がなければ構わないのだろうが、誰もが
気づいているように様々な問題が生じている
からその人が批判され非難されているわけで、
結局それで構わないとは誰も思っていないの
だろうが、そんな問題だらけの現状の中でも
曲がりなりにもそんな役職に就いている人が
いて、その人を中心にして何らかの成り行き
が進行中の事態が生じているわけだ。そして
それが現在進行形で形成されつつある歴史的
な経緯なのかもしれない。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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