文学

彼の声

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彼の声 2017.6.18 「文化の多元化」

2017/06/18

 何か世の中で人が人であることの証しがあ
るとすれば、例えば生きていて言葉を使って
労働しているという条件が思いつくが、では
生き方や言葉の使い方や働き方に関して、各
人の間で他と区別がつくような特性があるか
となると、社会の中で人と人とが様々に交流
している中で、その交流の様式に応じてそこ
に関わっている人の役割や機能が、その人に
特有の形態を伴ってくるのかもしれず、それ
がその人の特性として他と区別することがで
きるかもしれないが、それもある一定の形態
に凝り固まって、そこでの役割や機能が一つ
の傾向で固定化されるようだと、その役割や
機能に応じた生き方や言葉の使い方や働き方
が規範として定まって、その範囲内で定めら
れた動作を行なっている限りで、社会の中で
その人が携わっている何らかの仕組みの中で
動作する装置に組み込まれていることにもな
るだろうが、そんなふうにして決まり切った
作業をやる機械的な動作が生じているとすれ
ば、場合によっては維持経費などのコストの
面で割りに合うようなら、その機能に特化し
た機械と置き換え可能となり、そうなると装
置として動作する中で人が占める割合が減っ
て、機械が占める割合が増えてくるかもしれ
ないし、そのような場合だと人であることの
必然性というのは、それが装置として動作す
る限りにおいてそれほど欠かせないものでは
なく、そこで決まり切った機械的な動作が求
められるほど、人であるよりも機械であるこ
との方が望ましい場合もあるわけで、そうな
るとそこでは必ずしも人としての動作が求め
られているわけではないのかもしれない。な
らばそういう動作とは異なる人としての特有
の動作とは何なのかといえば、普段生活して
いる中で漠然とやっていることがそうだとも
言えるが、そこで人が動作している実態があ
る限りでの動作でしかなければ、人が人であ
ることの証しというのが、社会の中で何か主
要な様式として確立されているわけでもなく、
かといって人はいかようにも動作する可能性
があるわけでもないが、実際に人としての妥
当なあり方というのが、はっきりと提示され
ていたりいなかったりする水準では、それほ
ど問題となっているわけでもなさそうで、た
だその場の状況の中でうまく機能している限
りで、その存在が周りの人たちにも認められ、
その人が必要であると感じられるわけで、必
要でなければいなくても構わない場合もある
だろうが、必ずしも人であるからこそ必要と
されているわけでもないらしい。

 そうだとすると必ずしも人は人でなくても
構わないのかとなると、どのようなあり方が
人でないような存在の仕方なのかということ
になりそうだが、これといって定まった様式
はないだろうし、人でなければ何なのかと問
われようと、人である限りは人であるしかな
く、それは意味のない問いにしかならないの
かもしれないが、人であろうとなかろうと、
何らかの存在として生活の実態があれば、そ
れなりに何かやっているのだろうし、そのや
っていることが人としての生き方や言葉の使
い方や働き方から外れていようと、そこに存
在して何かをやっている以上は、社会に何ら
かの影響を及ぼしているのかもしれず、その
生き方や言葉の使い方や働き方が社会の中で
一定の様式として定まらなければ、それが規
範として定着することもないだろうし、そん
な規範とならないようなやり方が他でも増え
ていけば、それだけ生き方も言葉の使い方も
働き方も多様化して、そうなれば規範から外
れるやり方も社会が認めざるを得ないような
成り行きとなるのかもしれず、社会が認める
ということはその中で暮らしている人々も認
めることになるわけで、そのようなことも含
めて文化的な多元化が進むような状況とは、
人が人であることの証しがないような状況に
なることなのかもしれないし、模範となるよ
うな生き方も言葉の使い方も働き方も定まら
ない状況となって、だからといって何をやっ
ても許されるわけでもないが、何をやればい
いのかが一つの方向で定まっているわけでは
なく、多種多様な方向で生き方も言葉の使い
方も働き方も可能な社会が実現されればいい
わけだが、もしかしたらすでにそうなりつつ
あるのかもしれず、絶えず人は人であること
を逸脱しながら、新たな人であることの可能
性を模索しているのかもしれない。なぜそう
ならざるを得ないのかといえば、その理由と
して考えられるのは、規範を基とした一つの
方向への努力が競争を激化させて、競争を勝
ち抜いて成功できるのはほんの一握りの人た
ちであるとすれば、その他大勢の人たちは必
ず途中で競争から脱落して、それまでの努力
が報われなくなるから、そうなると嫌でも他
のやり方を模索せざるを得なくなるわけで、
それでも今までは競争に勝ち抜いた一握りの
人たちを頂点としたピラミッド状の階層構造
が秩序として成り立っていたわけだが、ネッ
トを介して様々な情報が世界中に行き渡るよ
うになってからは、一つの規範にこだわるこ
とが必ずしも正しいわけではないことがわか
ってきて、それに伴ってその他大勢の人たち
が犠牲となって頂点に君臨する成功者たちを
支える必然性が揺らいでいて、そのような頂
点も世界中に無数にあることがわかっている
だけに、その中で特に何を規範として崇め従
う必要も感じられなくなっているのではない
か。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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