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彼の声 2017.9.16 「信用の不信」

2017/09/16

 社会はそこで人を拘束する制度がないと成
り立たないことは確かだが、制度を利用して
理不尽な権力の行使が行われると、それに刃
向かう人や集団が出てくるわけで、もちろん
実際に権力を行使する側はそれを理不尽とは
感じないだろうし、それが理不尽だと感じる
権力を行使される側とで認識や見解が異なる
わけで、そうなると両者の間で対立や争いに
発展する可能性が出てくるのだろうが、制度
自体が社会を管理して維持するシステムを含
んでいるだけに、そのようなシステムに組み
込まれている人たちは制度に逆らえない境遇
にあるわけで、そんな境遇にある人たちが権
力を行使する側の人たちを批判すれば、制度
に逆らったとみなされて有形無形の何らかの
不利益を被ることになるわけだが、制度自体
が恒常的に不変であるわけではないので、た
ぶん制度が変わるきっかけをもたらすのが、
権力を行使する人たちを批判する人や集団の
活動なのだろうし、双方の対立や争いから制
度が変わる可能性が出てくるわけだろうが、
そうだからと言ってどちらの思惑通りに変わ
るわけでもないだろうし、良い方向にも悪い
方向にも変わる可能性があるのだろうから、
どうなるのが良くてどうなるのが悪いのかも
一概には言えないところだろうし、社会の中
での立場や境遇によってそれを良いとみなす
か悪いとみなすかも認識や見解が分かれるこ
とになるかもしれないが、少なくともそこで
行使される権力に反発したり逆らったりする
人や集団にとって、それが不快だと思われた
り、被害まで出ている実態もあるとしたら、
それが権力の行使に反発したり逆らう理由と
なるわけだ。そうなるとそのような人や集団
を黙らせるには、合理的に考えるなら権力の
行使をやめるか、不快感を減じたり被害の出
ないような制度に変更すればいいわけだが、
権力を行使する側にそれができない事情があ
れば、強制的に黙らせようとしてさらなる権
力の行使が必要となってくるだろうし、また
不満分子を黙らせるような制度の改正も考え
られるだろうし、そうなるとますます強権政
治の度合いを強めることにもなるのだろうが、
歴史的に見ればそのようなやり方をエスカレ
ートさせていった政治体制は長くとも数十年
で破綻するケースが多く、今は何とか民衆の
不満を抑え込んでいるとしても、将来に禍根
を残すことになるわけだから、そのような体
制に対する評価は将来の判断に任せるとして
も、現状がどの程度の状態になっているかは、
案外多くの人が気づいているところかもしれ
ず、たとえそれが世論調査や選挙結果に表れ
ないとしても、実際に権力の行使に逆らって
いる人の言動や行動から推し量ることができ
るだろうし、またそのような人たちに有形無
形の圧力や誹謗中傷を加えている人たちの本
気度からも推し量ることができるのではない
か。

 だからと言って何が良くて何が悪いという
ことでもないのだろうが、世の中で活動して
いるどの勢力を信用してどの勢力を信用して
いないかで、自らの言動や行動の傾向が定ま
ってしまうとしても、直接どのような勢力の
味方をしてどのような勢力と敵対するような
関係になければ、そのような対立や争いには
巻き込まれていないのかもしれず、無関心で
いようと思えばできるわけで、そういう意味
で無責任な立場を堅持することができるのだ
ろうが、直接には巻き込まれていないとして
も、間接的にはメディアを通してその対立や
争いの情報に接しているわけで、そのような
問題と浅く触れ合っている程度の状態を保っ
ておいた方がいいだろうし、無理にどちらの
陣営の味方になるかを決める必要はないわけ
で、たとえそのような態度の保留が権力の行
使に逆らう人たちを見殺しにすることになろ
うとも、無関係でいられる限りは見て見ぬ振
りを装うことは可能なのではないか。そうす
ることに苦痛を感じないなら無関係でいられ
るということであり、逆にそうすることに苦
痛を感じるなら、それだけでもすでに関係が
あることになるのであり、身にしみで痛みを
感じるなら何とかしなければならなくなるわ
けで、そうなればそれなりの言動や行動が伴
ってくるだろうし、そのような言動や行動に
は信用が生じるのではないか。それとは反対
に軽薄な煽動やデマの拡散を信用するのは愚
の骨頂なのだろうし、そんな言動や行動に浮
かれて何かやっているつもりになっている人
や集団はどのみち消え去る運命なのだろうし、
しかもそれでも構わないことはそれらの人た
ちが一番よくわかっているわけで、わかって
いるからこそ焦燥感とともに突飛な言動や行
動に出てしまう傾向があるのではないか。そ
してそうだとしても世の中の主導権を握って
いるように見えるのはそれらの人たちであり、
実際に権力を行使している側もそのような傾
向にある人たちと連携しながら権力を行使し
ているわけなのだろうが、実際に政治的な権
力を行使するような立場や境遇にある人や集
団がどのような末路を辿るかは、歴史に示さ
れている通りなのだろうし、そのような末路
をどのように捉えるかは人それぞれで認識や
見解が分かれるところなのだろうが、世俗的
な歴史家たちはそれらの人や集団などの活動
を肯定的に捉えたがる傾向にはあるわけで、
メディア的にも世間の関心を呼ぶようなフィ
クションにも仕立てながら伝えようとはして
いるわけだが、そのような宣伝が実際に世の
中に何をもたらしているのかはよくわからな
いところだ。その対象が何になるにせよ、宣
伝は一過性のイベントだろうし、絶えず宣伝
し続けるにしても、そこから生じる信用とは
宣伝に結びついた信用でしかないだろうし、
人為的に宣伝しなければ消え去ってしまうよ
うな信用なのではないか。それ以外の信用が
あるのかと問われれば、そんなものはなくて
も構わないのかもしれないが、とりあえず軽
薄な煽動やデマの拡散の上に世間的な信用が
築かれるとすれば、別に信用されなくても構
わないような気もしてくるし、世間一般で通
用している宣伝行為から生まれる信用がそれ
と同じだとは思わないが、それらは程度の差
にしか過ぎないとも思われるのは間違った認
識だろうか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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