文学

彼の声

この世界について、この社会について、この時代について、未来について、過去について、人々について、自分が日頃感じていることを率直に語る。

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彼の声 2017.6.3 「障害物」

2017/06/03

 現状を分析することが何をもたらすのかと
言えば、現状をよりよく理解することにつな
がると思われるが、では現状をよりよく理解
することから何がもたらされるのかと言えば、
それ以上に何がもたらされるわけでもないだ
ろうか。過去を分析することからは教訓の類
いがもたらされるかもしれないが、それと同
じように現在を分析することからもやはり教
訓がもたらされるとなると、過去と現在の違
いは何なのかという疑問も湧いてくるが、分
析できるのは過ぎ去った時間内で起こってい
る現象でしかないわけだから、現在といって
も現時点から時間的に近い過去でしかなく、
何やらそこから教訓や反省がもたらされると
しても、それは総じて過去でしかないだろう
し、それが今ある状態のように感じられても、
すでに起こってしまっていることであり、そ
れが今まさに起こりつつあることであるよう
に思われるのだから、そこでは絶えず過去と
現在の連続性を確認し続けていることになる
だろうか。そうだとしても今ここでこの時代
で何が起こっているのか、と問わずにはいら
れないとすれば、それと同時的に今ここに今
この時代に存在している自分とは何なのか、
という問いも導き出されてくるようにも思わ
れるだろうし、何が自己を存在させているの
かとも問うことができれば、現状の中で自分
は何をしているのか、あるいは何をやらざる
を得なくなっているのか、さらに何を強いら
れているのか、ということを自分は理解した
いのだろうか。そんなふうに絶えず自らに向
けて問いを蒸し返してみることが、果たして
現状を分析していることになるのだろうか。
そんな果てしない自己へと向かう堂々巡りか
ら逃れるには、分析の対象を自分以外に向け
ればいいわけだが、たぶんその対象に興味を
持ったから分析したいと思うのだろうし、興
味を持ったからにはそれが自分と何らかの関
わりがあるように思われるだろうし、それを
分析することによって、それに興味を持って
いる理由を知ろうとすることにもなるだろう
し、そこからそれに興味を抱いている自分と
は何なのか、という問いに回帰してくるよう
に思われるなら、結局は最終的に自己への問
いに突き当たってしまうわけだが、それが自
意識過剰な捻じ曲げやこじつけでないとする
なら、そんなふうに思わせる現状とは何なの
か、という問いに答えようとすることが、自
己を含めた現状の分析へと自らを駆り立てて
いるのだろうか。

 自分が絶えず現状につなぎとめられている
ことは確かかもしれないが、それは現状のほ
んの一部分にすぎず、自分とは関わりのない
ところで構成されている現状がほとんどだと
も思われるだろうし、自己中心的に世界が構
成されているわけでもないのは、誰もが承知
していることではあるのだろうが、一方でそ
んな世界を認識しようとする自己が存在して
いるのも事実だろうし、そんな自己と自己が
分析する対象となる世界との関係を理解する
ことが、自己分析にも繋がると考えれば、そ
こで思考の対象が自己へと引き戻されてしま
うわけだが、性急に自己へと戻ってくるので
はなく、まずは自己を遠ざけて世界の現状を
客観的に理解しようとしなければ、そんな自
意識過剰の罠からは逃れられないだろうし、
なぜ自らに自意識過剰がもたらされるのかと
言えば、自分を良く見せたがるような環境の
中で暮らしているからだとも言えそうだが、
そんな虚栄心を煽り立てるような風潮が世の
中に蔓延している状況というのもあるのかも
しれず、周囲が自己の存在を認めてくれるよ
うに振る舞いたいし、世間に自分の存在を認
めさせたいという欲望を抱かせるのも、そう
いう風潮の中で生きているからだとも言える
のかもしれないが、それを敏感に感じ取って
いるからこそ、逆にそんな時代の傾向に逆ら
いたくもなるのかもしれず、それが自己を減
じてあるいは自己抜きで、客観的な現状認識
へと至ろうとさせるのかもしれないが、果た
してそうなれば認識の客観性へと至れるのか
と言えばそうでもないのかもしれず、認識の
客観性を求める意識自体が、それを認識しよ
うとする自らの限界を考慮していないわけで、
何かとすぐに虚栄心や欲望にとらわれてしま
う自己を忘れたいという思いが、潔癖症的な
理性の顕現を求めてしまうのかもしれず、要
するにそれは全てを見通せるような神の視点
に立ちたいという欲望の表れで、それも結局
はある種の虚栄心や自意識過剰に引き戻され
てしまう心理現象であり、そんなふうにどう
あがいても自己から逃れられない宿命にある
わけで、そんな自己の限界を考慮に入れた上
でないと、現状をよりよく理解することは不
可能なのかもしれず、自己を考慮に入れない
客観的な現状認識に何が欠けているのかと言
えば、そんな認識を導き出そうとする自己で
あるのは言うまでもないことであり、そこで
絶えず障害物として目の前に自分自身が立ち
ふさがっている現状を見ようとしていないわ
けだ。 

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創刊日:2001-03-26  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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