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彼の声 2017.10.27 「制度の両義性」

2017/10/28

 自国の産業を誇ってみせる人たちは誇って
いる産業とは無関係な職種の人たちかもしれ
ないし、その産業の内実を詳しく知っている
わけではなく、そこで何が行われているのか
よくわかっていないとしたら、その産業によ
ってもたらされた成果を誇っているだけだろ
うし、例えばその産業によってもたらされた
負の側面である弊害については口をつぐんで
しまうような人たちだとしたら、そういう人
たちの存在そのものが世の中にとっては弊害
しかもたらさないだろうか。もちろん弊害だ
けではなく何らかの恩恵ももたらしているの
かもしれないし、一方で特定の産業を批判し
ている人たちもある面では恩恵と弊害の両方
を世の中にもたらしているのかもしれないが、
そんなことよりもその産業によってもたらさ
れた製品やサービスを利用することで人々に
何がもたらされているのかというと、楽しみ
がもたらされているとすればそれを肯定する
のは当たり前のことだろうが、楽しみととも
に苦しみももたらされているとすると、それ
によって苦しんでいる人たちには理不尽にし
か思えないだろうし、それを楽しんでいるだ
けの人にとってはそんなことは到底理解しが
たいことかもしれないが、一方で特定の製品
やサービスを利用しだすともう後戻りができ
なくなってしまう場合があるのかもしれず、
それに依存してしまってそれなしではいられ
なくなってしまうと、それを利用することは
楽しみでもあり苦しみでもあるような心境へ
と至るだろうし、そんな依存状態から抜け出
られなくなっている状況があるとすると、た
ぶんそれは否定すべき状況だと言えるわけで、
依存状態から抜け出して自らが主体的に活動
できるような状態に状況を改善する必要性を
感じることができればいいのだろうが、まず
はそう思わないと何事も前進しないだろうし、
前進できなければ依存状態の中で停滞するし
かないわけだが、製品やサービスを提供する
側としては、そんな状態をできる限り長引か
せたいわけで、そんな状態を長引かせる手段
として用いるのが宣伝や煽動などによる各種
の引き止め工作なのだろうし、それに動員さ
れるのが各種のメディア媒体となるわけだろ
うが、それ以前の大前提として、人々がそれ
らの商品を買える状態になっていないとどう
にもならないのだろうし、ともかく人々が買
える値段で商品を提供できるかが、製品やサ
ービスを提供できる以前に求められているこ
とであり、すでにそんな条件をクリアできて
いる限りで成り立つような提供者と利用者の
間で繰り広げられる駆け引きであれば、それ
が深刻さとは無縁のゲームでしかなくなって
しまうかもしれないが、それに依存しきって
しまって、それを買うために他の商品を買う
ための予算を削ってしまったり、身をすり減
らして過酷な労働に励まなければならなくな
ったりしたら、それを利用することで生じる
楽しみも苦しみもより一層両義的に増大する
こととなるのかもしれず、たぶん身の破滅と
はそういうことをきっかけとして生じるのだ
ろうし、それをもたらす病的な依存症という
のは、そういう恩恵と弊害の両義的な増大現
象そのものをいうのかもしれない。

 それは世の中に張り巡らされている様々な
制度への依存にも言えることかもしれず、政
治の制度にも経済の制度にも教育の制度にも
労働の制度などにも、そこで依存症と停滞を
もたらすような効果があって、制度に依存さ
せて人々の主体的な判断や活動を制限して抑
え込もうとする作用が生じていて、それに逆
らって主体的に振る舞おうとする人を弾圧し
たり排除したりするようなことも起こり、そ
うすることによって制度そのものとそれに依
存する人や団体を守ろうとするのだろうが、
そこでも恩恵と弊害が生じていることは確か
だろうし、制度を守るだけでなく絶えず改善
していかないと、制度からもたらされる依存
症的な弊害が増大していくこととなるのかも
しれないが、制度を守っている側が制度を改
善することは難しいのかもしれないし、結局
は制度に逆らってしまう人の犠牲を通してし
か制度が改善しないとすれば、制度の犠牲者
は制度の敵であると同時に制度の改革者とな
るわけだろうが、制度の利用者が理性を働か
さなければならないのはそのような制度の犠
牲者であり改革者に対してだろうし、絶えず
そのような両義的な役割を担う制度への反逆
者に対して、ある種の憎悪とともに一方では
理解を示さなければならないわけだ。そうい
うところで物事を単純に解釈したり理解して
はまずいわけで、もしかしたら自分たちがか
かっている重度の依存症からそれらの反逆者
たちが開放してくれる可能性があるわけだか
ら、一方的に憎悪や不快の念を増殖させては
救われないままとなってしまうだろうし、ま
た制度を守っている人たちに全幅の信頼を寄
せている限り、自分たちは制度の従い場合に
よっては搾取される立場のままに甘んじてし
まうわけで、絶えず制度によってもたらされ
る恩恵から生じる楽しみと弊害からもたらさ
れる苦しみの相乗効果にさらされるしかない
だろうし、そうなっている限りで主体的には
何もできなくなってしまうのではないか。そ
ういう意味で制度によって守られていること
に対して恩義を感じているとしても、果たし
てその恩義に制度が報いてくれるのかという
と、制度の中で指導的な立場になれば制度を
利用することで主体的に振る舞っているよう
にも思えるかもしれないが、誰もが指導的な
立場になれるわけではなく、大抵は選ばれた
少数者が制度の中で指導的な立場になってそ
の他大勢の人たちを従わせるような成り行き
となるわけで、その他大勢の人たちは指導者
に対して好意的な感情を抱けば崇拝の対象と
もなるかもしれないが、またその一方で自分
が指導的な立場になれないことから嫉妬や憎
悪の念も抱いているのかもしれず、そこでも
両義的な感情が渦巻くことにもなるだろうし、
そのような両義性を絶えず意識していないと、
一方的な感情に押し流されてますます依存症
が重篤化してしまう危険が出てくるのかもし
れず、結局そういうところでも理性や知性を
働かせて、自らと自らが依存している制度と
の関係を考えてみないとならないわけで、制
度が何をもたらしているのかを両義的な面か
ら考えてみる必要があるのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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