文学

彼の声

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彼の声 2017.7.15 「分析から派生する情報」

2017/07/16

 人が利用するのは人であり物でもあり、人
の記憶には情報が詰まっているのだろうから、
当然自らの記憶の中の情報を利用して、また
外部の記憶媒体に蓄積された情報も利用でき
るわけで、それらが効果的に組織され編成さ
れた装置の類いも、様々な様式や形となって
人が利用すべき情報を保持していて、その中
で人が物を利用しながら人も利用し、結果的
にそんな情報が人や集団の活動を支えている
実態があるわけだろうが、そうやって人や集
団が活動しながら何か目指しているものがあ
るとすれば、それは現に社会の中で構築され
ている制度に則った目的に合致していること
が多そうで、目指すべきことが制度の中で示
されていればわかりやすいわけだが、一方で
それを何の疑いもなく信じているかというと、
誰もが少しは疑念を抱いているだろうし、実
際にある程度は行為や行動が制度から逸脱し
ている部分も意識していて、それが全面的に
信頼できるような制度ではないことは、薄々
感づいているはずで、ただ表立って制度に反
逆するのは得策でないことぐらいはわかって
いて、自分の都合に合わせて制度の中で利用
できる面は利用して、都合の悪い面に関して
は、その場の状況によっては制度から逸脱す
ることも厭わず、そうすることが利益になる
なら違法行為をやってのけるも選択肢として
はあるのかもしれず、その辺のどこまでが許
されてどこからが許されないかの判断は、そ
の場の状況に応じて変わってくるかもしれず、
大前提としては合法的な範囲内で活動しよう
と心がけておくのが無難なところだろうが、
場合によっては筋を通さず規範も破って行動
してしまうのかもしれず、たぶんそんなこと
が実際に起こるから、人や制度を裏切るよう
な行為にもそれなりの必然性を感じられるわ
けで、それが避けられないような成り行きに
巻き込まれてしまうと、どうやっても清廉潔
白ではいられなくなって、自らの行為を正当
化できないことを思い知るだろうし、別に正
当化しなくても構わないような心境にもなる
のではないか。そんな状況の中で無理に正し
いと思われることをやろうとすると、それで
はうまくいかないことがわかってしまって、
正しいことをやって失敗しても誰が褒めてく
れるわけでもないし、失敗すれば非難される
ことが目に見えていれば、誰も正しいことな
どやりたがらないだろうし、そもそもそれが
正しいと思われること自体が間違っているよ
うにも思われるのではないか。

 それが正しいことだろうと間違っていよう
と、結果的にうまくいっても失敗しても、そ
れらのどれとも異なった判断が下せるだろう
か。ただそういう水準では判断しないという
ことかもしれず、行為や行動の何が良くて何
が悪いかを判断しないとすれば、ではどのよ
うに行為し行動すべきかとなるわけだが、そ
れを決定せずに意識しないことが可能だろう
か。可能な場合もあるかもしれないし可能で
はない場合もあるかもしれないが、それを事
前に決めておくわけにはいかない場合もある
かもしれないし、事前に決めざるを得ない場
合もあるかもしれず、どのような場合もある
かもしれないし、事前であってもその時が来
ても決められない場合もあるかもしれない。
そうであるなら何が言いたいのかといえば、
とりあえず様々な場合があるかもしれず、ど
んな場合もないかもしれないということだろ
うか。実際に様々な場面や局面に遭遇したり
直面したりして、その場その時で対応が異な
っていたり同じだったりするのかもしれず、
一概には適切な対応が何かはわからないかも
しれないし、中にはわかる場合もあるのだろ
うが、だからと言って思い通りに行動できる
とは限らないだろうし、実際にやってしまう
ことが思っているのとは違う場合もあるわけ
で、何も思っていなくてもやってしまう場合
もあるだろうし、意識より行動の方が早く対
応してしまう場合さえありそうで、それが正
しいか否かではなく、正しかろうと間違って
いようと、とりあえずそんなことをやってし
まう場合は、意識による判断など必要として
いないわけだ。しかもそれがその場の状況に
適合していれば、何がそんなことをやらせる
というわけではなく、そんな行為や行動も含
めてその場の状況が形成されていることにな
りそうで、人の行為や行動をその場の状況か
ら分離してその良し悪しを判断すること自体
が、その場の状況にとってはどうでもいいこ
とであり、ただそんな状況になっていること
と、それが良いか悪いかを判断することが、
有機的に結びつくわけではなく、そういう判
断がその場には何の効果も影響も与えず、そ
れを分析しようと評論しようと、それもその
場の状況の一部であり、状況から派生した行
為に過ぎず、状況を変えるにはそれとは違う
行為や行動を必要としているのかもしれない
が、それが何だかわかる日が果たしてやって
くるのだろうか。わからなくても状況は絶え
ず変化し続けているだろうし、それはわかる
必要のないことかもしれないのだが、ではそ
れを分析することから何がわかるのだろうか。
たぶんそれを分析すればするほどそれに関す
る情報量が増えるだけで、その分だけそれに
ついての言説が余分に構成されるわけで、そ
うやって分析が分析している以上の何かを語
ることになりそうで、それ以上語ることから
それに関する余分な情報が生まれるわけだが、
それも状況の一部なら、それによって状況が
変化したことになるのだろうか。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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