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彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2017.10.20 「終末論」

2017/10/20

 視覚に頼り過ぎると盲目などという比喩で
は説明できないような間抜けさ加減が、見え
ているものを見ないように振る舞う態度に伴
って生じてしまうのかもしれないが、しかし
人はなぜ見えているものを見ないように心が
けながら語ろうとするのだろうか。確かに社
会の中にはそれに関して語ることが憚られる
ような対象があるのかもしれないし、たぶん
それを語ってしまうと語っている自らを正当
化できなくなってしまうのかもしれず、何と
かそれについては語らずに物事を説明しよう
として、結果的に見苦しい醜態を晒してしま
うのかもしれないが、果たして現状では誰が
見苦しい醜態を晒していることになるのだろ
うか。それに関しては案外目先の勝負にこだ
わった側がそうなってしまうのかもしれず、
公衆の面前で醜態を晒してでも勝ちは勝ちで
あり、勝利は勝利として肯定すべきかもしれ
ないし、勝利とともに満足感も利益も得られ
たと思っておいた方が気分がいいだろうし、
その点で汚い手口を使ってでも勝利を得られ
たら、そんな自らの醜悪な相貌を見ないよう
に心がけるのも、精神衛生上は好ましい態度
となるのかもしれないし、何よりもそんなこ
とにさえ気づかないでいられたらなおのこと
快適に暮らしていけるだろうし、それに関し
てはあまり利口になってまずいわけで、たと
え高尚な理性や知性を身につけたところで、
自らがやっていることで自己嫌悪に陥ってし
まうようでは、かえってそれらが行動の邪魔
になったり精神的な重荷になってしまうわけ
で、そういう面では世の中の情勢に適応する
には理性や知性が不要となる場合もあるわけ
で、少々のことに過剰反応するようなあまり
にも神経質な繊細さよりは、見えているもの
に気づかなくても一向に気にしないような鈍
感さが時には必要となってくるだろうか。だ
からそういう鈍感さは盲目などという比喩で
は説明できない状態なのだろうし、しかも鈍
感であるからこそ自らがやっていることを意
識しないまま結果的に大それたことをやって
しまえる可能性が出てくるのかもしれないし、
かえって周りの状況が見えすぎている人には
やっても無駄だと思われてしまうようなこと
でも、無駄だと思わずにやっているうちに、
試行錯誤や紆余曲折を経た末に結果的に無駄
でないことをやっている状態にたどり着ける
のかもしれず、そういう意味で何だかわから
ないことをやっている感覚が、後々成功や勝
利への重要と鍵となってくる場合もあるわけ
で、何かをやっているうちに次第にやってい
ることへの理解が深まってくれば、それにつ
いて学びながら何かをやっていることにもな
るわけで、そういう意味でも焦って性急に結
論へと至ろうとしない方がいいのだろうし、
たとえ途中で思わぬ横道に逸れてしまうよう
な場合でも、辛抱強くその道を辿ってみるこ
とが肝要なのかもしれない。

 人は目先の勝利にこだわっている限りで、
その勝利と引き換えにして失ってしまうもの
については鈍感にならざるを得ない。別にそ
んなものなど要らないとも思わずに失ってし
まうものがあるのだろうし、場合によっては
死ぬまでそれに気づかないことだってあるの
かもしれないし、ならばそんなものなどどう
でもいいものでしかないのだろうが、人によ
ってはそういうものを切実に欲している場合
もあるわけで、中には欲しているという自覚
すらなしに欲している場合さえあるのかもし
れず、それが世間でも無意味で無駄なこだわ
りであるとしたら、意味のない欲望でしかな
くなってしまうわけだろうが、それを自覚し
ていなければ別に世間体を気にする必要もな
いわけで、それと気づかないうちに何かをや
っているとしたら、やっていることに気づか
ない方がそれを貫徹できる可能性が高くなる
のではないか。それは初志貫徹といった単純
なことではなく、行き先の定まらない成り行
きの中で解決へと繋がる糸口をつかむような
ことなのかもしれず、しかもそれを解決だと
も思わずに結果的に何かを成し遂げているよ
うなことにでもなれば、そんな結果自体がそ
れをやり通した人の意識とも無関係となる可
能性もあるわけで、別にそれを意識して目指
しているわけではなくても、結果的に何らか
の成果が上がるようなら、それはそれで愉快
な成り行きなのかもしれないが、その渦中に
いる当人にはそんな実感など湧いてこないだ
ろうし、何だかわからないが悪戦苦闘を繰り
返した挙句に非業の最期を遂げてしまえば、
それでは悲劇の主人公となってしまい、当人
には愉快でも何でもないこととなってしまう
だろうが、案外そんな人の犠牲によって世の
中が栄えている面もあるのかもしれないし、
そんな犠牲者の自覚もないまま心身をすり減
らしながら死んでいく人が多いほど、それだ
け社会の変革も進んでいくのかもしれないが、
逆に誰もが自己保身に汲々としていて犠牲に
なることを拒んでいるような状況だと、世の
中の停滞を招いて多くの人が惰眠や虚栄を貪
りながらも気づかないうちに社会の腐敗や荒
廃が進行していくのかもしれない。だからと
言って自覚して何をやるような成り行きにも
なっていないとすれば、進んで誰かが社会の
犠牲になるようなことでもないわけで、その
辺を勘違いして自爆攻撃のようなことをやっ
ても、それはただの無駄死にであり、あから
さまなテロでなければ何が自爆攻撃だとも思
えないだろうが、悲壮感を漂わせて危機感を
抱いて深刻な事態への懸念ばかり示しても何
にもならないわけで、そんな態度で凝り固ま
っている時点で既に状況的に追い込まれてい
るのだろうし、見えているものを見ないよう
に振る舞おうとしているわけだ。そこで演じ
られている茶番劇を悲劇と勘違いしてしまう
ようでは、やはり神経質な繊細さを売りにし
て大げさな終末論へと向かうしかないだろう
か。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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