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彼の声

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彼の声 2017.8.16 「比較から生じる幻想」

2017/08/16

 国という行政単位は国力という幻想をもた
らしそうな意味合いがあるが、実際に国力は
幻想ではなく予算規模や経済規模や軍事力な
どによって測れる尺度だろうし、何かと国ご
との優劣や序列をつけたがる向きには格好の
指標となるのかもしれない。だが国力がどの
ような時に役に立つのかというと、国際的な
政治や外交などの駆け引きの場において、相
手国との交渉の席上で何か物を言うことがあ
るのかもしれないが、よほどのことがない限
りは国家と国家との戦争は回避されるのが近
年の傾向だし、何らかの事情で国内で隣国と
の敵対関係を煽り立てる人々がいても、そこ
から軍事衝突などに至る可能性はあまりなさ
そうだし、そういうきな臭い面で国力を役に
立てようとする成り行きにはならないのかも
しれず、いくら国力に差があろうと外交上は
表面的には対等を装う場合がほとんどだろう
し、戦争ではなく外交的な関係に限れば、双
方の国力を比較してどうこうということはあ
まりないのではないか。むしろ最近は各国と
も国内の政治経済情勢にも絡んだ社会問題ば
かりがメディア的には取り上げられることが
多いのかもしれず、それは国内の住民同士の
対立であったり、住民と行政府との対立であ
ったり、住民と企業などとの対立であったり
するわけで、それが何に起因していようと、
その国の国力がどうであろうと、いかに住民
が平穏無事に暮らせるかが、メディア的な関
心事なのかもしれず、世の中の話題といえば
大抵は何らかの揉め事や争い事が脚光を浴び
るのだろうが、それが解決しようのない不条
理を感じさせるようなことだと、その国の社
会には何やら重苦しい不幸が満ち溢れている
ようにも思われてしまうわけだが、たぶんそ
れはある程度までは世界共通なのかもしれず、
そこに根を張る様々な因習による束縛が人々
に文化的なまとまりをもたらすと同時に、勝
手気ままに自由を謳歌する機会を奪っていて、
それがある種の苦しみや同調圧力をもたらし
ているとも言えるのだろうが、また貧富の格
差などの経済的な不均衡が社会的な階層の存
在を意識させていて、階層間の対立や軋轢や
主従関係などももたらしていて、それがその
地域特有の文化や慣習などにも色濃く影を落
としている場合もあって、それらが複雑に絡
み合うことでしがらみを作り、そんなしがら
みからなかなか抜け出られないことが、そこ
につなぎとめられていることによって、生か
されていると同時に不快な不自由さももたら
していて、そこから社会を守るとともに社会
的なしがらみから自由になりたいという二律
背反的な感情が生じることになるだろうか。

 そうなると国という行政単位とも国力とい
う概念とも全く無関係なことを述べているこ
とになるのかもしれないが、両者を結びつけ
るのも二律背反的な感情であるのかもしれず、
国と社会とが重なるような対象として捉えよ
うとすると、国民という存在と住民という存
在を同一の存在として扱うことにもなるわけ
で、人々を拘束しているその地域特有の文化
や慣習を、その国特有の文化や慣習として認
めることにもなり、そうなると例えば京都周
辺の文化的な景観が日本特有の文化的な景観
として海外に向けて紹介されようとしたり、
地域と国とを同一視するような錯覚も生まれ
るわけで、たぶんその辺から人々の間で認識
のずれが少しずつ生じているのではないか。
別に行政単位としての国の存在が無意味だと
は思わないが、京都周辺に住んでいる人と東
京周辺に住んでいる人が、同じ日本国民であ
るとしても、サンフランシスコ周辺に住んで
いる人とニューヨーク周辺に住んでいる人が、
同じアメリカ国民であるとしても、京都周辺
に住んでいる人とサンフランシスコ周辺に住
んでいる人との間で何か違いがあるとしたら、
日本国民であることとアメリカ国民であるこ
ととの違い以外には、あまり積極的に違いを
際立たせるものはないのかもしれず、それは
文化や慣習の違いというよりは、国としての
行政単位上の違いであり、それが形式的なも
のだと捉えることには抵抗があるかもしれな
いが、逆に文化や慣習の違いを際立たせよう
とすれば、同じ国の国民である京都周辺に住
んでいる人と東京周辺に住んでいる人との間
でも違いが際立つわけで、また京都周辺に住
んでいる外国人と東京周辺に住んでいる外国
人との間でも、文化や慣習の違いが際立つか
もしれないし、さらにそれが観光的な視線で
見る限りでの違いである場合もあって、結局
は京都周辺に住んでいても東京周辺に住んで
いてもサンフランシスコ周辺に住んでいても
ニューヨーク周辺に住んでいても、たとえ言
語や文化や生活習慣が違っていても、同じよ
うな仕事に就いて同じような家族構成や交友
関係を持っていたら、案外同じような毎日を
過ごしている可能性もあるわけで、そこに些
細な違いを認めて日本人とアメリカ人の違い
を説明することは可能だろうが、それを説明
する人やその説明を真に受ける人にとっては
興味深いことかもしれないが、実際に生活し
ている人にとっては別に気にかけるようなこ
とではないのかもしれず、さらにそれが北朝
鮮の平壌周辺に住んでいる人であっても、平
穏無事に暮らしている限りは大したことでは
ないのかもしれない。そしてそこに平穏無事
では済まない揉め事や争い事を認めると、途
端に国ごとの違いを強調して対立を煽りたく
なってくるわけだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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