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彼の声

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彼の声 2017.7.26 「自由と選択」

2017/07/26

 物のイメージはその物の姿形を映し出す画
像や映像から成り立ち、物の性質や働きや取
り扱いに関しては、主に文字や音声や数値や
図表を含む記号表現を用いて説明されること
が多いだろうか。一般的には映像情報と記号
情報が一体化して、それが物に関する知識と
して社会に定着しているわけだが、画像や映
像についても見せたい場面や局面を恣意的に
切り取って見せているわけだから、それが象
徴的な意味を持つ限りで記号表現と捉えられ
るかもしれず、厳密には映像と記号は区別が
つかないかもしれないが、何か見せたい物を
見せて、それを音声や文字を使って肯定的あ
るいは否定的に説明し、その物への肯定的あ
るいは否定的なイメージを見せた人々の意識
に刷り込む、という洗脳的な行為は、メディ
アを通してよくやられていることだろうし、
よく考えたらメディアの機能というのはそれ
だけかもしれないのだが、別に見せたくもな
い物を肯定も否定もせずに見せ、それを音声
や文字を使って肯定も否定もせずに説明する
ことが果たしてできるかというと、ではなぜ
そうするのか理由がわからなくなってしまう
だろうが、その肯定も否定もしない情報の伝
え方というのが、中立的な報道の仕方だと言
えなくもないし、すでに何かを見せようとす
る時点で、見せたいという恣意的な思惑が働
いていることは確かで、そして見せた物につ
いて説明したり解説したいと思う時点でも、
恣意的な思惑が働いていることになるだろう
が、ではなぜそうしたいのかと言えば、それ
を肯定したり否定したいと思うこと以外で、
何がそうしようとする動機となっているかに
ついて考えてみる必要がありそうで、ただ何
となくそうしたいわけではもちろんないだろ
うし、伝えなければならないと思うから伝え
ようとするのかというと、ではなぜそれを伝
えなければならないのかというと、何かそう
いう物事を伝えることが慣習となっているか
らとしか言えない面がありそうで、本音を言
えばそれを肯定したり否定したいからと言っ
てしまいたいところを、報道の中立性を鑑み
てうやむやにしておきたいところなのかもし
れず、ただその日に起こった出来事をランダ
ムに選んで伝えているわけではないことはわ
かりきっているが、できるだけあからさまな
肯定や否定は避けながらも、それを中立性を
装って伝えていること自体が、伝える側の恣
意的な思惑が介在していることを想像するし
かないような事態とならざるを得ないのでは
ないか。

 そう思われてしまうことに対する妥協策と
しては、肯定的な意見と否定的な意見の両論
を併記するというやり方もよく用いられてい
るわけだが、その両論併記という一見中立に
思われるようなやり方にしても、すでにそん
な出来事を話題として取り上げること自体が、
政治的な思惑を含んでいて、話題の渦中にい
る人や団体を攻撃するために、わざと説得力
のないその人や団体への肯定的な意見と、一
方的な否定意見とを併記して、一見中立性を
装いつつも、実質的にはその人や団体を批判
し否定するような印象操作が行われることも
あるだろうし、やろうと思えばいくらでもそ
んなことはやれるだろうが、重要なのはあか
らさまにそんなことをやっているとは思われ
ないように表現することであり、それを伝え
て世間的な話題にする根拠は曖昧に隠しなが
らも、世論がそれを問題化するように仕向け
ることだろうし、そういうところに巧妙な仕
掛けがあると思ってしまうと、何か良からぬ
陰謀が張り巡らされているようにも思われて
くるのだろうが、結局はそれに対する説得力
のある批判を信用するしかないわけで、でき
れば他人の批判を信用できるか否かではなく、
そのような報道に対して自分がそれを見抜け
るか否かの方が重要なことだろうし、見抜け
なければ恣意的な報道によって操作される世
論を支える民衆の一部となるだけで、別にそ
れで構わないのかもしれず、それによって何
がどうなることもないのだろうが、どうなる
こともなければ現状の維持に貢献しているわ
けで、またその種の報道の欺瞞を見抜いたと
ころで、それでも何がどうなることもないの
かもしれないが、意識だけでも現状から抜け
出ていた方が、世論というフィクションから
自由でいられるのではないか。そうであるに
してもそれが現状への気晴らしや気休めにし
かならないのか、あるいは未来へ向けて変革
の可能性を期待させるのか、現時点では何と
も言えないところだろうが、それが良い方向
なのか悪い方向なのかわからないが、絶えず
現状認識を更新しようとしない限りは現状の
ままにとどまるしかなく、また妥協して現状
のままにとどまろうとすれば、勝手に周囲の
状況が変わっていって、状況の変化に取り残
されてしまう可能性もあるだろうし、どちら
にしても社会の中で定まった地位を獲得しよ
うとすれば社会の慣習に逆らえなくなるよう
に、安定と引き換えに自由を犠牲にしたり、
その反対に自由にこだわると不安定な境遇を
受け入れざるを得なくなるし、全てを手に入
れることは不可能なのだから、どちらか一方
を選択するというよりは、なるべく選択の手
前で立ち止まって考えるべきだろうか。そう
やってどちらか一方を選択せざるを得ない状
況に逆らうことが重要だろうか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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