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彼の声 2017.9.12 「理性への信用」

2017/09/12

 人々はメディアを介して世の中で何が信用
されているのかを認識することは確かで、そ
れが何であれ人気がある物事は多くの人の関
心を引きつけているのだろうし、人々がそれ
に対して好意的な関心を抱いているとすれば、
それが人々に信用されていると考えても良さ
そうで、それとメディアが好意的に取り上げ
る物事とが一致すれば、世論とメディアとが
共通の価値観を共有していることになるので
はないか。もちろんそんなメディアに対して
批判的な意見を持っている人も多数いること
は確かで、そんな人たちはメディアに騙され
ないように心がけているわけだろうし、また
メディアの中でも必ずしも同じ価値観を共有
しているわけではない面もありそうで、メデ
ィアに批判的なメディアという姿勢のメディ
アもあるのだろうから、全てにおいて一枚岩
ではないのはわかりきったことかもしれない
が、その中でどんなメディアを信用してどん
なメディアを信用していないかで、人それぞ
れに好意的に受け止める物事と嫌悪している
物事に関して違いが出てくるだろうし、中に
はメディアが取り上げる何にしてもそれほど
好意的でもなく嫌悪しているわけでもなく、
そんなものだとしか受け止められないような
感性の人もいるのではないか。そういう人は
安易な煽動行為には乗ってこないだろうし、
対立を煽っている両者の間にそんなに違いは
ないとも思っているかもしれず、メディアに
批判的なメディアという姿勢についても、そ
こにある種の欺瞞が介在していることを見抜
いているのかもしれない。ではそういう人に
とっては何が信用できるのかといえば、そこ
でメディアが安易に人心を煽動して何らかの
価値を巡って対立せざるを得ない状況を作り
出す成り行きを信用できるのかもしれないし、
メディアに対しても世の中に対しても、そこ
で形成される何らかの価値観が何に起因して
いるというよりは、好意的に取り上げる物事
が現状の社会を維持するのに役立っていて、
また嫌悪すべき物事が現状の社会にとって脅
威となる危険性があることをメディアが知ら
せようとしていることは信用できるのではな
いか。もちろんそれの良し悪しは抜きでそう
いう成り行きがあるわけで、必ずしもメディ
アが好意的に取り上げる物事が良く、批判的
に取り上げる物事が悪いということではなく、
そうなっては困るような物事は絶えず批判的
に取り上げようとするだろうし、そうなるべ
きだと思われる物事は好意的に取り上げるだ
けで、メディアが困るような物事が世間一般
の感覚でも困るよう物事だという認識を人々
の意識に植え付けようとしていることは確か
なのではないか。

 そしてそういうことをやっているメディア
を信用できるのかというと、それを好意的に
受け止める人は信用するだろうし、批判的に
受け止める人は信用しないだろうし、しかも
信用するか否かの水準ではそうだとしても、
メディアが伝える物事が常に信用できるか否
かの水準で受け止められるわけでもなく、そ
のどちらでも構わないような物事も話題とし
ては伝えられているわけで、むしろそちらの
方が圧倒的に多いのかもしれないし、それを
受け取る人々の意識の中では興味を抱かず関
心を引かないような物事がひっきりなしにメ
ディアを介して伝えられているわけで、その
中のほんの一部が興味を持たれ関心を引くよ
うな話題なのだろうし、そうなっている時点
で信用するか否かの水準よりははるかに低レ
ベルの水準で意識されているわけで、そうい
うことに関してはいちいち取り上げて好感を
持ったり批判したり嫌悪感を抱いたりするこ
ともなく、ほとんど意識されない物事として
頭の中で処理されるのだろうし、逆にそれが
無意識の世論を形成しているとも言えるのか
もしれないが、意識できないことだけに思考
の対象ともなり得ない物事かもしれないが、
一方でそれは逆らうこともできないし操作す
ることもできないような物事なのだろうし、
実質的にはそのような人の深層心理にこびり
ついた無意識の世論が世の中を支配している
とも言えるのかもしれないが、そのような世
論に対抗するには意識して思考を働かせなけ
ればならないのだろうが、常にそんなことを
心がけている人は世の中にほとんどいないだ
ろうし、そういう意味で意識した思考力に勝
ち目はないのかもしれないが、勝ち目がない
にしても意識して思考を働かせなければ、無
意識が作り出す世論を捉えられないのだろう
から、そうするしかないのだろうし、そんな
ことを考慮するとメディアが意図的に煽動し
て対立を作り出している面があるにしても、
そこには意識できない攻撃的な闘争本能が働
いていたり、例えば社会の中で異質な文化や
伝統や慣習を持つ人々に対して、意識して理
性を働かせても埋めることのできない溝を生
じさせて、結果的に嫌悪感や不快感とともに
異質な者を排除するような成り行きをもたら
してしまう場合もあるだろうし、そういう否
定的な感情をストレートに表現することに何
のためらいもなくなっている状況が作り出さ
れているわけで、そういう面でも無意識の世
論が意識した思考力に優っている結果がもた
らされているわけだが、だからと言って安直
に理性の復権を訴えるような主張では歯が立
たず、いつの時代でも理性よりは感情の方が
優っていたのだろうから、結局はありのまま
の現実を体験するしかないのかもしれないし、
現実に誰もが体験し続けているわけだが、そ
れでもまだ世の中の共通の価値や信用に対し
て幻想を抱く習慣から抜けきれていない面が
あるのだろうか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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