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彼の声

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彼の声 2017.7.16 「活動の指針」

2017/07/17

 物事の成り行きと結果を道理に当てはめて
考えようとすると、その道理が何から生じて
いるのかを知りたくなってくるが、人が行動
や活動の指針を道理から導き出そうとしてい
るように思える時、その行動や活動を正当化
するために道理を求めていて、それはご都合
主義の最たるものなのかもしれないが、なぜ
道理に適った行為をやろうとするのかといえ
ば、行為の正しさを求めていて、正しいこと
をやっていれば、とりあえず間違ったことを
やるよりはマシだと思えるし、それが他の様
様な事情から気休めに過ぎないとしても、心
の拠り所として道理ぐらいしかなければそれ
に頼るしかないだろうか。たぶん間違った行
為というのが道理に合わない行為なのだが、
それは他人の行為を批判する時に使う物言い
で、自らやっている行為が道理に合わないと
は思わないだろうし、道理に合うか合わない
かを判断するのは、いつも決まって他人の行
為に対してであり、自分の行為が正しいか間
違っているかを判断する時にはそんなことま
では考えず、それが道理に合わないとは思わ
ないだろう。間違った行為を自分がやる時は、
いつも決まって思いがけないことが起こる時
なのではないか。そしてやっている時にはそ
れに気づかないから、他人からそれが道理に
合わないことを指摘されて、それを認めたく
なければむきになって反駁することもあるだ
ろうが、自分から進んで道理を求めようとす
る時は、他人がやっている行為が道理に合わ
ないように思えるから、それを指摘する時に
道理を求めるわけで、その一方で自分の行為
に関しては、それを行なっている時に道理を
求めているわけでもないことが多そうで、た
だ他人に対する批判として常套句のようにそ
れは道理に合わないと指摘したいわけで、そ
ういう意味で道理が何から生じてくるのかと
いえば、それは他人に対する批判から生じて
くると言えるのではないか。そしてその批判
を正当化するために道理を持ち出してくるの
であり、そんなふうに他人との関係の中でし
か道理が活用されなければ、自分の個人的な
行為に関して道理が持ち出されることはあま
りないだろうし、自分がやっていることに関
してそれが他人への働きかけを含まない限り
は、やっていることの正しさを求める成り行
きになることはまずないのかもしれず、自分
の行為を正当化するにしても、それは他人に
向かって正当化したがるわけで、自分が自分
に向かって自分の行為を正当化する理由はな
く、自分がやっていることをこれでいいのだ
と納得するにしても、正しいかどうかを気に
しているわけではなく、やってしまったこと
については取り返しがつかず、もはや後戻り
できないことを確認しているだけなのかもし
れない。

 そんなわけで自分に求めていることと他人
に求めていることが違っているとすれば、や
はりそれはご都合主義的な意味合いが生じて
いるわけで、それは絶えず自己中心的な観点
からなされるのであり、果たしてそれが道理
に適っているかどうかは甚だ疑問に思われる
だろうが、他人の行為には道理を求めておき
ながら、自分の行為に関しては道理を意識で
きないのはよくあることであり、それが道理
に適っていようといまいと、結果的にうまく
いけばそれでいいわけで、うまくいかなけれ
ば反省するだろうが、うまくいったことまで
道理に合わないことをやっていたとして反省
する必要があるだろうか。それよりはうまく
いかなかったらそれが道理に合わないことを
やっていたと思い込みたくなるのではないか。
そういう意味で自分のやっていることと他人
のやっていることが異なる立場から判断され
るのはもちろんのこと、それが道理に合うか
否かも自分と他人とでは判断基準が異なり、
自分に対しては甘く、他人に対しては厳しく、
自分がやっていることに関しては気づかない
ことでも、他人がやっていることなら気づい
てしまうのはよくあることで、そういう意味
でも他人の忠告や指摘には反発しつつも聞く
耳を持っている方がいいのだろうし、謙虚に
なって耳を傾けることが、自分のためになる
ことなのかもしれないが、そうすることが道
理に適った行為なのかといえば、それはケー
スバイケースでしかないことも承知しておく
べきかもしれず、自分のためになることを自
分がやるべきか否かも同様で、また他人のた
めになることを自分がやるべきか否かも、い
くら情けは人の為ならずと言われていても、
その場での状況によってはそうでもないこと
もあるだろうし、そうだとしてもあえて常識
的に考えると間違っているようなことをやっ
てしまう場合もありそうで、その時の勘がそ
う告げているような気がするなら、やはり間
違っているように思われることをやってしま
うわけで、他人に向かって批判する場合は軽
い気持ちで利いた風なことが言えるのかもし
れないが、それと同じ調子で自分を批判でき
るのかといえば、そんなことはないわけで、
それだけに自分への批判は困難を伴うだろう
し、反省的に自分で自分を批判できないわけ
ではないのだろうが、果たしてその批判が正
しいかというと、それは他人が判断すること
であり、自分の判断が正しいか否か以前に、
それがうまくいっているか否かの基準が立ち
はだかっていて、うまくいっていることを否
定したり間違っているとみなしたりすること
はなかなかできないだろうし、実際にうまく
いっていることは正しいことであり、どう考
えてもそれが間違っていることだとは思えな
いのではないか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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