文学

彼の声

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彼の声 2017.6.27 「存在の自在さとは裏腹の不自由」

2017/06/27

 その存在の何が悪いというわけではなく、
何も悪くないということもなくはないのかも
しれないが、とりあえず人を迷わせているの
はそこに目的があるからではない。迷う暇も
なく働いているとしたら、それは幸せなこと
だろうか。それだけの理由では幸せであるか
否かの判断はつかないのかもしれず、そんな
わけでもないのに惑わされているのは政治的
な問題に関してではなく、社会的な問題に関
してでもない。迷うということは何も不都合
なことだとは限らないのかもしれない。そう
なっているのが偶然であろうと必然であろう
と、そこに真実があることを確信しているの
なら、その真実を利用してこけおどし的な効
果を狙っているのではなく、ただそうなって
いることを認める必要がありそうで、そんな
現実の中で考えているからこそ、迷わずには
いられないわけで、迷っているからこそ、そ
こから一歩を踏み出すのが容易なことではな
く、迷った末に一歩も踏み出さないままにと
どまってしまうとしても、そんな現状維持的
な判断を責めるわけにはいかないのかもしれ
ない。現状に直面しないままにとどまるとす
れば、フィクションの中で思考すればいいの
だろうか。現状こそがフィクションだと思え
ばそうではないかもしれないが、現実の世界
の中で構築されるフィクションにはそれ相応
の真実が含まれているのであり、それ以外の
フィクションなどあり得ないのかもしれない
が、真実を伴っているから考えさせられるの
であり、そんなフィクションが構築されてし
まう現実について考えようとするわけで、考
えているだけでそこから一歩たりとも動かな
い理由はなく、その自覚がなくても現状の中
で何かしら活動している実態があるのだろう。
だからとりとめのない現実に直面しているよ
うに思われるのだろうか。理由をフィクショ
ンが醸し出す何かに結びつけようとすればそ
うなるかもしれないが、直面している現実が
とりとめがなかったら、それについて考えあ
ぐねてしまうだろうし、何をどう考えればい
いのかわからない状態の中で、思考がひたす
らさまよっているだけかもしれず、具体的な
思考対象にたどり着けないまま、言葉を無駄
に費やすだけかもしれないが、フィクション
は現実を補って余りあるほどの魅力を伴って
いて、そこに誰かの願望が投影されているの
だろうし、人格を伴わないような欲望がむき
だしのまま、言葉や映像の塊としてそこに置
かれているのだろうか。

 そういう意味でフィクションは欲望の展示
物なのだろうか。それだけではないことは確
かかもしれないが、現に体験しつつある現実
の世界からエネルギーが備給されていて、ど
のように備給されているのかといえば、何か
のついでに間接的に備給されているのだろう
し、その明確な役割を担えないままの中途半
端な構成が、それ自身とは別の何かを想像さ
せるのであり、何かというのが何でもないと
しても構わないような自在さがあって、明確
な目的が提示されていないことが、がらくた
の類ではないかと思わせるところもありそう
で、それ以上の詮索が無駄なようにも思わせ
るのだが、そんなフィクションの幻影が社会
の余剰物となって、暇つぶしの余興である限
りの楽しみを与えてくれるのだろうが、それ
以上の何を期待しても無益なのかもしれず、
その有害性を強調しても的外れにも思われて
しまうわけだが、たぶん楽しむという目的す
らも外されて、普通に何でもないように思わ
れてしまうところが、フィクションが示す真
実なのであり、そんな真実を見ないようにす
る限りで成り立つ構成物としても幻想を抱け
るのであり、それが頽廃として広く世の中に
認知されているかもしれないが、実際にそん
な構成物が存在しているのだから、それがい
くら無意味に思われようとも、何らかの生産
物であることには変わりなく、またそれを生
産する人々にしてみれば、生産することに生
きがいを感じている場合もあるだろうし、そ
うでなくとも何となくそれに携わることで、
やはりそこからエネルギーの備給を受けてい
るのだろうし、たとえそれががらくたにしか
見えないとしても、そうであることが当然の
ことのようにがらくたであることを認めて、
がらくたそのものとして受け入れるような余
裕が社会に備わっているのではないか。そし
てそれを意識しようとする視線がフィクショ
ンに向かって逸れてゆく感覚が、それ以外の
何物にも囚われない自由をもたらし、それ自
身に囚われていることを忘れさせ、それが人
人を盲目へと導いているわけではないが、と
にかく不自由な現状を見ないようにするため
にフィクションを利用しているわけでもない
のだが、そこで構成される目的に囚われない
自在さが、まったくの嘘であることを忘れて
しまっている現実があるだろうし、他の何か
を忘れさせるためにフィクションが存在して
いると思われても、フィクションの方は現実
の不自由さにつなぎとめられているのであり、
フィクションの過酷さはその存在が何でもな
いことの過酷さに由来するのかもしれないが、
そんな不自由を自由として受け取ることで生
じるずれの中に、フィクションが存在する余
地があるようにも思われるのだから、それを
大袈裟に捉えて過酷な現実を体現していると
は思わない方が無難かもしれない。 

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創刊日:2001-03-26  
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